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浦賀道を走る 西ルート 戸塚~浦賀

 前回の浦賀道の東ルートに続いて、西ルートも走りました。
 西ルートは、戸塚宿から大船、鎌倉、逗子と三浦半島の西側を南下し、葉山から半島を縦断して、浦賀に向かうルートです。
 東ルートより難所が少ないということでしたが、実際に走ってみてどうだったかは、最後に感想を述べたいと思います。

 今回も2日に分け、初めに戸塚から鎌倉まで、翌週に鎌倉から浦賀まで走りました。




戸塚~大船 8.2㎞

 戸塚から大船に南下する。弱化の勾配はあるが、ほぼ平坦な区間。

戸塚~大船


 12時半ごろ戸塚駅をスタートする。意識していなかったが、旧東海道から分岐となる。

戸塚駅


 出発してすぐに線路を越える。当然、旧道は失われているので、近そうな陸橋を渡る。

JR陸橋


 車の往来が多い県道203号線を下る。

下倉田


 ところどころ旧道への分岐、合流を繰り返しながら進む。

下倉田交番前交差点・旧道への分岐


 大船駅とは離れた場所を旧道は進む。
 戸塚、藤沢は、東海道沿いの宿場町に駅が置かれたが、大船周辺は田畑が広がっていたので街道に関係なく駅を造ったことによるのか。

大船付近


大船~鎌倉 6.3㎞

 自然の要塞であった鎌倉に入るためには、巨福呂坂(こふくろさか)で山越えする必要があったようだが、現在は通り抜けられないようなのでトンネルを使う。

大船~鎌倉


 週末の鎌倉は歩行者があふれ、写真も撮りづらい。

北鎌倉駅


 人ごみから離れた場所で写真を撮って、ひたすら進む。

鶴岡八幡宮


 ようやく人が少ないエリアに入る。

大町・旧道分岐


 この辺りは、鎌倉時代の大町大路の一部であり、それ以前の古東海道の一部だった(かもしれない)歴史のある古道らしい。

大町・名越入口


 鎌倉から逗子に入るための山越えに入る。

名越の坂


 平坦なはずだが、急登が待っている。
 現在はJR横須賀線の線路がルート上に存在するため、道が付け替えられている可能性が高い。当時はもっと緩やかで広い道が通っていたのではないか。

名越の山道


 名越で初日を終了とした。14時20分到着。なぜ、こんな中途半端な山中で終了としたのかは、ここから自宅まで走って帰れるから。


鎌倉~葉山 7.2㎞

 名越から逗子に下り、海岸線を進む。

鎌倉~葉山


  初日のゴール地点の名越に着いた9時ごろにスタート。名越の切通を抜ける。

名越切通


 小坪の急坂を下る。良く通っているが、おすすめの坂だ。

小坪・坂


 旧道の踏切を2回越える。

新宿踏切


 逗子の海岸脇を進み、富士見橋を渡る。途中、逗子海岸に寄って一休み。

富士見橋(田越川)


 海沿いの葉山マリーナや、レストランを横目に見ながら進む。

葉山マリーナ


 生活道路として使われている古道には、緑舗装の歩道がよく似合う。

一色付近


葉山~木古庭 6㎞

 三浦半島の西岸から東岸へ縦断する。山脈と山脈の間の平地を進む。

葉山~木古庭


 横断区間は、県道27号線沿いに進むが、何度か旧道区間に入る。

一色・旧道入口


 県道は蛇行する川におかまいなくまっすぐ延びるが、旧道はひたすら左岸を進む。

上山口・旧道入口


 この辺りの風景が古道の雰囲気を残していて、気分がいい。

上山口旧道


 橋が見えるが、山からの支流を超える橋であり、本流は跨がない。

下山川


木古庭~浦賀 10.1㎞

 三浦半島を横断し、東京湾側に到達する。東ルートと合流し、浦賀を目指す。

木古庭~浦賀


 県道とお別れし、旧道に入る。

木古庭・旧道入口


 入り組んだ細い道が続く。

木古庭付近


 平作を通り衣笠の街中まで降りる。お別れしたはずの県道27号と再び合流し、衣笠駅手前で裏道に入る。

衣笠


 裏道を進み。衣笠を過ぎて公郷に入る。

衣笠十字路付近


 ところどころ小山があるが、縫うように平地を進む。

大津町付近


 東ルートと合流し、見覚えのある区間に入る。

馬堀付近


 12時半ごろ浦賀駅に到着。今回は浦賀奉行所跡までは行かずに、駅をゴールとした。

浦賀駅


 東ルートが金沢八景や峠道の景色が見所だったのに対し、西ルートは古都鎌倉を代表とする歴史な名所が見所でしょうか。
 現在の旅は、目的地にいかに早く到着するかでルートを選びますが、昔の旅の間はほぼ移動時間なので、途中の行程の面白さでルートを選択していたのではないでしょうか。
 自分にとっては、葉山から三浦半島を横断するルートに存在した旧道が、古道の雰囲気を残していて一番良かったです。

 実際に走ってみてどうだったかと言うと、現在の道のりではあまり差は感じませんでした、というか両方とも最後はヘロヘロだったので同じぐらい大変だったというのが率直な感想です。

 次回は、八王子から横浜を結んだ浜街道、最近の通称で「絹の道」を走った記録を紹介します。

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