美術専攻に進んだけど美術に興味なくなってしまった

私は現在、教育大学の美術専攻の4年である。

一浪して、今の大学に入学した。現役時には他の、美大の括りに入る大学を2校受けていたんだけど、今にして思えば落ちていて本当に良かった。美大に入っておきながら美術に興味がなくなったりしたら、さすがに色々とまずすぎる。いや、美術専攻でもまずくないことはないけど、美大よりはマシだろう。

そもそも何故私が美術系の進路を志したかというと、「自分は美術が好きだ」という誤解をしていたからだ。

まぁ、「美術が好きだ」ということに関しては、中高と美術部だったし、この時点では完全な誤解ではなかったと思う。正確に言うのであれば、「自分は大学で美術を学ぶくらい美術が好きだ」と誤解していた、ということになる。つまり、私は趣味レベルでしか美術を愛せない人間だったのだ。


どうしてそのような誤解が生まれたかというと、理由は大きく分けて2つある。

まず一つは、他に得意なことが無かったからだ。

私というのは、本当に、何をやってもダメなのび太のような人間であった。運動もダメ、音楽もダメ、勉強も、流石にのび太よりは出来たけど、そんなには出来なかった。人と話すのも苦手だし。あと、他の女の子たちみたいに髪の毛をつやつやにさせるのとかも出来なかった。のび太は確か射的が唯一得意だったと思うけど、私にとっての美術は、のび太にとっての射的なのだ。

そんな自分から美術をとったら、何も残らないじゃないか、と、高校生の時の私は思ったのだ。

しかし、今にして思えば、そんなことは大した問題では無かった。だって、得意なことが何も無い人間なんて、この世の中には沢山いる。得意なことが無くたって、みんな、友達や家族がいて、続きを楽しみにしている漫画とかドラマとかがあって、好きなご飯屋さんとかもあって、そういうのを支えに楽しく生きているのだ。高校生の時は、「自分は何も無くても人生を楽しめる側の人間では無い」と思い込んでいたが、多分、そんなことは無かった。私は、良い意味の〝特別〟な人間では無いと同時に、悪い意味の〝特別〟な人間でも無かったのだ。


もう一つは、私が物事に熱中しきれない性格だからだ。

好きなものは色々あるけど、私の〝好き〟の気持ちは、浅いのだ。例えば、私は何年もずっと嵐が好きで、これまでの人生で一番好きだったコンテンツは?と聞かれたら迷わず嵐と答えるんだけど、定価で買ったCDは2枚くらいしかない。DVDとかも持ってるけど、大体ブックオフでセールになった時に買ったものだ。一刻も早く手に入れたいとか、事務所や本人達に還元したい、みたいな発想に全く至らないわけではないんだけど、貯金が減っていくこととか、予約のめんどくささを超えるほど、それらの思いは強くはならない。それでも、私の中では精一杯好きだった。

要するに、自分の中では美術を精一杯好きなつもりでいた。けど、私の好きは浅いので、大学でまで美術を志すような周りの子達と比べると、全然だったのだ。この程度の好きでは、大学での四年間をやってのけることが出来なかった。


あんまり絵を描いたり作ったりしてこなかった人からすれば、「とはいえこれまで絵の練習とかしてきてるんだろうし、普通の人よりは描けるだろうから、無心で描けばいいんじゃない?」と思うだろう。まあ実際そうだし、そうするしかないんだけど、それが、出来ないのだ。中には、気持ちが乗っていなくても手を動かしてそれなりのものを作れる人もいるのかもしれないけど、それってかなり精神力の強い人だと思う。並みの精神力の人間は、無理矢理描こうとしても、気持ちが追いつかず、そんな自分が情けなくなり、余計に気持ちが乗らなくなって、というループに陥ってしまうのではないだろうか。少なくとも私はそうだった。


というような感じで、今の私は何も作れそうに無いんですけど、

美術専攻なので、卒業制作をやり遂げないと、卒業、出来ないんですよね。

困った〜〜困ったよ〜〜。

困っててもどうしようもないから、やるしか無いんですけど……嫌……嫌だな〜……。

私と同じ年度に受験した、私が受からなければ合格出来た人、ごめんなさい……。まぁ、今から枠譲れたとしても、別に譲りませんが……。


おわり

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