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豆腐屋の怪談

皆さんはご存知だろうか?
自転車で鐘を鳴らしながら豆腐を売りに来ている人の良さそうなおじさんが、実は人ならざる者であることを。


私の地元では夕方の4時頃になると、自転車を押して鐘を鳴らしながら豆腐屋のおじさんが豆腐を売りに家の前を通る。
子どもの頃は、鐘の音が聴こえると「あぁ、もう夕方なのか」という思いと共に「早く家に帰らなければ」という焦燥感のようなものが湧き上がり、自然と家路を急いでいた。
あの鐘の音が『夜を連れて来る』という感じがして、なんとも言えぬ怖さを子どもの頃の私は感じていた。しかし、歳と共にいつしか焦燥感は消え、門限もどんどん遅くなり、社会に出る頃には豆腐屋の鐘の音を聴くこともなくなっていった。いや、聴こえていても気にならなくなっていったというのが正しいのか。


そんなある夏の日、たまたま仕事を定時に終わらせて帰った日があった。
陽は傾きかけていたがまだ明るく、幾分か涼しい風が吹き始めていたように思う。
まだ明るさが残るせいか、家々が並ぶ通りではまだ2、3人の子どもらが遊んでいる。
家の中から母親らしき声で「そろそろ家に入りなさい」と促すのが聞こえる。子ども達は返事をしながらも家に帰る様子はない。
「もう家に帰る時間であろうに、楽しくて遊びに夢中なんだな」とぼんやり思いながら、遊んでいる子ども達を見た。歳の頃は就学前か小学校低学年といったところか。
誰が1番長くフラフープを回せるか競っているらしく、キャッキャと鈴のような笑い声が近づいてくる。
子ども達を横目に見ながら「明日は休みだから、帰りにコンビニでも寄ってビールと何かおつまみを買って帰ろう」などと考えながら子ども達とすれ違った時、ふと鐘の音が聴こえた。

昔よく見た豆腐屋のおじさんだった。少し老けたような気がするが、子どもの頃に見かけた豆腐屋のおじさんは、あの時と変わらず鐘を鳴らしながら自転車を押していた。「豆腐屋さんだ」と思ったと同時に、忘れていたあの焦燥感が蘇った。
「いけない、早く帰らないと」と思い、先程の子ども達の方を振り返った。
振り返ってはいけなかった。


豆腐屋のおじさんは子ども達の近くまで来たと思ったら、ごく自然に自転車を停めた。
「母親が豆腐を買うのに呼び止めたのだろうか?」と思った瞬間、おじさんが子どもの1人に近づき、ものすごい速さで丸めたのだ。野球ボール程の大きさの淡く光る子どもだった物体を自転車の荷台に乗せた木製の箱に入れ、また1人、もう1人とあっという間にそこにいた子ども達を丸めて光る物体に変えてしまった。
直感で「あれは子どもの魂だ」と思った。あの子達は魂だけの状態に変えられ、連れ去られてしまった。
豆腐屋のおじさんは魂売りだったのだ。


全身に恐怖が襲ったが、見てしまったことがバレるとまずいと思った私は何とか前を向き、携帯の画面に目を落とした。また後ろから鐘の音が鳴り始めた。少しずつ近づいてくる鐘の音に汗が吹き出る。走って家に帰りたいのに足が竦んで一歩が踏み出せない。何とかメールに返信して立ち止まっているふうを装って、過ぎ去るのを祈った。
おじさんは子どもにしか興味がないのか、そのまま私の横を通り過ぎていった。木製の箱に目をやると急いだせいか蓋が少しずれていた。ずれた蓋の隙間から淡い光がチラチラと見えた。
あの子達はどうなってしまうのだろうか。
汗で体が冷えたせいか、ビールを飲む気も失せてしまった。

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甥達が小学校低学年の頃、妹が「遅くなって家に入れと言っても中々家に帰らない。家の前やからって遅くまで遊ぶのは危ないからどうにかならんもんか」と言うので、悪戯心が芽生えた私が甥達に話した『豆腐屋のおじさんは魂売り』という怪談を元にして書いたのが上記の怪談である。
まだピュアであった甥達はまんまと騙され、豆腐屋の鐘の音がすると家に入るようになったらしい。
豆腐屋のおっちゃん、勝手に魂売りにしてごめんな…。
これはあくまでタチの悪い伯母が作り出した完全なる虚構であるため、どうか恐がらずに豆腐買って下さい。

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