極景

ほんのひとときで構わない。
 誰かの暮らしを照らす灯りになりたい。
 現実世界とゼロ世界の狭間――歪みの中――へ侵入し、この物語を書いた。
 いまの僕にはその術しかなかった。
 
 
 
                              
 
 
 
【沸点と氷点】
 
#先生の言葉
 
『ヒトが意識的に決定していることなんて、一割に満たない。残りは無意識的に決定されていることだよ。発信者は無意識的に決定した考えを主張を思想を嘘を言葉で表し、受信者は額面通り、あるいは過大に過小に受け入れる。
 比べて動物はどうだろう。説明なんかしないし、当然言い訳もしない。そこにあるのは、ただの行動だ。あるいはただの反射だ。ヒトから発せられた言葉の持つ意味なんて、動物的には全く取るに足りないことなんだ。
 自分の言葉すら――どれだけ修飾され誇張され曲げられているか――制御できないんだよ。言葉に騙されてはならない。想像力を鍛え続け、自分の、他者の、集団の行動を立体として捉え、物理的な目と心の目をじっと凝らして見極めるんだ。次の行動を起こすのは、その後でいい。それがサバイブする唯一の術だよ』
 
#断り書きのようなもの
 
 この物語――沸点と氷点――は僕が中学生のときに知り合った『先生』と皆に呼ばれる友人からの依頼とは言えない、ある側面では成り行きとも言える理由で書くことになった。その経緯は後述する。僕は自らが筆者なのに、公開の責任を取れるのか、まるでわかっていない。しかしながら、どんな行動にも得てしてそういう性質があるだろう。世に出てからの反応が全てだと割り切り、まずは書くことに専念するしかない。
 先生からの要望はふたつあった。
 第一は僕を主人公とした物語を成り立たせること。
 第二は僕のこと、先生のことを表現する折に、綺麗事や、ただの美談にならないように最善の注意を払うこと。
 僕はモノを書くことを生業にしているが、物語は書いたことがないし、ルポライターやノンフィクション作家とも決して言えない職種だ。僕の仕事は、編集者から求められたモノを調べ、取材して、ただ文章に起こす作業のみに限られている。
 最近では自らの関心事が教育や家庭の抱える問題に向かっているが、その関心事が僕自身の経済面を支えるほどのものにはなっていない。狭いつきあいの中では、ライターとしてだけ認識されているし自覚もしているが、自らの嗜好性のようなものが、そちらへ止め処なく変遷している。だからこそ先生の許へと足繁く通うことにした。いや――その実は僕の大切な、それはとても大切で――掛け替えのない先生に、ただ会いたかった、ただ顔を見たかった。ジャーナリスティックな理由なんて二の次、三の次ですらなかった。
 物語を書ける自信なんかないし僕が登場するなんておかしい、とはっきり言ったが、先生はふっと笑い、それが君にもたらすものが必ずある、安心してくれたまえ、といつも通りの揺らぎが一切ない視線で見つめられた。自分のことは微塵も信じられないが、先生の言うことなら無条件に信じてしまう。それは……先生にはずっと救われ続けたからだ。
 多くの読者が居るなら喜ばしいことだが、混乱を招くだけではないかとも危惧している。しかし、ほとんどの読者は賢明なはずだ。なにかがある、と思えば読了するだろうし、つまらない話だ、と思えば途中で投げ出すだろう。感想は多様な方が健全だと思う。
 
#僕と先生
 
 僕は地元の公立小学校に入った後、五年生頃になってから、中学受験を意識し始めた。学校の勉強はできた方だったが、地元の友達が少なくなかったから迷いはあった。そのまま公立中学校に入ってからも、そのときの感じで勉強していれば、それなりの高校に進学できる見通しとまではいかないが、根拠のない自信はあった。でも、環境を変えたかった。いわゆる普通で居たくなかった。いま思えば、ませていたし自意識の強い子供だったと思う。その自意識の強さは変わっていないどころか、もう完全に拗こじらせていると言って間違いない。そのお陰で何度も失敗したし、他者を傷つけてしまってから、愕然がくぜんとすることも少なくない。
 中学受験は四校だった。父と母を説得して受けさせて貰った。父は公立で多様な友人たちに揉まれて過ごした方が大人になった後に強く耐え忍ぶ力を身につけられるという考え方を持っていた。言葉を換えれば、賢く、ある一定以上の収入を持つ家庭の子供たちとばかり過ごしていたら画一的な考え方しかできない大人に育つという風なことを言った。
 一方、母は、それは小学校でもう学んでいるから、いいんじゃないのと、最初から僕の選択を認めてくれていた。母の後押しもあったが、父は意見を言わなくてはならない場面だったから、言ってみただけという風情で、全く抵抗はされなかった。もとより、どこの家庭でもそうかもしれないが、母の方が子供の将来を考えているものだ。我が家では父の存在は経済的な活動が中心で、子育てを含めて家のことを日々回すのは、間違いなく母ひとりの手に依よってなされていた。僕には弟がひとり居る。ひとつ違いの年子で、弟は自ら望んで地元の中学校に進んだ。似ている部分も多いが、兄弟でも考え方も選択肢も違う。
 僕は私立中学三校と国立大学付属中学を一校受験した。私立二校と国立に受かった。私立は中高一貫だが、国立は小中一貫の外部進学生の扱いだった。その後に付属高校に進むこともできるが成績は上位三分の一に入っている必要があった。楽なのは私立だったし、大学への内部進学もある学校だった。僕は国立に惹かれた。私立は無数にあるが、国立は数えられるほどしかないのだ。その希少価値で、自分の存在感も増すような錯覚で気分が高揚した。
 母は、私立の方がいいんじゃないの、と言いはしたが、強く押してくる感じでもなかった。僕が、国立に行きたいんだと言うと、いろいろ苦労するかもしれないけど、頑張ってと、背中をポンと押しくれた。
 
 先生と出会ったのはたまたま同じクラスだったからだった。先生は彼が小学生の頃から既に先生と呼ばれていた。多くが内部進学生の占める中、その呼び名はあだ名やニックネームとは明らかに異質だった。
 先生の佇たたずまいには小学校を卒業したばかりの児童の名残は、ほとんど感じられなかった。髪はきちんと六四に分けられていたし、横の少し長い部分は耳に掛けられていた。女子に話し掛けられる、そんな一瞬、思春期特有の躊躇いの表情、そういう場合に限って年齢相応な緊張を見受けることができた。もちろん、呼び名は、夏目漱石の『こころ』に由来している。
 僕は『こころ』を夏休みの読書感想文作成のため、自ら選んで読んだことがあった。一緒に本屋さんに行った母からは、早いんじゃないのと、当然のように言われた。僕は日本で最も読まれている本のひとつであるという記事を見ていて、自意識が強かったのも相まって、止められれば止められるほど、『こころ』に拘ったことをはっきりと覚えているのに、肝心の内容と言えば、主人公と先生の暗い話だった……くらいにしか覚えていないし、感想らしいものは全く持てなかったいまの自分には理解の及ばない文学があることを知った。軽い挫折を味わったが、小学生なのだ。そんなことはすぐに忘れて、別の小学生らしい本へ買い替えに行き、なにかを書いた。間違いなく大したことは書いていない。僕には自分のうまくいったことは記憶し反芻はんすうし悦に入る傾向がある。覚えていないということは、そういうことだ。
 先生と呼ばれる彼に、そう呼ぶ同級生のことにも、ひどく嫉妬した。彼ら彼女らは、僕よりも文学を知っているのだ。ただ読むだけではなく、その本質を理解している。国立小学校というのは、そういう知性、感性を持った児童が通っている。中学から入った僕に逆転の可能性はあるのだろうか。あるいはついていけるのだろうか。不安になった。
 ほとんどの外部進学生が馴染んでいく中、僕はなかなかクラスに溶け込むことができなかった。クラスメート達は、公立と比べると皆が皆、親切で接し方は丁寧だったし、コミュニケーションの取り方は洗練されていた。僕のナイーブさを、無理にこじ開けようとする者は居なかったし、取り残されるようなことも全くなかった。授業の進め方に慣れないときは隣の生徒が親切に説明してくれたし、教師も内部進学、外部進学に関わらず、自然に接するようにしてくれていた。いい意味で特別扱いはされなかったように思う。
 彼らの会話は大体において知的だった。ときにはもちろん子供らしいゲームの話やアイドルの話もあるのだが、小競り合いのようなものはほとんど存在せず、自然体で互いを尊重し、誰かを否定するようなことはほとんどなかった。もちろん全ての生徒がそういう社会性や寛容さを持ち合わせていた訳ではなかったのだが、クラスや学校全体を覆う雰囲気は公立とは明らかに違った。幼稚園のときに小学受験を経験し合格を勝ち取り、国立の小学校を任せられている教師に出会い教育を受けていたというのは明らかな違いを生むことを知った。父の言っていた言葉、画一的な考え方になるというのとは正反対で、生徒それぞれの違いを受け入れる寛容さと切磋琢磨する環境の両方を備えていた。
 
 少しばかり、国立大学付属小学校と中学校の使命やら役割について触れておきたい。日本における全ての学校は、文部科学省の規定する学習指導要領やガイドラインに沿って教育を行う機関という意味ではなにも変わらない。
 国立の違いは新しい教育の研究開発を目的とした実験校であるという点だ。中学から入った僕には関係のないことだが、小学受験の選抜方法は少しばかり複雑だ。ただ賢ければよいというものではない。私立の上位校に受かるような学力の高い子供たちでも、選抜されないということは頻繁にある話だ。試験を受けるための抽選があり、試験を通過した後にも、また抽選があるという学校もある。かなりの運任せだ。それへ対して国はきちんとした理論を持ち合わせている。成績上位の子供だけを集めてしまうと、実験、研究対象に偏りが発生し、標準的とは言えない研究結果になるリスクが高くなるし、それは将来において全国の学校にその研究成果を展開する折に、実験母集団に偏りがある限り信憑性が低いと見なされ同意を得られない事態を起こす可能性があるからだ。
 試験に通過した子供たちの共通点はある。もちろん実験に適しているかどうかということだろうし、これは僕の感性の問題だろうが、二度の抽選を通過する幸運を持ち合わせているというのは、ただの偶然ではないように思う。
 過去には、賛否を巻き起こした、ゆとり教育の実験が行われていたこともあるが、通っている児童、生徒はもちろんのこと保護者にも、そのときなにの実験が行われているのかは明示されることはなかった。僕の時代とは変わり、いまでは数年分はどこの学校でなんの研究が行われているのか、いたのかを文部科学省のホームページで閲覧できるようになっている。
 私立のように営利目的ではないため、進学校のような受験対策のようなことは行われない。授業についていけなくなる児童、生徒も少なからず居る。ハイレベルな授業ではあるが、それ以上に学習意欲が高い児童、生徒が多いのも事実だ。卒業生たちの多くが有名大学に進学する。その後の進路は様々だが、個性、特性を発揮し社会に貢献したり、多様な分野で著名となる者たちも少なくない。
 一方で、選抜方法への批判や意見が存在しているのも事実だ。そもそも学習意欲の高い子供たちを集めている時点で偏りが発生しているという指摘。それには子供たちの置かれている環境も影響しており、高収入の家庭には学習意欲を刺激する――主に教育熱心な母親や父親が存在している――一般的な家庭においては、そういう時間や金銭的な余裕がないという事実。
 卒業した生徒たちの少なからずがエリートと呼ばれるポジションに就いているという実例に因よって、一般化できる実験成果とは言えないという指摘もあり、それを解決するために選抜方法は、あくまで抽選のみにするべきとの意見があるが、正反対の意見もある。
 国立は私立と比較すると、かなり安価で質の高い教育を受けることが可能だ。もし、選抜方法を抽選のみに絞った場合は、志望者が増加し当選倍率が上がることは想像に難くない。学習意欲の高い子供かつ経済的余裕のある家庭であれば私立を選ぶことになり、子供の学習意欲が高くとも経済的な余裕がない家庭の場合は、余程の幸運に恵まれない限り公立へ進み一般的な授業を受けざるを得なくなる。従って、経済格差が学力の向上へ大きく影響することになり、優秀な人材の総輩出数を減らすことに繋がる、という俯瞰ふかん的な意見があることも付しておこう。
 僕自身は国立で学習できたことへ感謝の念しかない。国からするとただの研究対象の一員でしかなかったのかもしれないが、尊敬できる教師も多かったし、知り合えた友人たちとの交流は掛け替えなく、いまの僕の支えとなっている。僕は公立校のことを否定している訳では全くない。昔もいまもどこの学校に行くのかは子供たちの自由になる場合もあれば、ならないことの方が山ほどある。公立か国立かなんて、子供たちが育っていく環境要素のひとつにしか過ぎないのだから、そこにフィットし、多種多様な友人や教師によっていい影響を受けられたら、それでいい。フィットするかどうかは、子供自身の力量だけではなく、もちろん大人の支援の有あり様ようにも掛かっている。
 
 僕が、先生とクラスメート達と仲良くなることになったのには、僕のくだらない自意識が関係している。休憩時間に会話に参加するでもなく、かと言って蚊帳の外に居る訳でもないような感じだったときに知った。クラスメート達は、先生を『こころ』の登場人物に重ね合わせてはいるが、物語そのものを理解している訳ではなかったのだ。
「夏目漱石の『こころ』って、どんな話なの?」と、ある生徒が先生へ尋ねた。
「僕は、自分の読んだ本の要約や解説はしたくないんだよ。ごめんね」と先生は言った。話に割って入るのにはかなりの勇気が必要だったが、僕は思い切って口を開いた。
「先生はなんで先生と呼ばれているの?」
「そう言えばなんでだっけ」と、その場に居た皆は互いの顔を見合わせるようにして、言い合い、女子の誰かがこう答えた。
「確か道徳の授業のときだと思うんだけど、担任のS先生が言ったんじゃん。田中くんは、夏目漱石の『こころ』の先生とは真逆な感じがする、読んだことはあるかい?って訊いてさ。先生が、ありますよ、って答えて、少しの時間、ふたりで感想を交わしていたんだよね。私たちは、もう全くついていけない感じで。でもすごいことだけはわかって、わーって感じで拍手が起きた。誰が呼び始めたのかは……もう覚えていないんだけど、真逆とかは関係なくて、キャラ的に先生という呼び名が相応しいって、みんな納得したんだよね」田中というのは先生の本名だ、田中刑司と言う。そのときは別のクラスであったのだろう、できごとを知らない男子が質問した。
「俺はさ、小学生の頃はみんなが呼んでいるのを、ただ真似していただけなんだけど、最早ね、尊敬しているところばかりだから……先生って呼びたくて呼んでいるんだけどさ。その『こころ』の先生とは、なにが真逆なんだろう」それには先程の女子が答えた。
「真逆って、多分いい意味だよね。私は一度しか『こころ』は読んだことがないんだけど、『こころ』の先生ってさ、自分勝手な感じがしたんだよね。こっちの先生は優しいし、授業のことはもちろんだけど、私たちがわからないことがあって質問すると、ヒントや、答えへ導いてくれるようなきっかけを与えてくれるじゃない。確か主人公とその先生の間柄は私たちと似た感じだよね。いや……これじゃ真逆じゃないか……うーん」とその女子が唸っていると、先生が声を発した。
「仮に『こころ』の先生と僕が真逆だとしても、いい意味か、悪い意味かという二面性だけで捉えられる事柄ではないんだ。それに、主人公と先生は僕らほどのわかりやすい間柄でもないんだよ」みんなが少しずつ緊張してくるのが伝わってきた。その先の発言を待った。
「さっきも言ったけど、僕は誰に対しても本の要約や解説はしたくないんだ。それは作者に対して失礼な気がするというのもある。あんなに長い物語を書いて、数百文字で説明されるのだったならば、なぜその分量が必要だったのかってことになるじゃない?そこにはやっぱり物語である意義があるし、解説を聞いても、解説者の意見を聞いたことになるだけで、物語そのものを理解したことにはならないんだよ。どんな小説もそうなんだけど、書いて説明されていることもあれば、敢えて書かれていないこともある。ときには書かれていないことの方が余程重要な場合もあるんだ。自ら読んで文章を理解し、行間を、物語の全体像を自分なりに掴むことで依ってのみ到達できる場所がある……とは言ってもね……国語の試験で要約の問題が出たら、書かなきゃならないときがある」と言って先生は照れ臭そうに笑い、みんなも緊張感から解放されたように笑顔になった。
 僕は、このときになってようやく、ここでやっていけるかもしれないという足掛かりを得た気分になった。先生を除くと、僕もみんなもそんなに変わらないと自意識が満たされていくのを感じた。先生へは、全く劣等感を持たなかったし、競う気持ちにもなれなかった。先生が圧倒的だったこともあるのだろうが、みんなと同じように惹かれ、先生のことをたくさん知りたくなった。もちろん異性に対するものとは全く違うが僕は先生のことを、それからどんどん好きになっていった。
 
#僕と谷田詠子
 
「最近さ、なにか変わったことってあった?」と谷田詠子たにだえいこは僕に尋ねた。今日の僕の振る舞いに、普段との違いを感じ取ったのだろうか。もう二年の関係だ、新鮮さはないが、それに因って沸き上がった欲を削ぐということはなく、慣れた手順を踏めば、互いが納得する結果になることはわかっているし、独り善がりにならずに済む。
「満足できなかった?」僕は率直に尋ねた。
「ううん。ごめん。そういう意味じゃないの。いつも通り今日もすごく満足している。ただ、最近あまり会話していないなと思って、ただの足掛かりに過ぎない、きっかけのようなものが欲しいだけなの」僕らは一ヶ月に一度か二度、こうして密室だけの関係を続けている。初めて会った日は、さすがに食事とお酒と会話を必要としたが、二度目以降,待ち合わせはするものの、部屋へ直行するのが常だ。僕はそれが彼女へのマナーとさえ思っていたし、僕は僕で自身のことは必要最低限のこと、つまり、職業や年齢、どの辺りに住んでいるのかを除けば、彼女に明かしたくなかった。もっと言えば、僕はほとんどどの人物にも、自分のことを積極的に話すことはない。誰とでも一定以上の距離を超えて近くなると、途端にその人物への興味を失い、関係を継続する意味を見出せなくなる。それには、成長過程と先天的なのか後天的のものかはわからない自らの性さがが関係しているのだろう。いまのところ、それと向き合う必要はなく、克服に迫られたことはない。仕事となると容易に済まない場合もあるにはあるが、フリーランスという立場上、会社員ほど、プライベートを明らかにする必要性もない。上司も居なければ、同僚も居ないのだから。
「そうだね。あまり会話はしていないね。でも、それは最近に限ったことでもなくて、ずっと、そうだったよね?それが僕らには相応しいのかと思っているんだけど」
「翔一くんが、そういうのを求めていないのは十分わかっているし、余計な詮索をしているとも思われたくないんだけど、私には家族以外の繋がりって翔一くんしか居ないのよ。ああ、でもそれを重く受け止めないで欲しいの。翔一くんとの、軽いって言うのかな、この関係には随分と救われているのは事実だから。さっきも言ったけど、家族以外の誰かとちょっと会話して、きっかけが欲しいだけなの」彼女の求めるきっかけの先にある目的地には全く見当がつかなかったが、拒絶する必要性は不思議と感じなかった。
「最近変わったことって、特にないかな。いつも通りだね。僕は特に新しい刺激を求める方じゃないし、新しい刺激の方も僕にはあまり興味を持ってはないように思う」彼女は、それについて考えるような、あるいは次の一言を慎重に選んでいるような気配を出した。こういう雰囲気になってしまうのは、彼女との関係に限ったことではなく、僕は十代後半になってから一部の近しい人を除く他者を大なり小なり緊張させてしまう習性というか空気感を身につけたらしい。谷田詠子と知り合う前に同じような関係にあった女性に、それは直接的な言葉として発せられた。
「あなたは大体において紳士的な振る舞いだけど、実際は自分のことしか考えていないのよ。自分が気持ちよく過ごすために紳士的な振る舞いをしているだけで、誰かのことを尊重し、思い遣ったりすることって、きっとないのよ。私はあなたと居ると楽しい、でも安心したことは一度もない。一緒に居る間中、私が間違った言葉を遣えば、あなたがいつでもこの関係を終わらせる準備を終えていることが私には、いいえ、あなたの周りに居る人たちみんなが、きっとわかっていると思う」とかなり具体的な指摘であった。そんなことをその彼女がわざわざ言ったのは、行為が盛り上がっている最中、彼女が息も絶え絶えに、ねえ、私のこと好き?と尋ねたのがきっかけだった。彼女は谷田詠子同様に既婚者であったし恋愛関係と呼べるものではなかったから、僕は言葉に窮し、行為を止めてしまった。彼女が求めていたのはもちろん本当の言葉なんかではなかった。ただ、その場を盛り上げる散り花のような言葉で構わなかったのだ。責任を取る必要もない。そんなことは僕にもわかっていた。ただ、そこでそれに応じてしまうと、もう後戻りできなくなるような気がした。これから毎度訊かれ毎度それに合わせるのは演技であったとしても息苦しくなると思った。無論、その日以降、僕からも彼女からも連絡を取ることはなくなった。
 
 谷田詠子は、引き続き会話をしたいようだった。僕も引き続き拒絶するつもりはなかった。こういう関係であるのには彼女には彼女なりの事情があり、僕には僕の事情があった。持ちつ持たれつの間柄であるのは間違いない。男女問わずどんな関係であれ、一旦始まったら、一方的なものではいられないことくらいは僕も知っている。それで疲弊してしまうことが少なくないから、僕はお気楽なフリーランスのライターをやっているし、女性と一般的な『つきあう』という形を取ることができない。
「自分のこと以上に大切な存在ってある?」と彼女は僕に尋ねた。僕は質問の指し示す意味に確信が持てず、
「自分のことというのは、つまり自分の命ってこと?」と問い返した。
「突き詰めると、そういうことなんだと思う」と彼女は他人事のように答えた。
「思うって、どういうこと?」
「私には自信っていうものがないの。あるいは失われてしまったの。私には社会的立場のある夫が居て、娘も居る。でも、それは当然だけど自分自身ではないのよ」僕には彼女がなにを言いたいのか推し量ることができなかった。なにか質問するなり、声を掛けてあげた方がいいことはわかった。でも、なにを言っても無責任になる気がした。僕は、随分と前から独身者とつきあうことをやめた。既婚者とは、つかず離れずの関係が作れるだろうという短絡的な発想だったのだが、女性特有の性さがには既婚、独身などなんの関連性もなかった。しかし一定以上の距離を必要としている僕にはそれ以外の選択肢を見つけることはできなかったし、自らの性衝動は全く抑えられなかった。
 谷田詠子と知り合ったのは出会い系の類いだった。最初から既婚者とわかっていたし、そうでなければ、会うことはなかった。僕は既婚者を求め、彼女も経験から独身者を求めていた。彼女は、既婚者とは連絡を取り合うことに工夫や配慮が必要だし、自由になる時間も限られているからと言った。僕から彼女に連絡をすることはない。彼女が会いたくなったときに連絡をしてくる。僕はそれに都合をできる限り合わせる。
 無責任になるのを承知で口を開くことにした。きっと彼女は僕に責任なんて求めやしない。ただの話し相手を求めているのだ。自分の言葉で傷つけたくはないという緊張感があったから、横に居る彼女の方には向かず、天井を眺めながら話し始めた。彼女は寝返りを打った。横顔に視線を感じる。
「一般論かもしれないけど、自立した自信を持っている人間なんて居ないんじゃないかな。みんなが誰かの支えを必要としている。それに多分だけど詠子さんの言っている自信って、誰かに愛されている実感とそれに応える自分の愛情みたいなものなんじゃない?傍目から見れば、詠子さんの家っていうのはうまくいっている印象を与えるかもしれないから、第三者には、なにへ不満があるのって言われるかもしれない子供も居るんだし自分を優先した生き方している場合かってっていうような批判も起きるかもしれない。もちろん、いまのところ僕らはうまくやっているから、明るみに出ることはないと思う。
 僕はね、愛されるのにも体力が必要なんだと思うんだ。詠子さんはご主人に、もちろんお子さんからも愛されているし、必要とされている。いまはそれに応えられる体力が足りないんじゃないかな。だからこそ、自分以上に大切な存在ついて考え、頭を抱えているんじゃない?的外れかな?」僕が一息に話したからだろう。彼女は、ゆっくり言葉を咀嚼しているようで、すぐに反応することはなかった。僕には相手の反応を待つ緊張感に全く慣れる気配がない。僕はかなり自己中心的な考え方をするという自覚がある。それは防御本能のようなもので、誰にも踏み入って欲しくない場所があるからだ。しかし自己中心的な考え方の度合いと反比例するように、打たれ弱い。否定され、拒絶されることに免疫がない。彼女は、ゆっくりため息を吐き、彼女の特徴であるのんびりとした口調で話し始めた。初めて会った日、幼さの残ると言ってもいい、その口調を微笑ましく感じ、この女性となら長く続けられるかもしれないと思った。
「誠実に答えてくれてありがとう。なんかただ嬉しい。翔一くんがちゃんと話をしてくれたのって、初めて会った日以来じゃないかなって思う。もちろんそれを責めている訳じゃないから。さっき言ったけど、翔一くんに救われているって言ったのは本心だし。私ってやっぱり贅沢なんだよね。こういう関係を求めたのは自分なのに、翔一くんから、それ以上を欲しがっちゃっている。でもね、いまの台詞は救われたな。愛されるのにも必要とされるのにも応える体力が必要か……そんなこと思いつきもしなかった。いつか体力が満タンになる日が来るかなあ?」僕は軽はずみな言葉を掛けるべきではないと思った。でも正直な気持ちは伝えたかった。
「正直に言うね。それは来るかもしれないし、来ないかもしれない。誰にもわからないと思う。でも、僕のところで構わなければ、いつでも羽休めをするといいよ」
「嘘でも、来るよって言ってくれたらいいのに」と、彼女は笑いながら言って、
「だけど、それが翔一くんのいいところ。優しくされ過ぎたら離れられなくなるから。ひとつだけ、つけ加えたいことがあるの。うちは翔一くんの思っているような家庭ではないのよ」と少し鼻声で言った。横を向くと、彼女の目尻には流れるものがあった。彼女のために家庭については触れるべきではないと思ったし、これ以上は僕に抱えることはできない。
 彼女はひとしきり泣いた後、幾分かすっきりした様子で、今日は時間があるから、少し寝てもいいかなと言った。僕には急ぎの仕事はなく異論もなかった。彼女の流した涙によって、自分の垢のようなものが少し洗われたような気持ちになっていたし、幾分癒されているこの感覚にもう少し浸っていたかった。
「もちろん、僕もそうしたい。少し一緒に寝よう」彼女は、ありがとうと言って、ものの数分で寝息を立て始めた。
 
 僕も数分は目を閉じていた。眠りの予感はあったが、彼女との会話から発生した緊張の膨張と収縮から抜け出すには至らなかった。
 ふと先生のことを思った。実際はふととは言えないほど、頻繁に思い出しているし、先生から発せられた言葉に思いを馳せることは少なくない。先生とはいまでも何人かで集まり一年に何度か食事し酒を飲む関係だ。中学、高校と先生の考え方や感性の鋭さを側で体感してきたのに、なんでここまで僕と先生には差がついてしまったのだろうか。
 同じ付属高校に進学した後、先生は必然のように東京大学に合格し、選択肢は少ないよりは多い方がよいという合理的な考え方で、アメリカの大学も幾つか受け、ハーバードを含む全てに合格した。それについて同級生の誰も驚かなかった。先生は中学でも高校でも圧倒的だったのだ。アメリカの大学入試には推薦状が必要だから、英語のあまり得意ではない担任教師は相当苦心した。受験期に、その教師は優秀過ぎる生徒を持つのも考えものだと自嘲気味に語った。一方の僕はやはり東京大学志望だったのだが、気負い過ぎてセンター試験に失敗し、都内の私立大学に進むことになった。
 先生は東京大学に進学した。同級生の誰もが、それは入学時期の違うアメリカの大学への準備期間のようなものと捉えていたし、皆が皆勝手に、先生が僕たちの手に届かない存在になることに期待していた。将来、あいつと同級生だったんだよと、武勇伝として語るときが来るのを夢見た。しかし先生は結局、アメリカへ渡らなかった。先生は日本でやるべきことをやりたいと言った。アメリカには、それからでも構わないし、別に行かなくてもいい。アメリカ人の友人やビジネスパートナーが欲しくなったら日本で見つければいいしね、と先生は、説明を請うた僕らに答えた。でも、なにがやりたいのかは語らなかった。それは確実だって手応えを得られたときに言うよとだけ、つけ足した。
 僕は一浪して先生と同じ東京大学へ行きたかった。でも、これから記すできごとによって環境は一変し、それを選ぶことはなかった。
 僕が中学二年のとき、父と母は突然、離婚した。両親から経緯の説明は受けたが、自分の家庭がそういう状況にあることへ全く気づいていなかったことに愕然としたし、それ以上に、これからの自分の暮らしが不安だった。いちばん心を痛めていただろうし、いつも僕の味方であった母のことを気遣う余裕はまるでなかった。
 父は随分と前から母とは違う女性とつきあいがあった。母はそれに気づいてはいたが、敢えて放っておいた。子供にとって両親の関係というのは、見えているようで見えていないことがほとんどだ。恋愛してからの結婚であることくらいはわかる。でもその恋愛関係が継続されているものかなんて、少なくとも僕にはわからないことだった。ひとつ違いの弟は静かにそれを受け止めているように振る舞った。僕とふたりきりで居るときに、公立では珍しくないからと言った。きっとそれは強がりだったはずだ。兄として掛けるべき言葉があったんじゃないかと思う。でも、僕には余裕が全くなかった。
 最初に家族四人で話し、離婚は決定事項であることを伝えられ、母はその場を外した。父の考えなのか、母の考えなのかはわからなかったが、父自らの口で息子ふたりには伝えることにしたようだった。
 父はつきあっている女性が妊娠したと言った。
「その子は産みたがっているし、俺もその子とこれからの人生を歩んでいきたい。お前らには、本当に申し訳ないと思っている。でもお前らふたりは俺の息子であることにはこれからも変りがないから、精一杯のことはしていくつもりだし、お金の心配はしなくていい」僕の記憶が確かならば、父はそう言ったはずだった。それは残される僕と弟、そして母に向けた最低限の約束だと思った。僕も弟も、父に言いたいことは山ほどあったはずだった。でも、いざ口を開こうとしてもなにも出てこなかった。自分たちにできることはなにもないように思えたし、感情的になり涙を零すなんてことは絶対にしたくなかった。もう決まったことなんだ、と自分をただ諦めさせるのが精一杯だった。
 それから離婚の手続きは、僕らの知らないところで粛々と進められているようだった。父は母にマンションの残っている住宅ローンは払い続けると言ったそうだ。母はもし一戸建てだったら、近所づきあいもあるから引っ越しも考えるところだったけど、マンションにしておいて助かったわ、と言った。
 
 もう全く眠気はなかった。隣を確認すると谷田詠子はまだ気持ちよさそうに眠っている。僕の隣で、こんなに安心して眠る女性を見るのはいつぶりだろうか。彼女は僕のふたつ上だから、確か三十七歳なはずだ。もう立派な大人の女性だ。そして……誰かの支えを必要としている。僕のことも少しは頼りにしてくれていることがわかった。いつまでも続けられる関係でないことはわかっている。だからこそ余計に貴重で大切に思える。しかし僕は他人と一定の距離が必要な人間だ。彼女の距離の取り方に随分と救われていると思う。
 
 僕は、こうして先生のことを思い、それをきっかけにして自らの過去を反芻することがある。その度に、もう終わったことじゃないか、と自分に言ってみる。印象派の画家が元の絵画の上に全く違う絵を描き、絵の具を塗り重ねて作品に深みや立体感を出そうとするように、僕も自らの過去に彩りを加えようとするのだが、決まってモノクロで不穏な仕上がりになって、よくない衝動が湧き起こりそうになる。
 離婚が成立し、父は家を出た。僕ら兄弟の様子を確認する名目で、たまに家にやってきた。親子関係が途絶えないように努力をしているつもりだったのだろうが、僕にとっては全くの逆効果だった。新しい女を作り、子供を作り、母を捨て……僕らのささやかな幸福を破壊した男。そういう風な目でしか見られなくなった。弟の方がはるかに理解力と寛容さがあった。父の前では息子として、しっかり存在していた。母は成長期の子供には、時々ではあっても父の存在が必要だと考えていたのだと思うし、経済的な面で自立することは不可能であったから、父の顔を立てるという側面もあったのだろう。僕は、そんないろいろ全てが許せなかった。母のことをサポートしたいと思いながらも、くだらないことで何度も反発した。母にはただ、辛いんだよ、と泣き言を零せばよかったのだと、いまだからこそわかる。
 一般的な中学生が通る反抗期とは見た目は変わらなくても、僕のものは質的には全く異なった僕は自分の無力さに腹が立ち、解決の方法が見つからないことに苛立ちを隠せなくなっていった。あぶくのようになり輪郭を失った自意識が膨張と収縮を繰り返した。
 母と相談の上、中学校には離婚の報告はしないことに決めた。僕らは父の姓をそのまま使っていたので、わざわざ言う必要もないと判断したのだが、僕の変容の急激さに、教師もクラスメートも困惑しているのは明らかだった。授業中、落ち着かなくなって、何度もトイレに立つようになり、教師に指名され解答を求められたときに、なにを訊かれたのかさえ、わからないという失態を繰り返すようになった。教室にただ居るだけで落ち着かなかった。密室に閉じ込められているような閉塞感に襲われた。
 僕の通っていた中学校には知り得る限り、離婚している家庭はなかった。弟の通う中学校とは違った。結婚した夫婦の三分の一が離婚するというのは、この学校には全く当て嵌まらない。もちろん、生徒たちが中学校や付属高校を卒業した後に離婚した家庭はあるのかもしれない。でも、そのときの僕が、そういう事実があることを知り得たとしても、なんの慰めになっただろうか。僕にとっての事実は、ただひとつだった。この学校で離婚しているのはうちだけということ。
 僕は理解者を必要としていた。
 それは母であるべきなのかもしれないが、母はそれ以前に、僕たち兄弟の保護者であった。日々の生活を回すこと、家事全般はあるし、加えて弟がユースチームでサッカーをしていたから、練習は車で送り迎えし、試合になれば応援に割かれる時間も長く、僕ばかりの相手をしていられる状況になかった。
 なぜか母は離婚から半年くらいしてから仕事を始めようとしていた。一般的な家庭では兼業主婦の方が過半数以上を占めているが、僕の通っていた中学校では、仕事を持っている母親というのは特別な技能を持っているか起業家に限られていた。八割から九割は専業主婦だった。夫の収入が高いことが前提ではあるのだろうが、働くことが困難なほど学校行事が多かった。当然ほとんどの行事は平日に行われる。苦労が増えるのは間違いないのに母は仕事することを選んだ。それには避けられない事情があったのだが、そのときの僕はなにもわかっていなかった。僕の反応がよくないから父の足が遠のいていて、その隙間を埋めるための手段のひとつくらいにしか思っていなかったし、父の不関与は僕の精神衛生上、悪いことではなかった。
 先生は、僕の変容にいち早く気づいているようだった。でも、気にはしているが、なにかを尋ねるとか、心配している素振りをすることはなかった僕が教師やクラスメートたちにも気づかれているなと思い始めた頃になっても、先生はなにも行動に移す気配はなかった。僕は先生に期待をしていた。もちろん、それは叶わない片思い、いやただの身勝手であることはわかっていた。でも、そのときの僕のただ狭くて、狭過ぎる世界で救世主になり得たのは先生だけだった。先生だけを信じていた。
 母は数え切れない履歴書を作り、数え切れない企業へ送り面接を受けた。母はどんどん疲弊していった。肌は潤いを失い、目には映らない埃にまみれていくようだった。僕には尋ねることができなかった。どうして、そこまでして働きたいのかと訊いてしまうと、なにかが終わってしまう予感があった。
 
 もう一度、谷田詠子の方を見ると、まだ眠っている。子供のお迎えや食事の準備は大丈夫なのだろうか。時計は十五時の少し手前だった。起こすのに気は引けたが、肩を軽く揺すった。彼女は、少し驚いたような表情を浮かべてから、
「ああ、翔一くんは、もう起きていたんだ」と言った僕はそれには答えずに、
「いま十五時くらいなんだけど、詠子さんは時間が大丈夫なのかと思って」と言った。彼女もそれには答えずに、
「翔一くんは、大丈夫なの?」と言った。
「僕には今日、なんの予定もない。だから気に掛けてくれなくて平気だよ」
「実はね。夫は海外へ出張中なの。今日はどうしても翔一くんと会いたかったから、娘の幼稚園のお迎えは私の両親にお願いしているの。幼稚園が午前中だけだったから、それでね。いまごろ、娘はおじいちゃんとおばあちゃんに、いっぱい甘えているはず。悪いお母さんだと思う?」
「さすがに立派だとは言えないね。不良だ」と僕は軽口を叩くように言った。
「そんな言い方、酷いんじゃない?でも確かに不良だよね。不良、不良、不良」と彼女は響きが気に入ったのだろう。連呼した。
「翔一くん、寝てなかったでしょ?」
「なんで、そう思うの?」
「なんか雰囲気。寝起きには見えないから」
「うん。眠ろうとはしたんだけどね。ただボーッとしてたんだ」
「私、いびきをかいていなかった?」
「全くかいていないよ。すやすや眠っていた。ただ……」
「えっ、なに?なんかした?寝言とか?」
「ううん。可愛かった」
「もう、なに言っているの。これでも歳上なんだから、からかわないでくれるかなあ」
「違うんだ。僕の隣で安心して眠る女性を見るのって随分となかったから。素直に嬉しかったんだよ」
「そっか。じゃあ私も言葉通りに受け止めるよ。でも、翔一くん、さっき嘘吐いたでしょ?」
「えっ、なんのこと?」
「翔一くんがボーッとすることなんてないと思うんだ」
「じゃあ、なにをしていたと思うの?」
「きっと、考えごと。多分、私じゃ理解できないような難しいこと」難しいかどうかは別にして、彼女の勘の鋭さには驚かされた。この二年の間柄でいまさらだが、初めて親近感のある会話をしているだろう。彼女の悩みのようなものに触れ、僕自身に変化があったのかもしれない。ただ身体を合わせることを重ねても、全く手が届かない場所がある。それは虚しい行為だからというような抽象的な理由ではない。実際的に相手のことを、しっかり想像することを積み重ねることに依ってのみ、辿り着ける場所なのだ。先生はそれを、物理的な目と心の目をじっと凝らして見極めるんだ、と表現した。
 彼女は、もしよかったらだけど、と断ってから、
「翔一くんのこと、もう少し知りたい。私が理解できるかは自信ないんだけど、なにを考えていたのか教えてくれない?」と言った。僕は迷った。これ以上深入りさせることに因って、なにが起きるのかわからなかったからだ。過去の女性たちと同じか、もっと酷い思いをさせるかもしれない。でも、僕はなにかを変えたかった。このまま、ここに立ち留まっているよりは彼女に甘え、言えること全てを吐き出した方が一歩でも半歩でも進めるかもしれない。あまりにも酷い状況を作り出さないように、そう、それこそ、想像力を総動員して、彼女の反応や気持ちの移ろいに慎重になればいい。場合に依っては告白を途中で止めればいいのだ。
「詠子さんは、今日どれくらいの時間が取れそう?」
「さっき言っていなかったけど。今日って金曜日じゃない……実は娘はそのまま実家で過ごすことになっているの。だから、そうだね。終電までか、もしくは始発で帰れたらいいかな」
「あら、そうなんだ。やっぱり、詠子さんはあれだね」
「あれって、なに?」
「不良」
 もう!と言いながら彼女はとても楽しそうに笑った。
 僕らは食事を摂りに行くことにしたが、その前にどうしてもお風呂に入りたかった。ひとりになる時間、空間が必要だった。
 彼女は察してくれたのだろう。湯船を溜めてくれた。交互にシャワーを浴びて、僕はゆっくり湯船へ浸かり、これからの数時間だけでいいから自らが無垢な存在で居られるように願ったし祈った。ホテルのエレベータに乗ってから、どちらかともなくキスをした。このまま始まるんじゃないかと思うくらい熱を孕み親密だった。ロビー階に着いて身体を離したが、僕の胸にはしっかり彼女の体温の名残があった。
 
#支え合うということ
 
 随分と時間を掛けてホテルを出たから、外は既に薄暮の世界だった。時間は十七時を少し回ったところ。路地を彩る銀杏いちょうの葉は眩まばゆく、冬と呼ぶに少し早い、そういう季節だ。肌寒くはあるが、コートの必要さは感じない。僕は薄手のニット、彼女はニット地のストールを肩へ軽く掛けている。
 僕はいつも感じることがある。ホテルに入る前と出るときでは、その建物が僕へ与える印象が全く別のものになっているのだ。入る前は多少の緊張感と高揚感によって、風景に気を配る余裕がなく、記憶にほとんど残らず、ただの建物にしか過ぎない。一方、出るときは密室からの開放によってもたらされる気持ちの余白を埋めるように、周りへ視線を向ける。ホテルマンの配置や装飾やロビーで交わされる会話の数々。ホテルは実に多彩な人々によって利用され、運営されている。泊まる、食事を摂る、人によっては部屋を荷物の置き場所としてだけ利用することもあるだろう。それだけではない。僕らのような関係の人々も居るだろうし、ラウンジや密室が相応しい会話もあるだろうし、なにかの取引のようなものが行われることもあるだろう。
 運営する側には支配人が居て、フロントマンが居て、ドアマンが居て、ルームキーピングをするスタッフも居る。雇用形態は正社員も居れば、有期雇用者も居る。最近では外国語の話せる学生のアルバイト先としてもまずまずの人気のようだ。実際に働いているスタッフには多種多様な苦労があると思う。それもホテルという誰のことも拒絶しない箱の性質かもしれない。紳士淑女な客が多いとは思うが、傍若無人に振る舞うことを常としている客も居るだろう。僕には、そんな解釈とは無関係に、ホテルを出る際に誰に向かってという訳でもなく、軽い会釈をする習慣がある。『僕を受け入れてくれた箱』に礼がしたくなる。
 彼女は、いつも礼儀正しいよね、と僕へ言った。
「まあ、そんな大層なものじゃないんだよ。癖みたいなものなんだ」
「こんなこと言うのもあれだけど。うちの夫なんか、酷いんだから」
「へー、なにが?」
「外へお食事に行ったときとかね、接客してくれるスタッフさんの対応が、自分の基準に満たないと思ったら、あからさまに苛めるの。料理の出てくるタイミングばかりさ、気にしていたら、その場が楽しくなくなると思うのよ。なのにネチネチ言うの。あそこの席よりうちの方が先に頼んだのに、なんでだとかさ。この前、接客してくれたスタッフはよかったのにとかさ。私は、ただ楽しく過ごしたいの。そういうことに気づかない人なの」
「それは大変だね。そういう振る舞いについて詠子さんは指摘したことないの?」
「もちろん言ったことはあるよ。でも俺様主義だから、なにを言っても効果はゼロ。たぶんだけど、自分が間違っているなんて発想自体が彼にはないんだろうね。まあ間違っていることよりも、人の気分を悪くさせていることくらいに気づく……なんていうのかなぁ」
「感受性もしくは繊細さかな」
「そうそう。それそれ」と彼女は言いながら、到着、ここのお店だよ、翔一くんに満足して貰えるかしら、と言った。
 このイタリアンレストランは僕がお風呂に入っている間に彼女が予約しておいてくれた。彼女は、熟考じゅっこうしたんだから、と言い、また繰り返し、私だって熟考するんだから、と言った。僕はそれがとても面白かったし可愛く思えて、飲んでいた炭酸水を吹き出しそうになった。
「あれ、私なんか変なこと言った?」
「ううん。ただ気遣ってくれて嬉しかっただけだよ」
「またまた、嘘吐いているね」
「いや、うん、あの、その」
「えっ、なに?私なに言われても平気だから。歳上なんだからさ」
「じゃあ、言うよ。でも怒らないで欲しいんだ」
「怒らないよ。お姉さんなんだから」
「詠子さん、ちょっと天然だよね」
「私、それ言われるの、すごく嫌いなんだけど」彼女は自らの宣誓を破棄し、不機嫌になった。僕は謝ったり、脇をくすぐってみたり、ちょっと距離をおいてみたり、また近づいては頭を撫でたりして、なだめることに努めた。髪の毛にキスをして、本当に可愛いと言った。
「本当?」と彼女は尋ねた。
「本当だよ」
「嘘吐きなくせに」
「もうできる限り正直に言うよ。約束する。でも中には言えないこともあるとは思う。それは理解して欲しい」
「じゃあ、許す」彼女の方が約束を反故にしたのだから納得できない部分もあったが、争っても仕方がないし、経験上、天然と呼ばれることに嫌悪感を持つ女性が居ることは知っていた。僕のミスでもある。
 
 その店は地下にあって、階段を降りる必要があった。ヒールの高いパンプスを履いた彼女の足元を注意しながら、
「話は戻るんだけど、なにを熟考してくれたんだろう」と、僕は尋ねた。
「内緒」と彼女は言ったが、それは席に通されて、すぐにわかった。しっかりとした壁があり、全く圧迫感を与えない広めの個室を取ってくれたのだ。僕の話がどんなものになるか、僕にもわからない。隣にすぐ他の客が居るような場所では無理かもしれない。
「この個室すごいね。本当にありがとう。金曜日だから見つけるのも大変だったでしょ?」
「うん。いろんなサイトを見て、ようやく見つけたの。私がガヤガヤしているところ得意じゃないから、翔一くんは、もっとだろうなって思って」
 
 僕らはコース料理を選ばなかった。お腹を満たすことよりも、互いにお酒と会話を楽しむ方を優先したいことを確認し合った。アラカルトなら、アヒージョとゴルゴンゾーラや少々癖が強目のチーズの盛り合わせがお勧めであることをスタッフから聞いて、それに従うことにした。
 彼女が一杯目は、スパークリングがいいな、と言った。僕も同感だった。その後は赤ワインにするかい、と尋ねると、彼女はまずスパークリングを飲んでから考えようと言った。
 おそらく彼女には僕の緊張が伝染していることだろう。互いに暗闇の中を手探りしているのだ。苦心してようやく手に入れたとしても、役に立つどころか、足枷にしかならないかもしれない。だからこそ、先のことは決めない方がいい。彼女の慎重さは、僕への気遣いでもある。僕は記憶の奥底にしまい込み、いやそれは向き合うことへ、ただ抗っていただけで、僕の視野から消えることは一瞬足りともなかった。ただ思考と想像を停止していたに過ぎない。卑怯で不誠実なこんな僕に向き合おうとしてくれている彼女のことは傷つけてはならないと、胸の内で呟いた。
 スパークリングで乾杯してから、互いに感想を言い合った後は、沈黙が訪れた。その沈黙は無重力空間に浮かぶ目視不能な物質のようだった。一旦力が加われば一方的な方向へ進み続けることへ抗うことができない予告に思えた。僕らはただ浮かんでいた。力を加えすぎず、互いを抱きとめるように視線を交わしたが、自らの口からなにが飛びてくるのかわからず、僕はきつく唇を閉じていた。彼女は、もう!と言って、子供のように、けたけたと笑った。
「さっき言ったよね。翔一くんのこと知りたいってさ。私が言ったのよ。わかっている?」
「もちろん、わかっているよ。いや、でも」
「いいんだってば。とにかくそんな深刻な顔はしないで。たかだか私だよ。なんにも起きないから。なんの力も持っていないんだから。少し翔一くんは勘違いしているんじゃないかな。自分が言ったことで、私を嫌な気持ちにさせるとかさ。言葉には責任を持たなきゃいけないとかさ。そういうのってさ、自意識過剰って言うんだよ」
「十分わかっている。僕は昔もいまも自意識過剰だ」
「はい!これで、こんな話は終了。私からバンバン質問していくから、翔一くんはそれに答えていって。答えたくないことはいいよ。でも私は不機嫌になるのをきっと隠せないから、それは覚悟しておいてよ」彼女はとても優しい。もう二年にもなるのに、僕はそんな単純なことにも気づけずにいたのだ。僕は心を閉ざすことでのみ、自分を保っていられると信じ疑うことはなかった。だから、この二年、彼女と一定の距離を取り続けた。さっき、自分で決めたんじゃないか、もうそんなことは終わりにするんだと。
「オッケー。もう渋い顔からは卒業するよ。きっと詠子さんに甘えてしまうと思うけど、構わないかな?」
「なに?お酒が入ると赤ちゃん言葉とかになるの?」それはそれでウケるんだけと彼女は言ってから、ドンと来いと自らの胸を叩いた。僕はようやく地上に着地できた心持ちになり、彼女の真似をするように、けたけた笑った。
「でもさ、話の順番って大切だと思うの。まずは軽そうなところから始めていいよね?」
「うん。詠子さんの知りたい順番でいいよ」
「じゃあ、まずは……そうだね。うん。いまはどんなお仕事しているの?ライターさんだよね」
「取材に行く。それを記事にする。それを出版社にデータで提出するという繰り返しなんだけど、いまはテクノロジーやら新しい政策、経済に詳しい学者とか研究者やジャーナリストへ話を聴きに行くことが多いね」
「そうなんだ。いまフリーランスなんだもんね。どうやってお仕事を貰っているの?自分で営業するの?」
「僕は営業が不得意なんだよ。ご指摘の通り、自意識過剰だし、人と一定の距離を必要としている。営業って自らを売り込むってことだから、僕には向いていないんだ。
 複数の出版社に友人が居て、仕事はその伝手がほとんどで、残りはたまにどこかで僕のことを知った人がメッセージを送ってきて依頼を受けることもある」
「ちょっと具体的に知りたいんだけど、最近ではどんな記事を書いたの?」
「うーん。なにが適当だろうか。まっ、いいか。ベーシックインカムって言葉聞いたことある?」
「うーん。なにかのニュースか記事で、その単語は聞いたことはあるけど、意味はわかっていないな」
「多くの人がわかっていないと思うし、単語を覚えていることだけでも稀なことだよ。まあ一言で済ますと、行政が国民ひとりひとりに最低限のお金を支給するってことなんだ。その代わりに生活保護とかは廃止することになる」
「えっ、そんなことしたら、誰も働かなくなるんじゃない?」
「まあ、そういうことを言う人も居るけど、実際はそうならないと思う。あくまで生活を成り立たせるための最低限の支給なんだ。それで納得する人は、ごく一部に限られるはずだ。例えば、マンションを買ったり、車を買ったり、おしゃれしたり、ママ友と少し贅沢なランチを食べるなんてことは不可能な額なんだ」
「それは苦しいわね。でも、なんでそんなことを行政がわざわざしなきゃならないの?」
「しなきゃならない訳ではないんだ。あくまで、まだ研究段階だからね。ヨーロッパでは実験が行われている国もある。いろんな理由のひとつにしか過ぎないけど、貧困が社会的問題になっているじゃない?ここで僕が言うのは、絶対的貧困のことを指すんだけど、贅沢なんか以ての外もってのほかで、毎日の暮らしが、例えばそうだな、一日の食費を百円以内に抑えざるを得ないような状況の人を救うことをひとつの目標にしている」
「でもさ、じゃあ生活保護でいいんじゃない?それで最低限の暮らしは確保できるんじゃないの」
「現在では、そういう風な制度設計や社会的な風潮になっていないことも背景にあるんだ。そこで少し尋ねたいんだけど、詠子さんのご主人は会社員だよね?」
「うん。投資会社で働いている」
「もちろん、厚生年金には入っているよね?」
「そうだね。いまは給料明細って電子化されているから見ることはないんだけど、年金機構から送られてくる書面にはそう書いてある」
「それで、ご主人はその会社を定年退職するときには、退職金を貰えるよね?」
「幾らかは知らないけど、貰えるはず」
「僕を含めて、個人事業主にはそういう保障制度がないんだよ。国民年金の場合、支給額は六万円前後、いまでも生活するには苦しいし、きっと僕が貰う年齢に達したときには、家賃を払うことすらままにならない。対して厚生年金の場合の支給額は勤務時代の収入によって差はあるけど十万円から三十万円くらい。豊かに暮らすとまでは言えないかもしれないけど、退職金と合わせると最低限な暮らしは保障されるだろう。
 社会的な風潮というのは、どんなに生活へ困窮していたとしても行政へ助けを求められない人が少なくないんだ。ご近所にバレたら……とか、そもそも自分の責任でこうなっているんだとか、理由は個々にあって決してひとつではない。
 そして困ったことに年金受給を受けていると生活保護支給額は最低限に暮らしていける金額へ減額されるし、一例だけど車の所有は原則認められない。例外としてバスや電車とかの交通インフラが整備されていない場所に限っては認められることもある。しかし車の市場価値が高いと、売却せざる得ない場合もある。そうなるとどうだろうか……車がないって致命的だと思わないかい?」
「確かに、その通りだね。私は東京生まれの東京育ちだし、お金で苦労したことがないから……いまさらだけど無知な自分は恥ずかしい。この歳で専業主婦としてお気楽にやっている。抱えている問題なんて小さいし。自分と家族がまあまあの暮らしができること、家庭としての幸福だけを守れればいいとさえ思っている。環境の違う人のことへ関心を向けようとは思うんだけど、なにも行動に移せていない。言い方を変えると無視して過ごしている。でもね、言い訳にもならないけど、常になにかはしたいと思っているんだよ。なにもできないかもしれないけど……」彼女は自信なさそうに小声へなっていった。
「詠子さんにできることだけをすればいい。逆に言えば、できないことはしない方がいいくらいなんだ」
「それって、どういうこと。無理は禁物ってこと?」
「もちろん、そういう意味でもあるよ。人は誰しもが得手不得手を抱えている。日本人特有の部分も大きいんだけど、多くの人が自分のできていないことへフォーカスし過ぎる傾向がある。できていないことを頑張って平均かそれより下回るレベルにしか達しないのなら、それはその人じゃなきゃならないっていう価値を持たないことに繋がりかねない。自分の仕事や社会的活動が評価されないのは、知らず知らずのうちに自らを疲れさせるし、その活動を長続きさせられないかもしれない。
 だったならば、極端な言い方をするけど、できること、できていることを徹底的に伸ばす方が価値を持つし、場合に依れば希少価値的な存在にまでなれるかもしれない」
「できること、できていることか、なるほどね。今度じっくり考えてみる」
「でも、詠子さんの言葉を借りれば、無理は禁物だからね」
「了解です!」と彼女は敬礼するように手をおでこに当てた。小難しい話できっと面倒に違いないのに、そんなことを彼女はおくびにも出さない。いい意味で、育ちがいいのだろうと思った。
 アヒージョとチーズは届けられていたが、互いに口にしていなかった。スタッフはなんの感情も込めず定型句を告げるように、チーズひとつひとつの説明をしていったが、ゴルゴンゾーラ以外は記憶に残らなかった。僕は話すことへ集中していた。見たことのない種類のチーズへ手を伸ばした。酸味も臭みも強かったが、頭をすっきりさせる作用を感じた。彼女はゴルゴンゾーラを手に取り、うん、ゴルゴンゾーラだね、と普通のコメントを残した。アヒージョは完全に熱を失い、具材はただ沈んでしまって僕らへの期待はとっくに捨てているように見えた。スパークリンググラスはもう随分前から空になっている。
「どうだろう。僕はまだ話したいし、詠子さんのことをもっと知りたい。赤ワインを頼まないかい?」と、提案した。
「あら、さっきまでとは別人みたいね。お酒が入ると変身しちゃうのかな?」
「お酒はもちろん好きだけど変身はしないと思う。詠子さんにただ甘えているだけ」彼女は、ねえ、それってさ、と言って、こう続けた。
「言葉は違うけど。私のことを頼りにしてくれているってことでいいのかな?」
「その通りだよ。詠子さんとのこの時間は、きっとこれからの僕の支えになるはずだ」僕は、その確信を持つには至っていなかったが、ただ信じたかった。身を委ねたい相手は彼女だけだった。
「悪くない展開だな。私って頼られるの好きなの。さっき自信がないって言ったけど、頼られた瞬間は頑張れるの。でもね……我慢したり継続するってことができなくて、だから……」
「それ以上は言わなくていい。それはわかるし、僕も同じだから」
「翔一くんは、やっぱり優しい。気遣いみたいなものがすごい」
「それについては、これからの話に拠よって、全く反対の印象を持たれるかもしれない。それでも構わないと思っている。それで、赤ワインは頼む?」
「うん、飲もう。今日は飲み明かす?」
「詠子さん、お酒が強いの?」
「強くはないと思う。ゆっくりと飲むのが好きなの。結果的にたくさん飲んじゃうこともあるんだけどね。夫がさ、お仕事忙しい人だし、たまの外でのお食事でも、心ここに在らずって感じで、お仕事のことばかり考えているのよ。言葉には出さないよ。でも、そういうのって伝わってくるじゃない。だから、最近はゆっくり飲めたことってないな」
「そうなんだ。僕もね、ゆっくり飲む方が性に合ってるんだ。僕がご主人のことをフォローするのは全くの不適任者だとは思うんだけど、企業で働くってのは苦労も心配事も多いことはわかる。僕も少しの期間だけど、会社勤めしていたことがあるから」
「へー、そーなんだ。私も、もちろんあるんだよ」
「確かにそれはそうだろうね。お子さんもまだ小さいしね。どんな仕事をしていたの?」
「なんだと思う、ていうかなにしていそう?」
「難しいなあ。うーん。ご主人との出会いも加味して、同じ会社かな?」
「ファイナルアンサー?」
「うん。もう思いつきそうにないから、ファイナルアンサー」
「不正解です!正解は……結婚相談所」
「そうなんだ。全く知らないジャンルのお仕事だなあ」
「そこで夫と知り合ったの。彼は登録者だったの。結構年齢が高目だったし、偏屈な考え方をしているから、なかなかマッチングが成功しなくて私は苦労したの。おかしいでしょ、紹介する側とされる側が結婚するなんて」
「まあ、恋愛の始まりはひとそれぞれだから」
「はい!ここで、私のつまらない恋愛事情の話は終了。赤ワインを頼もう」
 僕らはフルボディにすることで意見は一致したのだが、彼女は癖の少ないものが好みだった。僕は自分の好みは言わず、スタッフへ要望を伝えて、数種類勧められ、彼女がそのうちの一本を選んだ。
 赤に染まっていくグラスを眺めていると、少しばかり高揚してきた。僕は闘牛士に翻弄される牛でもないのにと、おかしなことを考えた。
「いい色だね、濃い、濃い」と、彼女はグラスを持ち上げ眺めながら言った。
 二度目の乾杯には緊張からはとうに解放された親密さだけがあった。彼女は味に満足したように、うん、うんと頷いてから、
「そう言えば、さっきの話の続きを訊きたいんだけど」と言った。
「えっ、ベーシックインカムの話?」
「そう」
「興味あるの?」
「そこまでじゃないんだけど、思い立ったが吉日って言うじゃない?まずは知りたいことは訊いておきたい。訓練、訓練」
「なにが知りたい?できる限り簡潔に説明するよ。じゃないといくら時間があっても足りなくなるだろうし、詠子さんは飽きちゃうと思う」
「残念ながら、その通りだと思う」
「じゃあ、なにを話せばいい?」
「財源はどうするの?それだけ教えて」
「方法はいろいろ検討されているんだけど、ふたつだけ紹介するね。前提として、いまの年金やら生活保護などの社会保障制度を廃止し、全てをベーシックインカムに置き換える。これはこの後に紹介する両方に共通している。
 ひとつ目は、ひとりあたりの支給額が五万円程度なら、増税しなくてもいいという試算がある。しかしながら、それだけで暮らせるとは到底思えない。だから支給額七万円だったり、それ以上の試算も行われている。財源は富裕層への増税も検討材料に入っている。
 ふたつ目は、国が通貨をたくさん発行し、全国民に配分するというシンプルな方法なんだ。ここまではいいかな?」
「ついていけていると思う。でもさ、ふたつ目に言っていた国が通貨をたくさん発行するのって、インフレ起こすよね。通貨の価値が下がっちゃうんじゃないの?」
「その通り。価値が下がる。経済成長することが確実な国なら楽観視できるかもしれないけど、いまの日本の場合は容易ではないと思う。ただ、この方法論を信じる人は少なくないし、いまの僕の知識では否定はできない。詠子さんにちょっと考えて貰いたい。一万円の紙幣を刷るのにいくらコストが掛かると思う?」
「その質問の感じだと……何十円とかじゃない?」
「うん。その通り。何十円で刷ったものを一万円で僕たち国民へ日本銀行は結果的に売っているんだ。一見すると九千九百円以上の利益が出ているような印象が残る。その利益に見えるものは積み重ねると数百兆円にのぼるから、それを全国民に還元すればいいという方法論なんだけど、反論する学者や研究者も多いんだ。その利益的なものは、日本銀行にとっては負債として計上されている。負債の説明は割愛するけど、借金なんだから、遣っちゃ駄目だって考え方ね。
 ただ、これは返済期限のない負債なんだ。だから、それを国民に配っても大丈夫だろうという人も居る。僕に正解はさっぱりわからないし……詠子さんにも僕の説明がさっぱり伝わらなかったでしょ?」
「簡単ではなかったけど、翔一くんが簡潔に説明してくれたから考え方は知れたし、そういう議論が必要な世の中になっているんだってことは理解できたと思う翔一くんは、そういう社会保障的なことが専門なの?」
「全く……違うんだよ。来た依頼を成り行きに任せて受けていたら、ほとんどノージャンルになってしまったんだ。元々勉強することは好きだし、知らないことは調べる癖があるから苦でもなかったんだけど、いまは、ちょっと辛いというか楽しめなくなっている」
「そうなんだ……好きだからこそ続ける苦労っていうのもあるんだろうね。これからは違うことがやりたいの?」
「僕は読んだり書いたりが変わらず好きだから、ライターを辞めるつもりはないけど、これからは主に教育や家庭の問題を扱えるようになりたいんだ。ただ肝心の需要がない」と言って、僕は自嘲気味に笑った。僕らはずっとお酌し合ったりせず、自分のグラスが空けば、めいめいが注いでいる。もうボトルにはほとんど残っておらず、その空白の分だけ、充実感に満たされている。そして……今日はとてもリラックスできていることがわかる。僕は他者と過ごしていると往々にして自分の状態を把握できないことがある。間違いなく彼女から滲み出ている包容力のようなもののお陰だ。
「もう一本いかない?」と、彼女の方から声を掛けられた。
「もちろん」
「じゃあさ、これは美味しかったけど、今度は翔一くんの好みのものにしよう。さっきは私に遠慮して言わなかったでしょ」
「さすがだね。僕は特徴があるものが好みなんだ。チャレンジして貰ってもいい?」
「うん。そうしよう。私ね、食べものの好き嫌いは、人の好き嫌いに通ずるものがあると思っているの。まあ、それは母の受け売りなんだけどね。飲み物に関しては違うと思うよ。甘いものが苦手な人も居るし、健康的にもどうなのかって問題もあるし、ましてやお酒はね、アルコール自体が無理な人が居るから。私は両親からの遺伝によってアルコール耐性はあるから、是非チャレンジしたい」スタッフに声を掛け、ワインリストを求めた。癖が強過ぎず、それでも個性はしっかりあるものがいいと要望を伝えると、彼は少し考えて、しばらくお時間をください、ワインセラーにいいのがあるかも知れませんので、と言って部屋を出た。きっと一分も待っていないだろう。彼は一本携たずさえてきて、正直に言うとこれは好みがはっきりと別れると思います。しかし、なんとなくとしか言いようがないのですが、おふたりには、きっと気に入って貰えると思います。あくまでなんとなくです。
「難しい質問をするようだけど、どんな味なんだろう?」と僕は尋ねた。
「香りに強烈なインパクトはありません、ドライフルーツ系と言いましょうか。酸味は抑えめですが、タンニンはしっかりとした渋みを出しています」
「渋めだけど、どう、チャレンジしない?」と、僕は彼女へ尋ねた。
「私、いけると思う。ドライフルーツ大好きだから」お願いします、と彼女はスタッフへ丁寧に注文した。彼は慣れた手つきでグラスを取り替え、開栓を終えると、先程と同じでよろしいですか?と言った。一本目の折に、僕らはテイススティングを不要と伝えていた。よく磨かれた空のグラスに、薄っすらと映る自分が赤に染まっていくのをなんとなく眺めていた。彼女も同じようにしているように見えた。互いのなにかが少しずつ繋がっていっている、それはきっと実態を現すだろう。そう思えた。
「さっきのよりは少し尖っているんだけど、癖が強いってほどでもなくてシンプルさを研ぎ澄ましたような個性があるねその分癖になりそう。香りは私の大好きなラズベリーっぽい。飲むのが楽しくなる美味しさ。彼は優秀なソムリエなのかしら?」
「マニュアル的な話し方には好みは別れるだろうけど、ワインへの敬意と知識、顧客に対する洞察力には優れたものがあるかもしれない。僕は正直言うと、すごく癖が強目のものが好みだったんだけど、彼の選択には敬服するよ。本当に美味しい。発見だ」
 
「では、このワインを楽しみつつ、次の質問へいっていいからしら?」
「もちろん。今日はなんでも答えるつもりだし、僕自身が話したいから」
「翔一くんは、とても繊細だし、もちろん優しい。自意識過剰を認識できる客観性もある。でも、きっと、過去の女性たちも感じていたとは思うんだけど、ときには冷徹に他人を突き放す衝動を持ち合わせていると思う」彼女は間をおいた。敢えてなのは明らかだった、質問はこの後にある。僕に前提条件の確認をしているだけなのだ。
「その通りだよ。優しさは作りものでしかない。僕は自身を守ることだけで精一杯になっていた。いまでは冷徹と感じさせてしまう衝動とは距離を置きたいと思っている。それは本心なんだよ。本当の優しさは身につけられないかもしれない。せめて他者を傷つけることは、もう止めにしたい。僕の過去の行動を詠子さんに晒すことによって、そこにある核のようなものを現実的に掴みたい。半歩で構わないから前進したい。それが僕に、いまとれる最善の選択だと信じている。だから……」
「それ以上は言わなくていいよ。それはわかるし、私も同じようなもんだから」
「それ僕の台詞のパクリじゃないか?」
「発せられた言葉に著作権とかあるのかしら。共感したから借用させて頂いただけ。問題ある?」彼女は敢えて似合わない言葉遣いをして、一気に僕を手繰り寄せようとした。強引なくらいの方が往々にして物事は前に進みやすい。
「いえ、むしろ光栄です」と僕は応じた。
「よろしい。今日は私に甘えてくれるんでしょ?だけど、翔一くんの話を聴いた後に、私も話を聴いて貰いたいの」
「もちろん。僕も詠子さんのことを知りたい」
「ありがとう。では、さっき私がすやすや眠っていたときに考えていたことを教えて欲しい。きっとそれがこれから先の話に進むための、翔一くんに言わせるところの『最善の選択』ってものでしょ?」
「僕もそう思う。それが時系列に沿うことに繋がるし、助走には最適だ」
「で?」
 
#告白 ①#
 
 僕は可愛げのない子羊で彼女は媒介者だ。ようやく告白を開始した。
 僕は掻い摘んで、できる限り事実へ忠実になり再現するように努めた。家族構成から始まり、国立の中学校へ通っていたこと、国立の特異性、先生との出会いと圧倒的能力と存在感について、突然訪れた両親の離婚のこと、母が仕事を始めようとしていたこと、環境の変化に順応できず僕の行動が制御不能に陥ったこと、先生はそれに気づいていたことを、所々で区切りながら話した。彼女は小さく頷きながら僕のありのままを静かに受けとめようと、きっと……全力で努めてくれた。彼女も僕もグラスに口をつけ、互いのが空になっていくのを眺めていた。彼女が喉渇いたでしょ、と言って、チェイサーを注いでくれた。確かに渇いていた。一息で飲み干した。彼女は自身のグラスにワインを注ぎ、僕のにも注いでくれた。話に集中させるための彼女の気遣いだろう。
「ありがとう」と僕は言った。
「いまの話が私の眠りの間に考えるというか思い出していたことなのね?」
「その通りだよ。自分なりに再現はできたと思う」
「なんか、相当な馬鹿みたいね」
「僕の話が?」
「違うわよ。私が」
「えっ、なんでそうなるの?」
「翔一くんが苦悩している横で呑気に眠っていた自分が恥ずかしい」
「それが僕を救ってくれていたんだよ」
「気休めには相応しい言葉かもね。でも私は勝手に傷ついているの。その傷を癒すために、翔一くんのそれからをもっと詳しく聴きたい。翔一くんを癒すには程遠くて、それこそ気休めにしかならないのかもしれないけど、全てを聴くことで自らの傷を塞ぎたい。いいかしら?」
「それが僕の希望であるし、詠子さんの希望でもあるなら、喜んで話すよ」彼女は壁掛け時計に目を遣り、
「意外と時間は経っていないね。もう一本頼もうか?」と言った。僕も飲みたいと言って、同じものにすることにした。彼女も僕も随分と気に入っていた。
 
「それからのお母さんや翔一くん、弟さんは、どうなっていったの?」
「うん。その前に父のことを話しておきたい。その方が理解しやすいと思う」
「そうか、そりゃそうだよね。原因作ったんだもんね」
「いまとなっては、僕は原因とは捉えていないんだ。あくまで、ただのきっかけにしか過ぎなかったと思う」
「うん、うん。では、そのきっかけの話を聴こう」
「父は相当な無理をしていたようなんだ。それは特に経済面においてなんだけど、僕らの住むマンションのローンやら生活費、自らの新しい家庭のそれら全てを父ひとりが背負っていた。僕の母には収入がなかったし、新しい奥さんは子供を産んだばかりだから同じく収入はなかった。略奪婚と一般的には呼ばれるものじゃない?それを新しい奥さんの実家は決して認めなかったそうなんだ。もちろん、互いが成人の男性と女性なんだから、婚姻届は出していた。でもね、その実家は一切関与しようとしなかった。経済面でも子育て面でもね。父はそれなりの高収入だったんだけど、両方にいい顔をすることが現実的ではないことに気づき始めた。なんの計画性も確実性も持っていないのに、僕ら親子に『お金の心配はしなくていい』と約束したことが問題だったのだと思う。
 母は父が随分と追い込まれていることを察していた。おそらくだけど、仕送りが遅れることが続くとかがね、あったのだと思う。だから母は就職活動をしていたんだ。僕はただ怖くて理由を尋ねられなかった。僕らを悩ませる新しい種であるに違いないことはわかっていた。僕は本当のことから目を背け続けていた。
 
 父は無駄で傍迷惑でしかない延命措置を取っていた。会社のお金を私的流用し、取引先からのキックバックを得ていた。それはわずかな期間で会社に知られることになった。会社が社会的な体裁を考えたのか、父への温情措置だったのかは知らないんだけど、明るみにされることはなかった。しかしながら、当然雇用が継続されることにはならなかった。体裁的には自主退職扱いになったけど、実質は解雇だった。いくらのお金を不正に入手したのか僕は知らない。退職金はその一部の返済に充てられた。まあ、退職金支給があったことそのものが奇跡的に思えるけど、きっと会社側には温情とは違う事情があったんだと僕は推測している。
 そして僕ら母子は路頭に迷うことになった。父名義であったマンションは売って、その全ての売却益を父は持って、飛んだ」
 ここで一旦間を空けた。僕の話への理解度は問題ないことが彼女の佇たたずまいでわかっている。ただ一方的な話はしたくなかったし、会話を成り立たせるためのリズムを作りたかった。それには彼女の問い掛けが不可欠だった。
「いまのところは随分と酷な経験だね、としか言いようがないんだけど、その後お母さんは、どういう行動を取ったの?」
「まずは、住居探しだね。母の実家は地方にあって決して裕福ではないんだけど、最大限の支援をしてくれた。転居した先はアパートで間取りは2DK。
 前のマンションとは明らかに違って、内見するまでもなく外観から狭くて老朽化が進んでいるのはわかった。母は思春期の僕らを気にして、私はダイニングキッチンで寝るから、二部屋はそれぞれで使ってって言ったんだけど、僕らは全力で拒否した。母にはゆっくりできるスペースを持って欲しかった。なんとか説得に成功して、それで僕ら兄弟は一部屋で暮らすことになった。
 さっき就職活動がうまくいってなかったって言ったじゃない?いわゆる普通の会社には就職できなかった。資格を持っている訳でもなく、十年以上も仕事していなかったし、いくつかの派遣会社からは紹介され受け入れてくれそうな企業もあったんだけど、時給面や、休日の取りやすさとか、僕らのためだけに母は別の道を選択することにした。僕の学校行事は平日の昼間に集中しているし、毎日ではなかったんだけど弟のサッカーの送り迎えとかがあったからね」僕には彼女と同じリズムに乗れている確かな実感があった。
「翔一くんは随分とあっさりした物言いだけど、そのときのお母さんの苦労や心配には、掛けられる言葉がないくらいよ。想像するだけで胸が痛い」
「僕は自分のことだけで精一杯だった。声を掛けられなかっただけではなく、具体的なことはなにもできなかった。でも弟は違った。サッカーの送り迎えの間には、できる限り楽しい話をするようにしていたみたいだし、家事も率先してこなしていた。もちろんそこには、サッカーは辞めずに続けなさい、と言った母への感謝の気持ちがあったのだと思う……どっちが兄なのかって感じだったよ」
「兄弟ってどこかは似ているけど、当然別人だからね。私には翔一くんと同じ歳の妹が居るんだけど、芸術家肌でね、ずっと自分のしたいことだけをして暮らしているの。でもね、両親からの支援は一切されてないし、しっかり自立しているの。頻繁に実家に顔を出しては、いま自分のやっていることを説明して、心配させないように気遣いもできる。まあ、バランスよね」ああ、私の話をしている場合じゃない、と彼女は言って、
「それで、お母さんはどんな職業を選んだの?」と続けた。
「一言で済ませば水商売、夜の仕事を選んだ。給与面、時間の自由度を優先させたんだ。僕は、そんなことはして欲しくなかった。恥ずかしかった、自らの体裁ばかりを考え、平然と職業蔑視していた。これからの話の終盤で、ずっと誰にも隠しておきたかったし、思い出すことも拒み続けていたことへ僕は触れるだろう。冷静を保っていられなくなるかもしれない。そのときは、」
「大丈夫。私に翔一くんを安定させる素養があるかないかはわからないし、気休めを言うつもりもないけど、互いに自分を信じるしかないでしょう?私が話を聴きたいって言ったのよ、どんな事態が起こったとしても……私には覚悟がある」彼女が自らを鼓舞しているのが痛みとして伝わってきた。つい数時間前に彼女は、自信がないの、あるいは失われてしまったの、と言ったのだ。彼女と僕は見つめ合った。彼女の目には混ざりものが一切ない。彼女の覚悟が、すっと僕の胸の内に落ちていった。
「ありがとう。僕も覚悟する」深く息を吐いた。彼女も同じようにした。
「じゃあ、話を続けて貰えるかしら」
「母は、どんどん疲弊していった。母にはお酒を飲む習慣がなかった。それに身体を適応させるのも大変だったろうし、接客自体もそうだし、酔っ払いの相手をするのはもっと辛かっただろうと思う。母の働くスナックは主に会社員が利用するお店だった。住宅地にある地元のおじさん、おばさんに支えられているようなスナックではなかった。一見の客も少なくなかったし、たちの悪い常連も居た。母は精一杯、いい女で在ろうとした。
 僕は母の疲弊に呼応するように、負の感情に侵食されていった。それはもちろん、僕自身の問題であって、母とその仕事が直接的な原因ではない。多感な歳頃だから、影響を受けやすかっただけに過ぎないし、対して弟はずっと普通だった。むしろ逆境を楽しんでいるように見えた。
 学校での僕の様子は誰の目にも異常に映っていただろうと思う。授業中にトイレに頻繁に立ったり、教師の話が全く耳に入ってこなかったりした。友人たちとの会話中では、急に黙りこくり、気に障る言葉があれば、声を荒げることもあった。次第に友人たちは僕と距離を置き始めた。それは中学三年の始め頃だったはずだ。僕は自身を保ち、なにも考えないために、勉強にだけ集中した。授業には全くついていけていなかったから、学校の図書室や自宅近くの図書館で、平日も休日も関係なく勉強し続けた。付属高校には、どうしても進学したかったんだ。それが唯一、自らを守れる方法だと信じ込んでいた」間を空けた。彼女のためというよりも自らのために。疲れを解すように首と手首を回した。僕の目の前に居る彼女は間違いなく媒介者だ。子羊が狼になろうが、ハイエナになろうが、蛾になろうが、プレパラートに載る単細胞生物になったとしても、告白を最後まで見届けてくれるだろう。
「先生も距離を置き始めたの?」
「いや、先生は静かに観察しているように僕の目には映っていた。先生から声を掛けてくれることを、自分勝手に期待し続けていた。先生はいつも、想像力が全てなんだと、繰り返し僕らに言っていたことを思い出した。あるとき気づいたんだ。先生は僕の変容について想像しているだけなんだと、そして、もう既に見抜かれていることにも。だから僕も先生のことを想像しようとした。先生がなにを考え、計画し、行動しているのかを。最初はうまくいかなかった。でも、それを繰り返していると、ぼんやりと輪郭が見えてきた。先生から過去に発せられた言葉の数々、行動を振り返っていると、輪郭だけだったものが写実主義の絵画のように現実的なものとして脳裏に映った。
 先生はおおよその人生設計を終えて、それを計画通りに進めている。時間は先生の計画を進めるにとって最も大切な要素だった。一日は二十四時間であり、それは誰に対してもフェアだ。先生は一分一秒も無駄にしない人間だ。話をしたいなら、僕が時間を作って先生にお願いすべきだったんだ。先生はそのときをただ待っているだけだった。先生が僕に相対する準備を終えていることは明らかだった」
「ちょっと待って。圧倒的な人だとは聴いたけど、そんな中学生が実在するとは思えないんだけど」
「詠子さん、それは当然の感想だと思う。僕だって先生を直接的に知らなかったら、そう思うだろうし。でも、これはファンタジーでもなければ僕の誇大妄想でもないんだよ。現実にあったことなんだ。さっき詠子さんに言ったこと覚えているよね。できること、できていることだけを徹底的に伸ばし、できないことをすると……って話」
「もちろん覚えているよ。頑張って平均かそれより以下にしか達しないのならって話だよね?」
「うん。実はそれね、先生が中学生のときに教えてくれたことの受け売りなんだ」
「そうだったんだ……それを中学生にしてね……もう、なんか敗北感でいっぱい。でもまだ興味の方が勝っている。先生はさ、その能力をどうやって身につけたの?訊いたことはある?」
「直接的には尋ねていないけど、大体はわかる。圧倒的な読書量に拠って、もたらされたものだよ。先生は読んで知識をただ詰め込んでいった訳じゃないんだ。筆者が書く必然性、目的はなんなのか、納得がいかない場合は執拗に調べた。全く逆のことが書かれている学説で検証したりとかさ。特に数値や統計データへは敏感だったと思う。なにかのバイアスが掛かっているんじゃないか、誰かへの忖度が働いているものじゃないかとかね。
 小説だったならば、そこに書かれていることが普遍性――将来に渡って読み継がれる価値のあるものかを重要視した――作品には敬意を持ったとしても作家へは懐疑的だった。破滅的で傍迷惑な生き方しかできなかった作家は少なくないしね。
 まあ、得てしてあることだけど、そういう人物だからこそ、後世に語り継がれる作品を生み出すことができたのかもしれないし、対して読者は、自分とは全く違う人物が居て、違う人生があることを知る――その非日常感へ――魅了されるのかもしれない。ちょっと、僕の考えも話しちゃったけど、おおよそは、それで間違っていないと思う。先生は、読書体験に依ってのみ想像力が鍛えられると、ほぼ断言していた」
「ほぼなの?」
「先生はどんな可能性も排除しないんだよ。いつ想定外のことが起きるかわからない。ましてや、読書をしたくてもできない状況にある人も居るだろうし、それは障害を抱えているとかね。先生の求めていることは最大公約数であり他者との関わりによって発生する最大公倍数なんだ。それから漏れてしまう人々が居る可能性も先生は十分に理解していたしね」
「ごめん。ちょっとついていけなくなっている。最大公約数とか最大公倍数って、なんのことを言っているの?」
「公約数や公倍数の説明は省いていいよね?」
「それくらいはわかるわよ……得意ではないけど」
「オッケー。例えば、僕と詠子さんのふたりだけが住む島があったとしよう。そこで僕らは別々に暮らしていることを想像してほしい」
「うんうん、いいよ。なんか寂しいけど」
「僕らは別々に暮らしている訳だから、自分の食料は自らが調達しなきゃならないじゃない?毎日、釣りに出掛け、鳥を罠にかけたりとかね。それで得られる日々の食料は僕らの努力もあって毎日増えていくんだ。1、2、3、4、5とね。これの最大公約数はいくつだと思う?」
「2・5なんじゃないの?」
「それは平均値。答えは『1』なんだ」
「引っ掛け問題じゃない!」
「いやいや、そうじゃない。これからの説明をするための準備運動だよ」
「最大公約数は、割り切れる数値の中で最大のものを指すんだ。だから、さっきの数値を、3、6、12、24、48に置き換えたとしよう。これの答えは?」
「3でしょ」
「その通りだよ。それはどの数値にも当て嵌まる共通の要素と言える。先生の言う最大公約数は『誰にでも当て嵌まる最も大切な要素』を指している。ここまではいいよね?」
「わかった……と思う。続きできっと理解が深まると思う」
「それでいいと思う。僕が説明する順番の問題だから。では、説明を続けるね。さっきは小さな数値で計算したからわかりやすかったんだけど、例えば、100、1000以上のランダムな数値を複数集めて計算すると、最小の数値は100にも関わらず、最大公約数は『2』なんてことも起こるんだ。この計算は複雑だし、話の本質と外れるからしないでおく。先生の行動原理は『できる限り、誰にでも当て嵌まることを提供したい』ってことなんだ。そして、最大公倍数とは……さっき言った、島でふたり別々に暮らしているって設定をふたりで暮らすことに変える。協力し合うことによって、魚や鳥の捕獲方法が複数あるいは無限に増やせるかもしれない。それは捕獲数を最大限に増やすことを意味している。一言で済ますなら、協力の可能性は無限大ってことだし、先生は『協力した総合結果は、ひとりあたりの貢献度に関わらず均等に分配されるのが望ましい』という考え方を持っている」
「ようやくわかった……先生と呼ばれること……志しの高さと言っていいのかしら?それで、先生の言う『誰にでも当て嵌まることを提供する』っていうのは、具体的にはなにを指すのかしら」
「教育だよ」
 
 彼女は、そうか、そうか、と自身の脳細胞にある点と点を繋げて線に導こうとしているようだった。きっと娘さんのことも想像していることだろう。一方の僕は自身の話の途中で、他者である先生の話をしたことで、より客観性を手に入れたような心持ちになった。
「お話の腰折っちゃったよね」と彼女は言った。
「いや、むしろ助けられたよ。こんなにたくさん会話することは滅多にないから、僕にはリズムの取り方がわからないんだ。ちゃんと喋られるような気になってきた」
「では、続きを聴きたいんだけど」
「うん。そうしよう。僕は先生に声を掛けるタイミングを見計らった。側に他の友人が居ないときに、先生に相談したいことがあるんだと言った。先生は、では放課後に図書室で、とだけ言った。
 図書室の隅っこの方に僕らは腰掛けた。僕がどうやって切り出そうかと躊躇っていると、先生は、君は問題を抱えている、それは僕らの年代では家族か勉強か恋愛か……苛めに限られると思うんだけど、どうだろう?と言った。僕は他人事のように、そうだね……と言ってしまって、なんか恥ずかしくなったんだ。きっと赤面していたと思う。先生は、消去法で考えるなら、家庭環境に君は適応できなくなっている、間違っているかな?と言った。僕は、ただ頷くのが精一杯だった。先生は、無理はしなくていい、いまから僕の当てずっぽう的な推測を話すから、君はそれについてインプットすることだけに専念して欲しい。いまは、アウトプットするには適したタイミングではないと思う。
 結論から言う。君は『うつ病』か『躁そううつ病』を患っている可能性がある。僕がそう推測したのは、もちろん君の行動を観察し検証した結果だ。加えて、ひとつ断っておくことがある。友人たちが君から離れたのは、僕が彼ら彼女らに、そうした方がいいかもしれないと告げたからだ。最も避けなければならないのは、友人たちが君の症状に影響を受け、共倒れすることだと思う。
 残念ながら僕は医者ではない。アドバイスはできても診断することは不可能だ。僕の当てずっぽう的な話に君はショックを受けたかもしれない。しかし、治療を受けるのは早ければ早い方がいい。君は僕の大切な友人だ。救いたい。今日はここまでにしておこう。ゆっくりで構わないから検討してみて欲しい、というようなことを先生は僕に告げた。
 先生は、いつの間にか席から消えていた。
 僕は、うつ病?躁うつ病?……ショックを受けるとかじゃなく、その単語だけが頭の中をぐるぐる回って、実際に目眩を起こして、席から転げ落ちたんだ」
「……きっと、そのときの翔一くんは、慰めとか癒しを先生に求めていた訳じゃないんだよね。それでもあまりに現実的過ぎる推測を突きつけられたことで、まだ中学生だった翔一くんが前後不覚っていうのかしら、そういう状態になったのはわかる。私だったら、どうなっていたのか、全く想像がつかないわ……まだ続きを聴きたいんだけど、大丈夫?」
「もちろんだよ。僕は語り尽くす。ただ詠子さんが辛くなったら、そのときは遠慮なく言って欲しい」
「ええ、そのときがもしも来たらね。興味の方が勝っていて来ないと思うけどね」
「では、続きを話すね。僕は落ち着くまでに少しの時間は必要だった。先生は僕にインプットに専念して欲しいと言っていた。縋すがれるのは先生の言葉しかなかったのだから、僕は図書室にそういった類いの本があるんじゃないかと思って探した。二、三冊あった。その中で、最も簡単そうに見えた本を軽く読んだ。真正面から向き合うほどの気力はなかったしね。そこに書いてあった症状は、僕に当て嵌まることもあれば、そうではないこともあった。うつ病や躁うつ病は、如何なる病気もそうであるように、ひとりひとり症状が異なるんだ。ついでというか、目に入ったから他の精神疾患についても読んでみた。それらよりは先生の言った病名の方が腑に落ちた。
 数日考えた。僕はその頃、不眠にも悩まされていた。疲れがリセットされない脳みそで、精一杯にね。僕は母に相談するしかないと思い始めた。アウトプットしてもいいタイミングか自分では判断できなかったから、また先生に教えを請うた。先生は小さく頷き、それがベターな選択だと思う、と言った。
 家に帰ってから、出勤前の母に言っていいものだろうか、負担にならないだろうかと悩みはしたものの、いつ言ったとしても結果に変わりはないだろうと思って、学校での僕の振る舞いから始まり、先生から受けたアドバイスのこと、僕なりに学んだこと、病院へ行きたいことを纏まりなく話したのを覚えている。母は、ごめんねと謝った。自分自身も翔一の異変には気づいていたし、クラスの担任からも連絡があったから……と言った。母は涙を零しながら、何度も何度もごめんねを繰り返した。感情の外壁が決壊した。僕は、泣き、鼻水を垂らしながら、座布団に顔を埋め、何度も何度も畳を叩いた。
 母が出勤した後、弟が、お兄ちゃん、大丈夫だよ。いや大丈夫ではないんだろうけど、俺も一緒に戦うからさ、って言ってね、また号泣だよ。もう本当にどっちが兄なんだかって、情けなくもあり、頼もしくも思い……救われたのは間違いない」彼女はごく自然な優しさでティッシュを渡してくれた。僕は止め処なく流れる涙を押さえ続けた。
 ……どれくらいの時間が経ったろう。痺れた脳を活性化するのは容易ではない。まだ終わっていないんだと自らを鼓舞しようとした。
「ゆっくりでいいのよ。ついでに私の涙を受け止めて」彼女も頬を濡らした。なんでだろうか。僕が涙を流し、呼応するように彼女が流すこと――それはきっと同情などではない――なにかを一緒になって溶かしているんだと思えた。
  ひとしきり互いに泣いた。ゆっくりと溶け出したものは、僕の脳を活性化する作用があった。彼女は察知したのだろう。どう準備は整ったかな、と言った。
「うん、お陰様で。なんとかいけそうな感触がある。では、続けるね。母に話してから、あまり間を置かずして、心療内科へ行った。医師へは主に母が症状を伝え、僕が更に必要と思えることを、つけ加えるような具合で相談した。抑うつ状態であるのは、おそらく間違いないだろうが、躁うつかどうかは現段階では判断できないと言われ、睡眠導入剤と抗うつ剤を処方された。
 薬で症状が容易に改善されるってことはなかった。睡眠導入剤は幾ばくかの眠りを与えてくれたけど、抗うつ剤は効いていると思えなかった。鬱々としている気分や衝動的な苛立ちを抑えるには至らなかったから、何度も薬を変えて貰うことになった。症状が治まってきたと思えるようになれたのは二ヶ月くらい経ってからだった。先生には心療内科へ行ったこと、薬を色々と変えながら治療していることを伝えていた。先生はいつも真剣な眼差しで僕の話を聴いてくれた。友人たちが、徐々に僕との距離を縮めているように感じられた。なにも語られなかったけど、先生がなんらかしらかの行動を起こしていることは僕にはわかった。担任教師には母から状況を伝えて貰っていた。
 症状が八割方抑えられているように僕が手応えを感じ始めた頃、先生に、提案があるんだが、と声を掛けられた。放課後の教室でふたりきりになり、随分と君は回復してきているように見える。しかし、いつなんどき再発するかわからないだろう?と、先生は言った。僕は、医師にも言われていることだったから、そうかもしれない、と答えた。先生は、そこでさっき言った提案なんだが、数人の友人には明かさないか?と言い、友人たちは、もう受け入れる準備を終えていると続けた。君に断らず悪いとは思ったんだが、状況についてニュアンスだけは、もう伝えてある。賢明な彼ら彼女らは、静かに受け止めていたよ。もしも再発したときは、彼ら彼女ら、もちろん僕も含めてね、微力ながら助けになりたいと願っているんだ、どうだろう?と尋ねられた。僕に提案を断る理由は全くなかった。ありがたい、でも上手く伝えられる自信がないんだ、と正直な気持ちを伝えた。先生は、心配しなくていい、僕らなら上手くやれる、と断言した。こういうときの先生の言葉には圧倒的な説得力があるんだ。僕は、うん、やってみる、と答えた。先生は席を立ち、教室を出た。すぐに、友人たちが走って入ってきた。中には息を切らしている者も居た。僕は、まず迷惑を掛けてばかりいたことを謝ろうと思ったんだけど、ひとりの女子が、ごめんね、なんにもわかってあげられてなくて、なんにも力になれなくて、と言って泣き始めたんだ。僕の視界は滲んでいった。皆が皆、もうなにも言わなくていいから、と声を揃えて言ったんだ」
 
#告白 ②#
 
 活性化された脳は、もう痺れることはなかった。閉店の時間が気になったし、それよりもっと彼女の気力の残量が気掛かりだったから、残りの話は今度にしようか?と尋ねた。彼女は、それに答えず、
「翔一くんは、お母さんと弟さんとお友達たちに救われたんだね。きっと、自分はなんの力も持っていない、全てはその人たちが、もう一度立ち上がる環境を整えてくれたんだって思っている。でもね、私はこうも思うの。その人たちは翔一くんを救うことで、自らのことも救っていたんだろうってね。私は最後まで話を聴きたい。それが私自身を救うことになるんだろうって感触があるの。閉店は二時だから、まだ随分とあるわ。翔一くんは、どう?」
「詠子さんが求めてくれるなら断る理由はない。では、続きを始めようか」
「その前にメイクを直してきていいかしら、もうマスカラが酷いことになっているから」
「ごめんね……」
「そんなことはいいから、翔一くんも顔を洗ってリフレッシュしてくるといいよ」
 鏡に映る顔には、薄っすらと伸びてきた髭以外、特段変化はないようだった。水を顔に浴びせると酔いから少しばかり覚醒していく感覚があった。
 個室へ戻ると、まだ彼女は不在だった。メイク直しとともに実家へ電話して娘さんの様子を確認しているのかもしれない。
 戻ってきた彼女は完璧に美しさを取り戻していた。
「綺麗だね」
「酔っている?」
「少し酔ってはいるけど、正直な感想だよ」
 彼女は、そんなことは、どうでもいいから、もう一本飲もうよ、と言った。スタッフへ声を掛けて、締めに相応しいものと厄介な問い掛けをしたのだが、彼はワインセラーに向かい、あっさりと一本携えて戻ってきた。これについて説明は致しませんが、今日の締めには相応しいはずです、と全く感情の伴わない口調で、ほぼ断言した。僕らは彼に反論やら質問するつもりは全くなかった。彼がそう言うのなら、そうなのだろうと信じられた。
 
「深い、深いね。飲み続けているのを忘れちゃうくらい新しい気持ちにしてくれる」と彼女は感想を述べた。僕は仰る通りだと思った。彼には特殊な能力が備わっているのだろう。では、続きを聴こうかしら、と彼女は言った。
「そうしよう。ほぼ再生した僕は、そのまま付属高校へと進んだ。先生や友人たちとのつきあいは、より濃密になっていった。誰しもがそうであるように、僕らも大人への階段を上って行った。先生は高校でも圧倒的だった。外部からの進学生も僅かながら居たんだけど、誰も先生に勝負やら議論を仕掛けるような者は居なかった。先生と出会ったときから感じていたことではあるんだけど、朧おぼろげだったオーラのようなものが、くっきりと輪郭を持つようになった。先生を取り巻く人々は必然的に増えていった。こんなことを言うと教祖的な存在に思われるかもしれないけど、見てくれは同じだとしても、本質は全く異なっているんだ。誰のことも従わせないし、自らの考えを押しつけることはなかった。問われれば答えるというスタンスは中学の頃からなにも変わっていなかった。そういう意味では、先生はいつも受け身だった。
 僕の高校時代は、ただ楽しかった。先生や友人たちと共に学び、共に遊んだ。エピソードはたくさんあるんだけど、この話の本質からは脱線するだけだから割愛するね。
 先生はアメリカにある複数の大学に受かったんだけど、東京大学の法学部で学ぶことを選んだ。一方の僕はセンター試験に失敗して、私立大学の文学部で社会学を専攻することにした。母は、東京大学に行きたいんでしょ、一浪くらい、どうってことないから、もう一度チャレンジしたら、と言ってくれた。その頃の母は別の店に移り、雇われママのポジションに居た。離婚当初より家計には幾ばくかの余裕があるようだった。でも甘えるのは忍びなかったんだ。諦めるというより覚悟を決めたって感じだった。
 社会学を選んだのには、先生の存在が大きく影響している。人間とは?その集合体である社会の構造とは?文化とは?なんてことを学び、想像力を逞しくしていきたかった。先生はいつも人を観察し、想像力を発揮し推測し検証することが常な人物であったから。同じ学問ではないけど、方向性はそんなに違っていないんじゃないかって思っていた。実際は、まるで違ったんだけどね。先生の思慮はそんな浅いものではなかった」
「ちょっと確認なんだけど、ずっと治療は続けていたの?」
「うん。続けていた。何度か薬を飲み忘れることはあった。そうすると目眩めまいがし、やはり鬱々としてくるんだ。それを離脱症状と言うんだけど、薬は手放せないものになっていった」
「躁うつではなかったのね?」
「いや、いまの僕には躁うつの診断がされ、治療が施されている。大学時代の話は飛ばそう。ただ先生や友人とはいまも、つきあいがあるってことだけは伝えておくね。
 躁うつの診断がされたのは、僕が会社勤めを始めてから、二年弱くらいのときだったかな。働くまでは、わからなかったんだけど、僕は与えられた業務を、ただ遂行するということができなかった。自分自身のままでは居られなくて、自作自演で役作りをしていたようなんだ。その役は『完璧な演技』を必要としていた。僕に限らず社会で演技しながら暮らしている人は少なくないと思う。僕が違ったのは、常にハイテンションで居ないと演じ切れない点だった。それは傍目からだと、一所懸命に働いているようにしか映らなかったと思う。妙に明るかったり、声が大きかったりするような、わかりやすさはないんだ。
 自覚症状が出たときには、もう手遅れだった。
 僕には大学時代からつきあっている彼女が居た。彼女には僕の病気のことは、もちろん話していた。彼女から再三に渡って、おかしくなっている、と言われていた。過労死認定レベルの残業をこなし、求められてもいないのに同僚の仕事を手伝ったり、プライベートでは使いもしない家電や多量の衣服を買ったりね。彼女から心配されることが、どんどん重荷になっていった。社会人になって一人暮らしを始めていたから、僕の変容に気づいていたのは彼女だけだった。現実から逃げ、彼女の目を盗み、複数の女性と関係を持っていった。お金をたくさん遣い、性関係が乱れるのは躁症状の典型的なパターンと言われている。わかっているのに、自制することは全くできなかった。彼女は、それでも僕を見捨てることはしなかった。何度も何度も、ただ心配なの、翔一が死にそうな気がするって……
 それでも、僕は医師に相談することもせずに同じような暮らしを続けていた。
 その日、いつも通り深夜になって仕事を終えて、帰宅した。
 玄関に彼女の靴があったから、来ていることはわかった。いつも通りテレビを視ながら僕を待っているか、もう寝ているか、どちらかだろうと思った。
 でも、彼女はテレビの前にもベッドにも居なかった。
 僕のサンダルでも履いてコンビニにでも行ったのかと思った。
 いいや、サンダルは玄関にあった、そんな訳ない。
 違和感しかなかった。ベランダに出て、見下ろした……なにもなかった。
 当然だ、ベランダの鍵は掛かっていたのだから。
 鼓動が、その響きが、どんどん大きくなっていった。
 灯りの点っていない風呂の扉を開けた。
 彼女は湯船に浸かり、頭を壁にもたれ掛け眠っているように見えた。
 灯りを点し、声を掛けた。全く反応がなかった。
 彼女の肌には、ほとんど温もりを感じられなかった。湯船から引っ張り出し、鼓動を確認した。それは本当に微かなものだった。救急車を呼び、その間に彼女の身体を拭い、クローゼットから彼女のパジャマを取り出し着させた。これ以上体温が奪われないように、布団を被せた。
 僕がパニックになっている場合ではない、なにが起きたのか?
 彼女は手首を切ったりしていた訳ではない。
 テーブルを眺め、ゴミ箱を開いた。
 僕の睡眠導入剤の殻が多量にあった……
 
 救急救命士と医師による懸命な措置のお陰で、彼女の命は取り留められた。もう少し多く摂取し、もっと発見が遅れていれば……難しかったでしょう、と告げられた。
 事件性も検討され、僕は取り調べを受けることになった。なにも話せなかった。事情説明が必要なのはわかっていたけど、全部が言い訳にしかならないのは明らかだった。僕が彼女の命を奪いそうになったことには違いないのだから、罰を受けて当然だと思った。
 翌日の夕方頃、僕は解放された。刑事さんは多くを語らなかった。彼女を大切にしてやれよ、と一言だけ。母が迎えに来てくれたんだけど、なにも話せなかった。母は僕になにも説明を求めなかった。
 その翌あくる日、彼女の元を訪れようとした。でも、なにを語るべきなのか、なにを謝るべきなのかは、わからなかった。ただの自己満足でしかない訪問は、病室に居た彼女の両親により拒まれることになった。
 これほど自分の存在を消したいと思ったことはない。でも……朦朧もうろうとした意識の中ですら、死ぬことだけは違うとわかっていた。これ以上、彼女に重荷を負わせてはならない。
 
 僕は自分にできることをしようと考えた。医師の元へ行き、症状の変化を告げた。彼女のことは話さなかった。病気はきっかけですらなく、踏み留まれなかった僕自身の問題だった。躁うつの診断がなされ、処方薬が変わり、しばらく仕事を休んだ方がいいとアドバイスを受けた。休職に入ることを母に伝えると、帰って来なさい、と心配を掛けてばかりの僕へ言葉を掛けてくれた。その頃の母は独立し小料理屋のオーナーになっていた。母は僕ら兄弟にはいつも優しいし、たゆまない努力を継続し、逞しさを手に入れていた。僕は確かに母を頼りたかった……でも……苦しませ傷つけた彼女のことを放って置いて、自分が安全地帯に逃げるのは違うと思ったんだ。母には、苦しくなったら必ず帰るよ、とだけ答えた。母は、必ずよ、翔一の部屋もあるんだから、と念押しした。
 僕は日にちの感覚がうまく掴めなくなった。仕事をする訳でもなく、通院する際以外は、ただ家に居るだけだからね。きちんと早く寝て、朝起きることの繰り返しだけはできた。
 それから、彼女へ会うことは二度となかった。
 いつのことだか、もう思い出せないんだけど、彼女から短い手紙が届いた。
『翔一、ただ生きて。それが私の唯一の願いであり、祈りなの』
 僕は、僕自身の行為によって彼女が苦しみ耐えかね、自らの生を絶とうとしたんだと、とんでもない思い違いをしていたことに、気づかされた。
 彼女は命懸けで僕へ、死んだらどうなるかを伝えようとしたんだ」
 
 僕には告白し終えた解放感などまるでなかった。ただ、無視し続けていた都合の悪い事実を語ったことで、やはり立ち留まっている場合じゃないことだけは、わかった。
 詠子さんは、僕の話を聴くことが、自らを救うことになると言っていた。自分のことよりもそっちの方が気に掛かった。
「正直に言うと、いまの私では軽はずみに感想を言えるような話ではないわ。ただ、その彼女が、いまどういう暮らしを送っているのかは気になる」
「僕もずっと気に掛かっていた。当分情報は全く得られなかったんだけど、数年経って大学の友人から、彼女が結婚したと知らせを受けた。それで僕の罪が軽くなることはないし、立場上赦されることではないけど、胸の内で祝ったんだ」
「そう……それから翔一くんは、どうしたの?休職していたんでしょ」
「休職期間を経て退職した。組織で働くことが自分にはできないことがわかったから」
「先生には彼女のことを話したんでしょ?」
「ううん。誰にも話していない。母はほとんどを察しているようだけど。話すのは今日が初めて、詠子さんが初めての相手なんだ」
「それを喜んでいいのかはわからないけど、私が求めたことだし、まだ知りたいことがあるの。そのことを自分なりに考えて決めたいことが私にはある」
#先生との問答
 
「私と翔一くんに共通する話を聴きたい。さっき罪という言葉を遣ったでしょ。私は自分を罪深い人間だと思っているの。それと翔一くんが最近は教育に関心を持っているって言ったじゃない?それって先生の影響を少なからず受けているよね。私には娘が居るから、その話も聴きたい。きっと参考になると思うの。纏めるとテーマは罪と教育かな。まあ並列するとおかしな感じだけど、私の中では繋がっているのよ」彼女が僕へなにを求めているのか、さっぱりわからなかった。しかし僕の告白へ向かい合ってくれた御礼はしたいし、まだ彼女の話は聴いていない。媒介者になれるかどうか、それは結果次第だと割り切るしかない。
「僕に罪悪感はあっても、罪への見解はない。教育についても、まだ手掛かりを得られているとは言えない。だから両方とも丸々、先生から聴いた話になるけど構わないかな?」
「ええ、もちろんよ。翔一くんの話し振りには、かなり説得力を感じているから」
「自分ではわからないな……では先生から聴いた話をしよう。その前に前提を伝えておいた方がいいと思う。
 先生は法科大学院に進み司法試験に合格したんだけど、法曹界には進まなかった。文部科学省で教育を改革する道を選んだ。司法試験は、いずれ法整備を行うための、ただの土台作りにしか過ぎなかった。
 僕の友人には先生を含めて官僚が数人居るんだ。国立の付属中学、高校出身者だから、なにか人の助けになることをしたいと考える者はまあまあな割合になる。ある意味では、そういう教育を受けてきた結果とも言える。中には上昇志向ばかりで官僚のトップを担いたいという野心家も居るんだけどね。
 僕らは年に数回は集まる。先生は多忙を極めているから一回か二回しか来られないけどね。その一回か二回は皆にとって貴重な時間なんだ。学生時代は先生へ毎日のように話を聴いて貰ったり、教えを請うたりできたから、先生が来る会は示し合わしたように、あまり飲まず、先生から新しいものを得ようとした。
 罪の話題が出た会に、先生は遅れてやって来た。先生が来るなり、法務省の刑事局で勤務しているひとりが、いきなり議論を吹っ掛けたんだ。彼だけは、いささか飲み過ぎていた。これからは、彼のことを便宜上Aと呼ぶね。
『凶悪犯罪は減少傾向にあるが、ゼロには程遠い。凶悪犯罪にはもっと厳罰化が必要だと思うんだが、先生はどう思う?まあ、ゼロになって仕舞えば俺の仕事はなくなるんだけどね』と全く支離滅裂なことを言って、場は一瞬で凍りついた。一方の先生は苦笑いを浮かべるだけで、いつも通り静かに受け止めているように僕の目には映った。
『厳罰化を実行することで、凶悪犯罪が減少するエビデンスは存在しているのかな?』と先生は問うた。
『それは言わずもがなだろう。人間は自分が犯した罪でどれくらいの量刑を受けるのか、考え、厳罰なら押し留める効果はあるはずだ』とAは言った。僕にですら先生の質問への答えになっていないことは明白だった。ただの推論に過ぎず、Aはエビデンスを示すことができなかった。
『君の言っていることは、わからなくもない。だが厳罰化を考える前に、もっと根本的なことを見つめ直す必要がある。これは君にだけ言っている訳ではない。ここはディベートする場ではないはずだ。僕にとっては、貴重な意見交換や尊い思い出話で息抜きをする場でもあるんだ。
 でも、どうだろう、みんな、せっかく彼が罪と罰というテーマを投げ掛けてくれたのだから、少しの間、意見交換しないか?』と、先生は言ってから『その前に僕にも、せめてビールを与えて欲しいんだが……』と続けた。Aは諦めたと言わんばかりに、反り返り、全員で笑ったんだ」
「なに、なんなの、その受け止めっぷり。喩えは得意じゃないんだけど、大横綱の相撲って感じかしら」
「詠子さん、喩えが上手いじゃないか。言葉を借りるなら土俵上では誰へも対等である立場を崩そうとしないし、どんなときでも感情を制御することは先生には余裕なんだ」
「それ、何歳くらいのときのエピソードなの?」
「はっきりとは覚えていないけど、三十にはなっていなかった」
「……今日はたくさんのお話を聴いたから、お腹が一杯になっているはずなんだけど、これは予想通り別腹だわ……続きを聴かせて」
「先生のビールが到着してから、改めて乾杯した。しばらくは記憶に残らない些末な話をしていた。先生はAの様子を気に掛けているように見えた。
『A、君の置かれている状況は、なんとなくだが想像できる。僕らは同じ霞ヶ関で働く仲間であることを忘れないでくれ』と先生が言った。
『なんで、先生はいつでも、誰にでも優しくできるんだ……俺は違うんだよ』
『君にできることがあるのを僕は知っている。だが、今日のテーマは軽いとは言えない。後日にしようか?』
『いや、今日のテーマで扱って欲しい。俺はそのためにここにやって来たんだ。なのに……さっきは無礼な態度をとって申し訳なかった』
『君がそう言うのならそうしよう。ただプライベートの場で自らの仕事に近い会話をするのは、君を酷く消耗させるかもしれない。そのときは別の話題に変えたい。いいかな?』
『それで構わない。俺も場の空気をおかしくするのは、もう勘弁だ』
『みんな、それでいいかな?』全員が、うんうんと頷いた。
『では、始めようか。さっき根本的なことを見つめ直す必要があると言ったが、そもそも罪とは一体なにを指しているんだろうか?』
『まあ、一般論では、法を犯すこと全般だろうな。でも、先生の言っていることは、そんなことじゃないんだろう?』と、ひとりが答えた。
『法は国や世界の規律として、重要な役割を担っているのは疑いようのない事実だ。だが、法を犯すことだけが罪なんだろうか?』僕は自身の罪が突きつけられたような気持ちになってしまった。
『思いつきだけど、誰かを陥れたり、笑えない嘘を吐いて人を傷つけたり、無責任な誹謗中傷や根拠のない噂話も罪だと思うな。ちょっとずれるけど、誰かが成功したり勝利したりすると、反対側には敗者が存在する。それも罪かもしれない』と誰かが言った。
『なるほど。その通りだと僕も思う。では、意識的無意識的に関わらず、誰のことも傷つけず、迷惑を掛けずに暮らすことは可能なんだろうか?』と先生が問い掛けた。
『不可能だな』と誰かが言い、全員が頷いた。
『ということは……賢明な諸君なら、わかっているだろう?』
『全員が罪人つみびとだ』と二、三人が声を合わせ言った。
『かなりの極論だよなあ?』と先生は言った。
『おい!先生が言わせたんじゃないか!』と、その二、三人が突っ込んだ。
『冗談だよ。すまないね、笑いのセンスがなくて。それはそうとして、そろそろ僕のことを先生と呼ぶのは止めにしないか?学生時代はキャラとして、自ら受け入れているところもあったんだが、さすがに……この歳になるとね……』
『それは僕らの自由だろう。先生を傷つけているのなら止めるし、尊敬できなくなったら、自然に呼び捨てにするよ。おい、田中ってね』と誰かが言った。
『いや、傷ついてはいない。ただ恥ずかしいだけなんだ』
『じゃあ、堪えてくれ』
『わかった……堪えます』
『そんなコントじみた物を観に来たんじゃないんだよ。罪の話の続きを聴かせてくれ』と誰かが先を促した。
『では……仕切り直すよ。さっきの極論なんだが、ときにはそこから物事の本質を導き出すことができる。全員が罪人つみびと、という前提に立てれば、お互い様の気持ちになれる。ごめんねとありがとうが溢れるようになる。それはなんでもかんでも赦すっていうのとは違って、互いの立場や環境をせめて理解はしようと努めることに繋がるんじゃないか。そこから協力や寛容さが育まれ、社会が成熟していくと思うんだ』
『それは、罪に罰は必要としていないということを示唆しているのか?』と誰かが尋ねた。
『全く違うとは言えない。的を刑事罰に絞るが、僕は現在の罰の在り方に、ただ懐疑的なんだ』
『懐疑的ではあるけど、断定はできない?』
『まあ、そういうことだね。A、君からみんなに説明して欲しいことがある。現在の懲役刑の実態と再犯率について。いいかな?』Aは、わかった、と言って、
『まずは懲役刑から話そう。みんなもわかっていると思うが、有期懲役と無期懲役がある。どちらも刑務所での過ごし方に違いはない。閉鎖環境に置かれ、刑務官の監視下で、ほとんどの自由を奪われることになる。それは国の意志だけでなく、被害者心情を慮おもんぱかるという側面もある。具体的に受刑者へなにが行われているのか。大枠では矯正処遇で、社会生活に適応できる能力を育成することを目的としている。目的達成の手段は三つある。一つ目は刑務作業、二つ目は改善指導、三つ目は教科指導だ。これらの詳細を説明する必要はないだろう?』と皆に確認した。誰もが大体の想像はできていたから、口を挟む者は居なかった。
『続いては再犯率についてだ。満期で釈放された受刑者が再度犯罪を起こし、五年以内に再入所する率は、実に五十%を超える』マジか……とか、なんだそれとか、皆口々に呆れの言葉を吐いた。Aは、先生が俺に言わせたいのは、それだけじゃない、と言って、
『矯正関係経費の予算は二千三百億円を超えていて、受刑者ひとりあたりは年間三百万円程度掛かっていることになる。これは単純比較だが、生活保護受給者と並べると二倍のコストが掛かっているんだ』と続けた。
『オーマイガー』
『やっちゃってんね。これは』とか、何人かが口を開いた。
『最低限の基本的人権は守られ、雨風を防げる部屋の中で暮らせるんだろう。再犯率が高いのは理解できる』と誰かが言った。Aは、
『さっきも言ったが、犯罪率は低下している。二千三百億円の予算も低下していくという考え方もできる。一方で日本の経済格差は広がるばかりだ。貧富の差が広がれば広がるほど、治安が悪化するという国際的な傾向があるのは事実だ。日本人の国民性から一概にそれを当て嵌めるのは強引かもしれないが、危険性は考慮すべきだ』と言い、先生が俺に言わせたいのは、これらだけじゃないだろう?と続けた。
『君のコンディション次第だとは思っていたんだが、それは僕の考え過ぎだったことがわかった。続きは僕が引き受けるよ。さっき厳罰化という言葉が出たが、日本での極刑は死刑だ。僕は他国と日本を単純に同じ指標で比較するのは好まないんだが、先進国と呼ばれる国で死刑制度があるのは、日本とアメリカと韓国だけだ。しかしアメリカ全土ではない。複数の州では廃止されている。韓国では制度はあるものの随分な期間に渡って執行されていない。死刑制度廃止を実行した国々の多くは倫理観や宗教観に因るものであり、冤罪の場合には取り返しが効かないという側面もある。
 日本での、ある世論調査では死刑容認者が八割を超えている。一方で死刑は廃止すべきと答えた者は一割に満たない。これは、日本人に倫理観が欠けていることを示唆するものなのだろうか。それともほぼ無宗教国家と言えるからなんだろうか?
 僕は、そのどちらも否定しない。だが僕はそれらに関わらず、理屈抜きで、国に依る死刑執行が罪を贖あがなうことに繋がるとは、どうしても思えないんだ。理屈をこねるならば、死刑は国が合法的に殺人を行うということだ。個人に許されていないのに、なぜ、国には許されているのだろうか。死刑が確定した瞬間に、幾ばくか救われる被害者遺族が居るのは事実だ。しかし、実際に死刑が執行されると、被害者遺族の少なからずが、反転するように、決して乗り越えることのできない酷い苦しみを抱え続けているのも事実だ。加えて、どれだけ覚悟を決めていたとしても、執行役に指名された刑務官の心には傷を残している』
『つまり先生は死刑廃止論者ということなのか?』とAが問うた。
『僕は、その道の専門家ではないからね。確信は持てていない。ただ、罰の在り方、罪への贖い方には、別のアプローチ方法があるのではないかとは思っている』
『それはなんなんだ』とAが尋ねた。
『そもそも僕は矯正という言葉に違和感を持っている。矯正には、欠点を直すこと、正常な状態に正すという意味がある。僕は、皆に語ったことがあるだろう。できること、できていることを徹底的に伸ばすことにこそ活路があるって話ね。欠点、つまりできないことに焦点を当て過ぎることで反作用が起きることがある。それが再犯率の高さに現れているのかもしれない。
 国は僕らに等しく教育を施すだろう。残念ながら環境が影響して、きちんとした教育が受けられない子供は少なくない。それは現在の教育制度、社会システムへ問題があると言わざるを得ない。そして教育は決して、子供へだけ必要とされているものではない。社会人になって、企業で研修を受けることも、その一例だ。さて、話を受刑者の矯正に戻そう。矯正という言葉を、再教育、学び直しに置き換えるだけで、意味や目的や手段が変わるとは思わないか?
 これも極論だが、再教育、学び直しにおいて、基準を満たした者は釈放し、満たさない者は釈放しない。すなわち、裁判で確定させるものは有罪か無罪かに限られ、刑期は再教育、学び直しの習熟度次第となる』皆が、かなりの時間、先生から発せられた考えを想像し、検討していた。
 テーマを投げ掛けたAは、こんな風に自問自答を繰り返していた。
『先生が言っているのは、裁判で確定した刑期を満了することには、最早意味を見出せないということだろうし、受刑者に罰を与えるのではなく、期限の設けられていない再教育を施す、いや違うな、加害者の自己責任を追及するだけではなく国が責任を持つということかもしれないし、被害者がひとりでも減ることを目的とする、ということなんだろう。釈放のレベルに達しない受刑者には、罪の内容に関わらず無期刑と変わらなくなるから、もしかすると犯罪抑止力は強大になるかもしれない。いや先生は犯罪抑止力を考えている訳ではないか……』
『具体的には、どんな再教育になるんだろうか?」と誰かが先生へ尋ねた。
『僕の考えは以上だ。実際的に運用可能な方策はAが未来を想像し、検討と検証を重ねた方が余程、役に立つ』と先生は言った。Aは、最後にと言って、こう尋ねた。
『それを実現するためにはなにが不可欠なんだろう?』
『……愛情だよ……』と皆を包み込む優しい言葉で先生は応じ、こう続けた。
『そして罪人つみびとを受け入れる社会を創る行動だ』
 
 僕は、それまで一言も発しなかった。ただ皆の会話を聴いていただけだった。その頃、経済分野の記事執筆の依頼があったばかりだったから、テーマに準なぞらえて、先生に質問した。
『その犯罪率を高める危険性のある貧富の差は、どうやって縮めるんだろう?』
『これから話すことは、ただの一例で過ぎないことを理解して欲しい。資本主義や経済は複雑で難解だ。世界の誰も正解を導き出していないことで、それはより一層明らかになっている。
 では、始めよう。君らに話すべくもないことだが、経済とはつまりお金を循環させることだ。現代社会では一部の資本家を含む富裕層がお金を貯め込み、遣わなくなっている。経済は停滞し、税収も増えない。経済の停滞は賃金の伸びを悪化させ、税収が増えないことには、貧しい人々への再分配ができない。負のスパイラルだ。
 国はできうる限り、人々を公平に暮らせるよう法整備を行うために存在しているという一面があるが、たまたま資産家の許に生まれ、資産を相続し運用するだけで生計を立てられる人が少なからず存在しているのを認めている。これは公平と言えるのだろうか?
 そこでだ、またもや僕は極論を言う。解釈は皆それぞれに任せる。富裕層へ半強制的に現預金を遣わせる法整備を行う。一定期間以上、例えば一億円とか二億円とか、貯め込んで遣わない場合は貯蓄税を適用させ、過半数以上の現預金を納めて貰う。更に、死後の現預金と金融資産の相続には上限を設け、上限を超えた全額も納めて貰う。生前相続も同様だ。つまり最低限必要な家や店舗などの資産は相続できるが、現預金と金融資産の多くは納税して貰うことになる。ここで言う最低限必要なものには、老舗旅館や老舗料亭、酒蔵など伝統的で持続性や家督性が必要な文化的事業継承は含まれる。こうすれば、大体の人々は遣うんじゃないか?抜け道はあるよ。タンス貯金にするとかね。ただそれこそ犯罪だ。リスクを覚悟の上でやりたいならやればいい。
 一方で富裕層には富裕層なりの言い分があるだろう。行政が税収のまともな扱いができるとは思えないとかね。そういう考え方をできる人物ならば、貯め込むことなく、素晴らしい遣い道を自ら選べばいい。別の考え方をする人物も居るだろう。自分の努力で稼いだお金をなんで他人のために遣わなくてはならないんだとかね。反発が相当数あるのは想定できるが、自分の努力だけで稼いだお金だと言い切れるのは、とんだ思い違いだとは思わないか?起業したり、労働したり、投資したり、そこから得られたお金は、いろんな外部的要因が積み重なった結果だ。もっと言えば、その人物がお金を得られたのは、たまたま日本に生まれ、様々な巡り合わせの運に恵まれたからだ。言葉が過ぎるかもしれないが、貯め込んだお金に執着する人物は、本物ではないから相手にする必要を感じない。
 貯蓄税は全ての企業にも適用させる。これは留保金課税と呼ばれるものだ。いまは特定同族会社への適用に留まっているが、すべての企業へ適用させれば、四百兆円を超える留保額を企業は投資に回すか、従業員に給与か賞与として与えることになるだろう。むしろ、納税させるよりもそっちの方が狙いと言ってもいい。話を纏めると、お金持ちには生きている間にほとんど全てのお金を遣い切って貰うってことだ』僕も経済については多少勉強していたから、先生の言ったことで知らないことはあっても、理解できないことはなかった。
『それが実現されたら銀行は不要となるかもな』とひとりが呟いた。
『いや、そうとは言い切れない。彼らも生き残りをかけて、勝負に出るだろうと思っている。富裕層にお金を遣わせることが目的なのだから、なにを買えばいいのかとか、コンサルティングはできる。ただ、いま以上に銀行の統廃合は進み、質のよい銀行だけが残るのは間違いない』
『つまりは中央集権国家を作るべきだと示唆しているのか?』と、誰かが問うた。
『いや、そうではない。現行の民主主義と資本主義の限界には誰もが気づいているはずだ。民主主義は言わば多数決性であり、マイノリティーの意見を排除する可能性を孕んでいるし、低成長時代である現代の資本主義は貧富の差を拡大するばかりだ。中央集権的な社会主義では権力の乱用と政治腐敗が横行し、情報統制が民衆の自由を奪っている。
 しかし、それぞれにいいところはある。民主主義は民衆に依る権力への監視であり、資本主義は市場競争の原理だ。現行の社会主義では行われているようには思えないが、権力ではなく情報の集中と公平な分配がイデオロギー上は可能だ。優位点を集め合わせることで、新たな主義が生まれることだろう。いや、それは最早主義ですらなく、ただのシステムだから名称は必要としない。未来永劫持続可能な主義やシステムなんて存在しないし、流動的であることにこそ意味がある。そして国民性から言って、日本が最も、そのスタートアップに相応ふさわしいと僕は思っている』
 
 詠子さん、これが先生の言っていた罪にまつわる話なんだけど、ごめんね、流れ上、罰やら経済にも触れてしまった」
「むしろ助かったくらい。私の無自覚で知らないことが多過ぎるのも罪よね。罰……大人に学び直しか……不可欠なのは愛情……なんか私の覚悟が揺らいだわ。それはそうと、翔一くんの記憶力は凄いね」
「記憶力は悪い方ではないとは思うんだけど、余程のエピソードでなければ、先生から発せられた言葉以外は覚えてはいないよ。実際、先生以外のほとんどは誰が言ったのか、わからないから僕の脚色が入っている」
「あのコントみたいな箇所?」
「少し、大袈裟にはしたね」
「翔一くんにも、そういうとこがあるのね。なんか安心した」
「詠子さんを安心させられる要素が、もうひとつある」
「あら、なにかしら?」
「僕がつきあっていた彼女の話をしたでしょう。あれからしばらくして先生に会う機会があったんだ。僕の顔色の悪さに先生はなにかを察知したんだと思う。病気が変容していることはおそらく伝わっていた。消えてしまいたいという衝動はあったしね。先生は、君の住む物件はペットの飼育は可能なのか?と言った。質問の意味はわからなかったんだけど、まあ、飼っている人が居るから、可能なんだろうね、と答えたんだ。先生は、君、社会貢献しないか?と言ってから、犬や猫の譲渡会の話を始めたんだ。そして、先生は、君は犬か猫を育てた方がいいと思う、と言った。なんの脈絡もない話だったんけど、譲渡会でまずは見学するだけと言われて、数日後に行くことになった。先生は道中に、犬は散歩とか人間への依存度が高いから、君には猫の方がいいかもしれない、と言った。
 一目惚れってあるんだってことがわかった。茶トラの子猫だったんだけど、可愛くて可愛くて、思わず泣いちゃった。もう僕の心は決まっていたんだけど、その猫と僕が共存できるかのトライアル期間が必要だった。受け入れる準備をしながら、うちにやって来る日をドキドキしながら待った。結果は良好で、譲渡して貰うことになった。小さな命を預かることで責任感が生まれ、毎日世話をすることで暮らしにいいリズムができた。もちろん、いまも育てているんだけど、僕の方こそ育てられているのかもしれない。それから消えてしまいたいって衝動は随分と減ったんだ」
「確かに、それには随分と安心させられるな。うちも実家には猫ちゃん居るのよ。とっても可愛い。名前呼んで来ることもあれば、無視されることもある。適度な距離感よね。ちなみに、翔一くんのとこの子はなんて名前なの?」
「愛着心が湧いて安心感がある名前がいいなと思ってね。弟の名前をアレンジしたんだ。弟には助けられてきたから、名前をアレンジすることは彼の分身と一緒に暮らしていくことに思えた。弟の名前はカンというんだ。寛容さの寛かんね。読み方を変えて、ひろし、と名づけた」
「オス猫なんだね。猫なのに、ひろしって、随分と……えっ、猫ひろし?もーふざけないでよ」
「いや、ふざけていないんだよ。結果的にそうなっちゃったんだ。僕も弟に爆笑されるまで、気がつかなかったくらいなんだから」
「ふーん。信じないけどね」
 
#彼女の決意
 
「では、教育の話を聴かせて欲しいんだけど、翔一くんの体力は大丈夫?」
「今日の僕は調子がいいみたいだ。だから気に掛けて貰わなくて大丈夫だよ。詠子さんの娘さんに関係のあることの方がいいと思うんだ。いま、いくつだっけ?」
「五歳よ。幼稚園の年中さん」
「どんなことが聴きたい?」
「すごく漠然とした感じなんだけど、いい?」
「もちろん。答えられるかどうかは自信ないけど」
「当たり前のことだけど、将来、不幸にはなって欲しくないなって思っているの。平凡でいいから、ちゃんと生きられる力を養って貰いたいって願っている。そのために母親としてできること、すべきことがあったら聴きたい」
「娘さんは、どんなことに興味があるの?」
「まだ五歳だからね。公園でお友達と走り回ったり、好きなアニメを観たり、テレビから流れる音楽に合わせて踊ったりしている。敢えて言うなら、絵本は好きみたいね。ほぼ毎晩読み聞かせしているの」
「まずね、すべきことって、のはないと思うマストじゃなくてベターでいい。絵本の読み聞かせは、とってもいいよ。想像力を養ってくれるから。絵本って読んでみると、詠子さんの持つ感想と娘さんの持つ感想って、全く違うってことない?」
「あるある。読んでいて、私がよくわからないなあって思う絵本でも、娘は、楽しい話だねとか、寂しい話だねとか、言うんだよね」
「大人になると、経験に因る先入観があって素直に読めないって場合もあるし、おかしな探究心を出して、この絵本のメッセージは、とか余計なこと考えちゃうこともある。素直に絵と物語を楽しめばいいだけなのに、なかなか難しい。
 先生と幼児教育について何度も語り合った訳ではないから、これからする話は先生から聴いたことと僕の考えを織り交ぜたものになると思う。それでもいいかな?」
「もちろんです。よろしくお願いします」と言って、彼女は軽く頭を下げた。
「では、始めるね。可能な限りでいろんなものに触れる機会は作った方がいい。娘さんが飽きるまでは、絵本の読み聞かせは想像力を養い続けるひとつの手段に成り得るだろう。もうやっていることかもしれないけど、絵本は本人に選ばせる方がいい。興味のないものだと持続性がなくなる可能性があるから。
 触れるというのは、一例だけど、都市部で育っている訳だから山や海、自然の側に連れて行くのが望ましい。つまらなそうにするかもしれない、その場合は少し工夫して欲しい。例えば、山の中を登っていくケーブルカーに乗せるとかね。なんの感想も持たないかもしれない。でも、きっと記憶には残る。いま世界中で起きている環境問題へ、都市部の思い出しかない子供より、理解が深まるだろうし、単純に自然に触れるのは精神衛生上いい。コンクリートジャングルに囲まれているのは大人でも疲れるんだから。
 都心でも自然に触れられる場所がある。僕がお勧めなのは神宮外苑だ。四季折々の風景に囲まれながら散歩するのは癒されるし、優しい気持ちになれる。そこにお母さんとの会話が加われば、最高だと思う。詠子さんも神宮外苑へは行ったことあるでしょ?」
「あるね。両親に連れられて子供の頃に何度かと、高校生のときに、つきあっていた男の子とデートしたときかな。いまは、たまに車で通り掛かるくらい。翔一くんに言われて思い出したんだけど、子供の頃はあそこへ行くのが楽しかったし、ただ気持ちよかった。道幅も広いから、子供ながらに開放感を味わっていたんだと思うの。でも、デートのときは全然楽しくなかった。あれ、こんなだったっけ?ってなるくらい拍子抜けしたの」
「それはタイミングの問題じゃないかな。当時は恋愛に夢中だっただろうし、自然オタクな高校生でもないと楽しめないよ。もし詠子さんがひとりで行ったなら、子供の頃を思い出したりして、違う感想を持ったと思うな。加えて……相手がよくなかったんじゃない?」
「それ、あるかも。全く会話が弾まなかったんだよね。私、男性を見る目がないのよ」
「それ、僕のことを言っているの?」
「それ、要検討ってことで」
「……まっ、仕切り直しってことで。あと触れると言えば芸術作品だね。絵画や音楽、特に古典と呼ばれるものへ触れられる環境を整えることかな。数々の歴史あっての現代だからね。それらを知れば現代アートやロック、ポップスへの理解も深まるだろう。絵画はもちろん実物を観る方がいいんだけど、展覧会は観客の方に圧倒されるかもしれない。いまは印刷技術がよくなっているから絵画集でも十分だよ。まずは、子供部屋やリビングに置いておくだけでいいと思う。興味が惹かれれば、自ずとそれを手に取るだろう。モネの睡蓮やゴッホのひまわり、ムンクの叫び、ピカソのゲルニカ、綺麗って思ったり、怖いって思ったりして、いつかは作品の意味や背景を想像し自分なりの答えを持つかもしれない。
 自宅のリビングでクラシック音楽を邪魔にならない程度の音量で流すといい。親子間の会話の方が余程大切だから、あくまでBGMとしてね。
 芸術作品を観る聴くことを日常化することで、感性がどんどん磨かれていき、将来なにができるようになるのか――それは仕事するってことだけじゃなく――可能性を広げることに繋がる。以上が幼児教育について、いまの僕に言える限界だろうな」
「教えてくれてありがとう。いまは少し寒いから神宮外苑には春になったら行ってみる。多分走り出すだろうから、追い掛けるのが大変だろうな。でも、楽しそう。絵画ね、観せてみたいなとは思っていたのよ。ただ置いておけばいいんだもんね。なにかしてあげなきゃっていう押しつけがましい責任感に自分自身が押し潰されそうになるときがあるの。親の役目は環境を整えること、選ぶのは本人がすること、そういうことだよね?」
「少なくとも僕はそう思っているし、母にはそうやって育てられたからね。ああ、あとひとつ大切なことがあるのを思い出した」
「なに?」
「娘さんが幸せな気持ちになるのは、詠子さん自身が笑顔で暮らすことだと思う。おそらく、それは一番難しいことだろう。僕は母の笑顔に救われたし、疲弊しているときは、それに引っ張られた。僕に子供は居ないけど、難しさはわかっているつもり」
「翔一くんの言葉で、いまのが一番響いたなあ。というか痛いくらいだよ。いまから私は自分のことを翔一くんに話しながら、自らがなにをできるか考え、可能なら、決意をしたい。その作業につきあって欲しい」
「喜んで手伝いさせて貰うよ」
「私ね、離婚を決意していたの。もう実家の両親には事情を説明して、了承を得ている。実家に戻り両親と娘と私とで四人暮らしをしようと思っているの。両親に頼ってばかりは要られないから、もちろん働くつもりよ。職を得ることが簡単ではないのはわかってはいるんだけど、上手くいかないときは、元の結婚相談所に戻ることも視野に入れているの。元の同僚に出戻りが数人居るから、そこは大丈夫だとは思うんだけど、結婚に失敗している私が、できるのかしらって疑問もあった。でも、そういう経験が逆に活かせる可能性もあるんじゃないって、考え方を変えたの。
 翔一くんに、初めて会ったときに、夫とは妊娠してから一切の性生活がなくなっているって言ったじゃない。最初は性欲を解消したいだけなんだって思っていた。しばらくして身体の問題なのか気持ちの問題なのかは、わからないんだけど、どんどん夫へ関心を持てなくなっている自分が居ることに気づいたの。夫が私へ関心を持っているとも思えなかった。
 イクメンって言葉あるじゃない?あれって、とっても癪に触るの。なんか立派なことでも、やっているかのように煽る気持ち悪ささえ感じる。女性が育児するのは当たり前で、男性がやると称賛に値する。女性にはイクメンに相当するような言葉ってないよね。子供って、女性ひとりで妊はらむことってできない。一緒に家庭を築いたなら、それを育み、守るのが普通だって思っていた。夫は育児へ一切タッチしないの。もちろん、何度も何度も相談したし、怒りをぶちまけることもあった。でも、なんの手応えも感じないばかりか、幾度も汚い言葉を浴びせられ、頬を叩かれたことあった。私にとっての翔一くんは、性浴を解消するための相手だけじゃなく、夫との関係に因るストレスの捌け口でもあったの。でも、翔一くんになにかを打ち明け、相談するのは違うと決めていたの。それは翔一くんのことを思ってとか、親切心でもなければ、マナーでもないの。答えの出ないとわかっている相談をして、これ以上自分自身を疲れさせないためだった……
 もう無理だったの。私の感情を抑え込むことは。他人からすれば、母親失格だとかモラルがないとか、言われるかもしれない。でも、そんなのは私の知ったことではないの。勝手に罵声を浴びせればいい。私が気に掛けているのは、夫との関係悪化が娘へ与えるかもしれない、よくない影響についてだけ。離婚について両親には説明したけど、相談するには至らなかった。私と似たような境遇に居る女性の情報が欲しかった。
 自宅のパソコンで色々調べた。参考になることもあれば、そうでないこともあった。気になったところはブックマークすればいいんだろうけど、共有のパソコンだから、そうもいかなくって、閲覧履歴からそれを探そうとしたの。なかなか見つけられなくて、随分と過去まで遡ることになった。で、思い出したの。ある訳ないってことに。私は夫に見られる訳にはいかないから毎回履歴を消去していたんだったって。自分自身呆れたわ。自らの習慣すらわからなくなるほど、馬鹿になっちゃったって。
 そうすると、冷静になるというか、なんか頭がスッキリしてきたの。開きっ放しにしていた閲覧履歴をボヤッと眺めていると不穏な感じがしたそれをポチッとしてみた。そのページはログイン状態が保持されていたの。出会い系の類いだった。もちろん、私のじゃない。やり取りの履歴を遡った。夫は結婚当初から女性をお金で買っていた。最近では未成年や女子高生まで手を伸ばしていることがわかった。
 私は、その画面をカメラに記録した。
 離婚を切り出すきっかけが与えられた気になった。
 素直に応じない場合は、写真で脅し慰謝料を踏んだくろうと思った。
 会社に送るよとか、警察に通報するよとか言えば楽勝だと考えた。
 ……でもね、今日、翔一くんからいろんなお話を聴いて、私自身が罪人つみびとであるにも関わらず、全ての責任を夫に擦なすりつけて、自らを正当化しているだけなんだと気づかされたの。
 ……もう何度かは、夫と向き合ってみようと思う。それでも互いにわかり合えないようだったら、覚悟を決めるつもり……私、これで前に進めるかなあ」
「正解はないと思う。でも、僕は全面的に詠子さんの決意と覚悟を支持する」
「……ねえ、お願いがふたつあるの」
「なんだろう?」
「もし離婚することになったら、卒業旅行につきあって」
「もちろん、喜んで」と僕は答えたものの、その日は来ない気がしたし、会うのも、きっとこれが最後になるのだろうと思った。
「もうひとつは、先生のフルネームって訊いて大丈夫?インタビュー記事とかあったら、読んでみたいと思って」
「まあ、大丈夫だと思う。彼は官僚の割に露出する機会が少なくないからね。名前で検索すれば記事はすぐに見つかるはずだ。タナカケイジ、普通の田中に、刑事の刑、司ると書いて、田中刑司」
 僕らは、終電前に帰ることができた。電車に揺られながら、もう連絡が来ることもないだろうな、とぼんやりとしながら、彼女との思い出を反芻した。家に戻るとシャワーを浴びる余力はなく着替えるだけして、あっという間に眠りに落ちた。
 
 ないと思っていた彼女からの連絡は、幾日も経たないうちにあった。
「先生がテレビに出ているの!逮捕されたって!」
 
#想像力の集約
 
 谷田詠子からの連絡と、ほとんど変わらないタイミングで複数の友人から着信やらメッセージが届いた。誰もが動揺していた。なぜだかわからないが、彼ら彼女らの動揺へ、僕自身の精神や感情の類いには、全く呼応する様子がなかった。
 テレビに映る先生の表情をただ観察し、各種メディアの報道内容をインプットしていった。わかったのは、先生は出頭し、妻と娘ふたり、妻の勤務先の元同僚男性、計四名を殺害したと告げ、それ以外は黙秘しているということ、警察が先生の自宅、被害男性の自宅を捜索した結果、先生の言葉通り遺体が発見されたということ、それだけだった。
 僕は、なぜ、なぜを繰り返し、想像を複数のパターンで実体化していった。その過程で、ただひとつ確信を持てたことがある。
『先生はなにか嘘を吐いている』
 現役エリート官僚による大量殺害事件は放送局、通信キャリアに割り振られた電波を完璧に占拠した。ニュース番組の司会者、コメンテーター、論客が当惑しているのは明らかだった。余りに凄惨な事件であるから取り上げない訳にはいかず、多くの時間を費やした割には、容疑者が黙秘を通していることから、与えられた時間を埋めるためだけに憶測を話さざるを得ない者も少なくなかった。事態が少し動き始めたのは、容疑者が一言発したと情報が入ってからだった。
『極刑を望みます』
 先生は、そう言ったらしい。メディア、世間の反応は刻々と移り変わって、憶測の集合体になっていくようだった。ある意味では、先生のたった一言に因って振り回された。自爆テロか?精神を病んでいたのか?サイコパスなのか?様々な分野の専門家が登場し、先生の家族構成やら経歴から推測した。取材陣は先生の自宅はもちろんのこと、実家へも張りついていた。先生の両親は早々に何処かへ逃げ果せたようだったが、奥さんの実家は、そうはいかなかった。顔は映らなかったが、毎日のようにコメントを求められ、わかりません、捜査の行方を見守ります、と何度でも答え続けた。被害男性の親は一切の取材を拒否しているようだった。どのメディアにも登場しないことで、またもや憶測が憶測を呼ぶスパイラルに嵌っていった。
 文部科学省の事務次官は謝罪会見を開いた。文部科学大臣は遺憾の意を表明した。捜査本部は、凶器と見られる包丁と被害男性の自宅から容疑者の指紋が確認された、と公式発表を行った。
 僕は、一切を見逃すまいとしたし、その全てを疑った。想像力を駆使することに疲れは感じたが、自分の身体と精神に変容は起きなかった。母は先生のことをよく知っていたからこそ心配し、僕の部屋を数日置きに訪れるようになった。母は、いつも通りなにも言わなかったし、説明を求めなかった。僕が集中しているのがわかっているから、ご飯を作ってくれ、ひろしの遊び相手をしてくれた。
 谷田詠子から数日置きにメッセージが届いた。彼女は事件に触れる言葉は一切遣わなかった。僕の身をただ案じ、生存確認をしているだけだった。一度だけ、私は報道されていることだけが事実だとは思っていない、と届いたことがあった。彼女は僕を通して先生を知り、彼女なりに先生のことを思い、できうる限り調べたのだろう。自らの家庭問題をどうやって解決していくのか、その道筋にだけ集中するべきタイミングで、横道に逸それさせてしまっていることに心苦しさは感じたが、彼女が僕へエールを送ってくれているのは、わかったし、元気づけられたのは間違いなかった。
 友人たちは最初の報道以降、沈黙を通した。その沈黙は僕らだけに共有された意義を孕んでいた。全員が個々に想像力を発揮し、自らができることを考えていた。
 友人のひとりからメッセージが届いた。それは自らのキャリアを台無しにする可能性の高いものだった。僕らは、会議することを全員一致で決定した。そして、ひとりの友人宅へ集合した。わかっている事実のみを集約し、僕らのすべきことを決定した。
 留置場へ面会に行くこと。弁護人に確認を取っていたから先生は接見禁止の対象へなっていないことはわかっていた。先生は殺害を認めている訳であるし、捜査本部による証拠品集めも概ね終わっているようだった。面会者は三名までは可能なようだったが、誰よりも時間に融通の利かせられる僕がひとりで行くことにした。友人たちは、病気の心配をしてくれた。実際、先生に会ってしまったら、自らがどうなるか、さっぱりわからなかった。友人たちには、もし僕に異様なものを感じたら、教えて欲しいとだけ告げた。
 
 先生の身なり、顔つきに変化は見受けられなかった。一方の僕は、面会場に入るのはもちろんのこと、その前に実施される身分確認やら警察官の事務的な振る舞いに、緊張し全身が強張っていくのがわかった。皆で決めたことを、ただ遂行するのみだと、自らを落ち着かせようとしても、まるで無駄だった。
「まるで、君の方が犯罪者みたいじゃないか」と、先生から言われ、僕は震える予兆を感じたまま、台詞を棒読みするのが精一杯だった。
「君は本当にあんなことをしたのかい?」
「僕の自供している内容が唯一の真実だよ。そして僕は君が想像している通りの人物だとだけ言っておく」先生は言い終えると席を立ち、面会場を後にした。僕はしばらく震えが収まらず立ち上がれなかった。
 先生は……普段、真実という言葉は遣わない。先生に言わせると真実というのは捉える人物によって姿を変えるものだそうだ。だから表現上必要な場合は、事実の可能性があるもの、としか言わない。敢えて僕にわかる暗号を送っている。それだけはわかった。そしていつも通り、残りは想像しろ、ということだ。
 僕と友人たちは、会議を打ち合わせという名称に変更し、週に一度か二度は顔を突き合わせ、意見交換した。
 僕がただ顔を見たいという理由だけで、先生への面会には週に三度は行った。その内、何度かは取り調べ中で面会できないこともあった。その何回目かのときに先生は、僕に想像したことを物語にすること、書くことに依ってのみ到達できる場所がある、と言った。これが、この短いとは言えない物語を書くきっかけであり、スタートラインに並んでいた僕と友人たちへの号砲となった。
 
#教育改革
 
 これは先生があるセミナーで講演を行なった内容を文章に起こしたものだ。実際の先生は始終丁寧な言葉を遣っていたが、短く纏めるために筆者が省略を行なったことを断っておきたい。
 
 先生は冒頭にこう述べた。
「まずお詫びしたい。一部の教員や教育委員会による苛めの隠蔽や助長が報道されることがある。それに因って教育現場への批判があるのは承知している。しかしながら、大多数の教員は高い志しと愛情を持って皆さんのお子さんに接していることを理解して貰いたい。一部の教員や教育委員会に全ての責任を押しつけるのは容易だが、現行の教育システムを生み出した我々役人に責任があるのは疑いようのない事実だ。
 深くお詫びする。
 我々は反省し続けることを誓う。これから起きるかもしれない不幸な事態を防ぐためには、我々の決意と皆さんの協力が不可欠だ。もう同じことを繰り返すのは止めにしよう。
 
 さて、ひとつ問いを投げ掛けたい。
 学校教育で学んだものは社会に出た後に直接的に役立っているのだろうか。
 学問という側面だけで捉えると、国語と算数は最低限必要だろう。話したり、書いたり、単純な計算ができないとなると日常生活にも支障をきたす。しかし、それ以外の学問はどうだろうか。不可欠と言えるレベルの教育水準に達しているのだろうか。ごく一部の天才的なヒトにとっては別なのかもしれないが、一般的なヒトにとって、社会生活で最も必要なのはコミュニケーションスキルであることは、言わずもがなであろう。
 しかし、現行の学校教育では、そこに重きを置いていない。コミュニケーションスキルというのは、自分を知り、相手を知り続けることでのみ培われ、育まれていく。知るという言葉をもっと広範囲に定義するなら、それは想像――イマジネーション――となる。想像力のある者のみが人間的な優しさを身につけ、豊かな暮らしを送ることができる。それは昔もいまも変わらないが、ほとんど誰もそれを教えようとしない。
 皆さんも気づいていると思うが、多くの大人は想像力を停止させ、未来への責任逃れをしている。児童虐待、学校での苛め、不登校、経済格差、貧困問題、環境問題、ブラック体質の企業問題など。ほとんど誰も根本を解決しようとしない。問題が露呈してからモグラ叩きを始める。それが自らの仕事だと思っている者すら居る。いまのままでは、子供たちへ想像力の大切さを教えようもないし、役に立たない価値観――テンプレート――を押しつけ続けることになるだろう。
 一体なぜなのか。そういう社会風潮だからか?そういう時代だから仕方ないのか?いいや、それは違う。この構造は紀元前古代からなにも変わっていない。立場が上の者ほど、他者をコントロールしたがり、自らが生きている間のことしか考えず、民衆へ考える時間を与えず、知恵を、力を持たせることを拒んでいる。この場にも、そういう組織で従事しているな、と思い当たる方は大勢居るのではないだろうか。古代から文明は発展したが、ヒトは一歩たりとも前進していない。
 外部要因に責任を擦りつけるのは容易だ。しかし、問題解決は権力者のやるべき仕事だと認めてしまっては、尚更権力者を図に乗らせ、民衆は、ただの歯車になり、思考と想像力を停止させることへ拍車を掛けることに繋がる。
 家庭に置き換えるならば、最初は目に見えない塵ちりが床や家具の上に溜まり、その内、埃の塊になり、ゴミを放っておくようになり、虫がわきはじめる。掃除は誰かがやるだろう。自分の仕事ではない。問題なのは、気づいたときには手遅れになっていることが少なくないことだ。もう、その家には住めなくなるかもしれない。
 問題は発生する前に手を打っておく必要がある。その問題に気づけるかどうか、それが想像力に掛かっている。放っておけば、そのツケの全ては子供たちが払うことになる。
 大きなツケの一部を示そう。日本の自殺者総数は減少を続けているが、少子化にも関わらず、未成年者の自殺者数は増加している。その原因の三割以上が学校問題だ。加えて三十四歳以下の死亡原因一位は自殺であり、先進七カ国の中で群を抜いている。最早猶予がない深刻な状況にあるのは理解して貰えるだろう。これは日本だけの問題ではない、隣国の韓国ではもっと悲惨な現状がある。日本が、世界が変わる必要がある。
 群れで生きることを選び、集団生活でサバイブしてきた人間は国家を作り、いまやテクノロジーの進歩により、精神的な国境すらなくなりつつあるのにも関わらず孤立感が増幅しているのはなぜだろうか。それは自由主義の名の下に、瑣末な情報が蔓延し、誰が作ったのかもわからない幸福のテンプレートを知らず知らずのうちに自らへ他者へ押しつけ、多くの人々が同調圧力で、がんじがらめになっているからではないのか。
 ほとんどの情報は無用なものであり、有用なものを選ぶには想像力が不可欠だ。そういう意味ではテクノロジーの進歩へ創り出した人間自身がついて行けていないと言える。いま以上に孤立感を増幅させることなく、テクノロジーの進歩に逆行することもなく、ヒトとして前進するためには、想像力に依って自らを知り、他者を知り、その他者の幸福を喜び、痛みに寄り添える優しさに満ちた社会が必要だ。
 経験を積んだ、積ませて貰った大人の仕事は、未来への道筋を作ること、つまり人が育つ環境を整えることが全てと言ってもいい。
 もっと、直接的に伝えよう。現代社会は我々が先人から受け継いだもので、できあがっている。礼儀作法も、言語も、哲学も、宗教も、科学――サイエンス――も、テクノロジーも、経済システムも、国家という集合体も全てだ。自らがゼロから作り上げたモノなど存在しない。
 これは陸上競技のリレーと同じだ。第一走者の先には第二走者が居て、最後にはアンカーが居る。それぞれ自らに与えられた距離を一所懸命に走る。バトンは落としてはならないし、壊してもならない。できうる限りバトンパスがスムーズに進むよう考え走るだろう。これが道筋を作るということだ。第一走者にはアンカーのことまでは考えが及ばないかもしれないが、第二走者のことは、目視可能だ。第二走者のことを考えるならば、丁寧にバトンを渡すだろう。そして丁寧にバトンを渡された走者は、自分の次の走者のことを考えて走るだろう。これが環境を整えるということだ。
 
 では、本題に入ろう。
 これから述べる政策について、よく考え、よく疑い、是非批評して貰いたい。
 現在必要とされているのは教育システムのイノベーションとブレイクスルーであり、教育指導改革だ。前者を日本語で言うと、教育機関の革新であり、それを前進させることだ。現行のシステムや指導方法を知ることは必要であっても、そこから課題を炙り出し対策を行うことは、先程のモグラ叩きの一例と同じで、役に立たないばかりか、自転車操業を加速するだけで害悪だ。
 イノベーションとブレイクスルーは、現在の教育にはないものを生み出し、前進させることを意味しているのだから、他業界に目を向け、上手くいっていることを組み合わせ、想定できる問題を考慮する方が理に適かなっている。
 前提として一部を除いた学校は文部科学省の定めた学習指導要領とガイドラインに沿って運営されている機関であることを知っておいて貰いたい。指導要領の掲げる理想とガイドラインには、敢えて取り上げるべき問題はない。それらが現実的に実行され役に立っているのかどうかが問題なのだ。
 機関という言葉から受ける印象はどうだろう。文部科学省が国家機関であることには、なんの異を挟はさむ余地はないが、全国津々浦々にある学校も機関なのだ。機関という言葉には組織の意味も含まれてはいるが、それ以上に機械的で歯車のような印象が強くないだろうか。民間企業の組織運営と比較すると学校の機関運営はまるで違う。公費が投入されているのだから当然だという意見もあるかもしれない。しかし民間企業の組織運営では当たり前のように行われていることが、学校ではできていないことが少なくない。そして民間企業との運営手法、カルチャーの乖離が、教育現場を硬直的な村社会にし、教員が村人になっているという現実がある。それは学ぶ側にとってデメリットの方が多い。
 
 今日の話題は初等教育である小学校に的を絞る。
 教員の役割を大きく括ると校長、副校長、学年主任、学級担任となる。教頭を置いている学校もあれば、そうではない場合もある。この中で学級担任の仕事に注目して欲しい。ほとんどの学級担任は国語、社会、算数、理科、道徳を担当し、中には生活、音楽、図画工作、家庭、体育も教えている場合もあるだろう。全てを合わせると十教科ある。
 民間企業に置き換えて考えて貰いたい。
 製造会社の一例だが、総務、経理、資材、営業、生産管理、加工日程、生産技術、製造、品質管理、コンプライアンス等の部門がある。学級担任と同じで担当するのは十部門だ。これらを、ひとりでできるだろうか。製造会社であり、個人商店ではない。同じく学校も個人商店ではない。学級によっては三十名程度の児童を担当することになる。十教科を教えながら、全児童に気を配ることへ無理を感じないだろうか。民間企業の場合、多くの従業員はひとつの専門分野を担当し、マネジメントする上司が存在する。
 教員は天才でもなければスーパーマンでもない。ただのヒトなのだ。そして学年主任や副校長が十教科を担当する教員をマネジメントできる環境にあるだろうか。全国には二万の小学校があり、四十万の教員が居る。そのほとんどが個人商店のような環境下に置かれているのだ。マネジメントには上司が部下に仕事を教える、あるいはヒントを与えるという一面がある。経験豊富な上司の元では、部下は教えを請うことができて、重要な局面では判断を委ねることが可能だ。民間企業では当たり前に行われている部下、後輩の成長促進活動や責任の分担が多くの小学校では行われ難いのが現実だ。
 先進的な民間企業に目を向けてみよう。なぜ、先進的な企業に目を向ける必要があるのか。それは、子供は未来を生きる人だからだ無論、長く生存競争に勝ち残ってきた企業から学ぶことがあるのは否定しない。しかし、多くの先進的な企業はイノベーションとブレイクスルーを繰り返している。それは先人たちの優れたレガシーを組み合わせて利用し工夫してきた結果だ。だからこそ、先進的な企業に目を向けることが早道となる。
 一例を示そう。最新テクノロジーの開発企業をイメージして欲しい。もし複数のエンジニアが個々に開発を始めたら、どうなるだろうか。当然、バラバラのモノが創り出されるだろう。加えてエンジニアを纏める上司が居なかったらどうなるだろうか。必然的に、どれを商品化するのか判断できない事態になるか、エンジニア同士の衝突が起きるだろう。
 先進的な企業では、そんな脆弱な組織運営は行われていない。開発は複数のエンジニアを集めてプロジェクトチームが組まれる。そして、ひとりひとりのエンジニアには得意領域が存在しているから、役割分担が行われる。ときとして、エンジニアは行き詰まることもあるだろう。上司が居れば、アドバイスや励ますことができる。エンジニアがそれぞれの役割を全うし、それらが集約された結果がモノになる。そのモノを商品化するかどうかは上司が判断する。場合に依っては、同じモノを創るにしても、ひとつのプロジェクトチームに任せるだけでなく、もうひとつのプロジェクトチームを組ませ、並列進行で開発を進める。開発期限を設けて、それぞれのチームにできあがったモノのプレゼンを上司の前で行わせる。その場は、互いの欠点や欠陥を指摘するのではなく、互いの優位点を集約するために存在している。どうだろう。こうして優位点を集約したモノの方が、エンジニア個々が開発するより、役立つモノができあがる可能性が高いと思えないだろうか。
 
 さて、小学校の話に戻そう。
 先程、十教科あると示したが、主に学級担任が教えている国語、社会、算数、理科、道徳はふたつの区分で捉えることができる。積み上げ型教科、独立型教科と別れる。まず積み上げ型教科を説明することで、独立型教科への理解は自ずと深まるだろう。
 小学校における積み上げ型教科とは算数のことを指す。詳細は説明しないが、中学校になると算数は数学となり英語が加わり、高等学校になると物理と化学が加わる。
 算数の教科書をイメージして欲しい。初めに数字を認識することから始まる。0、1、2、3、4、5……その内に足し算や引き算などの四則演算を学ぶことになる。九九くくの計算で四苦八苦する大人も少なくないだろう。ここで躓つまずいたら、この先に学ぶ筆算、小数点、分数に苦労するのは想像に難くないだろうし、最早、生理的に算数を受けつけなくなる可能性さえ高い。故に、知識、理解を積み上げる必要があるから、積み上げ型教科と呼ばれている。いやいや、そうは言っても現代には計算機やコンピューターという便利なものがあるじゃないかと思う人が居てもおかしくはない。話は少し飛ぶが、将来は文系の経済や経営を学ぶのだから関係ないと思うかもしれない。しかしながら、経済は微分積分の世界であり数学を理解していないと話にならない。経営を学ぶにしても経営指標は全て数学の世界なのだ。実際の計算は計算機やコンピューターに任せればいいだろう。ここで示唆したいことはふたつだ。算数、数学の概念を理解していないと機械が弾き出した数字を読み解けなくなるということ、もうひとつは将来就く職業の選択肢を狭めてしまう可能性が高くなるということだ。
 独立型教科の説明は短く済ませよう。ある意味ではいつ躓いたとしても、意欲さえあれば容易に取り返すことができる。ただし国語だけは別物だ。国語を『文字・言葉・文章』と置き換えて考えて貰いたい。文字・言葉・文章は欠かせないコミュニケーション手段だ。それが理解できていないと教員の伝える言葉・黒板に書かれる文字の意味がわからないという現象が起きる。必然、算数を学ぶことは不可能だ。
 ここで、学問とはなんのために存在しているのかを、説明しておきたい。
 先程、算数、数学の概念という言葉を遣ったが、ここで言う『概念』とは、学問を言語で表現することを意味しており、なにかを知るための物差しのようなモノだ。
 学問の始まりは紀元前古代ギリシャにおける哲学だと言われている。科学――サイエンス――も哲学から派生し、発展したという背景がある。哲学には諸派が存在しており、一括りには定義できないが、共通していることはある。世界のあらゆる事象を、言語化しようと試みていることだ。一方の派生した現代の科学は日常的言語では表現しようもないところへ到達しており、科学的言語でしか表せないこともあるが、哲学も科学も細分化はされたものの目指しているところは、古代から変わっていない。
 『学問』とは、世界のあらゆる事象の概念を理解する手段のひとつに過ぎない。
 児童が理解した概念の利用の仕方は千差万別が当然で、それこそが既存学問の存在意義であり、新たな学問、手段、あるいはテクノロジーや芸術作品を生み出す者が現れること――アップデート――を目的としている。
 事象の一例を示そう。致死率の高いウイルスが発生した場合、古代から現代に至るまでヒトの反応や行動は全く進歩していない。いや、古代の方が神様に祈る程度だったことと比較すると、ヒステリックな現代よりは害がなかったかもしれない。将来、各種学問の概念をアップデートできたら、デマに振り回されることはなく、想像力に依って俯瞰的にその事象を捉え、人的な二次災害を防ぐことへ繋がる可能性がある。蛇足だが、タイムイズマネーという言葉があるのは皆さんも知っているだろう。これは時間とお金がイコールだと言っている訳ではなく、時間の浪費が経済的損失に繋がることを示唆している。時間があればお金を生める可能性があるが、なければ生めない。逆説的だが、時間がなければお金を遣うことはできないし、どれだけお金を費やしても一日を二十五時間にはできない。従って時間はお金より大切な要素と言える。概念――物差し――を利用することに依って、あらゆる事象を表や裏、善や悪だけではなく、立体的に捉えられる土壌が養われる。立体的と述べたのは、あるゆる事象は縦と横だけで構成されたモノではなく、奥行きや深さを持ち、将来は姿を変える可能性が低くない。先程のウイルスだが、彼らはアップデートし続けている。
 話を戻そう。教員は概念を伝える役割を主に担うことになる。教員から与えられた問題に正答することは目的ではない。しかし正答を全く導き出せない児童を育てる結果になった場合、概念を伝えきれていない可能性がある。概念の理解度を確認するテストは教員のためにも児童のためにも必要だ。繰り返しになるが、問題への正答は最早、計算機とコンピューターに任せればいい。それから弾き出された結果を理解し、疑い、検証する想像力を養うためには、各々おのおのの学問の概念を理解していることが重要となる。
 いままでに述べたこんな堅苦しい言葉を児童が理解できるという甘い考えは持っていない。保護者の方々や世間の大人に認知して貰い、未来を生きる子供たちの可能性を狭めては欲しくはないと願っているだけだ。 
 
 では、教育システムのイノベーションの話に移ろう。学校や教員はどうすればいいのか。前提として教員には得手不得手があることを理解して貰いたい。
 小学校に入学したばかりである一年生から三年生はひとりの教員が概ねの授業を担当し児童との信頼関係を築いた方が新たな環境に慣れるためにはいい。教員側が教えることも基礎的なことが多く、専門性は必要としないから、現行の教育体制をほぼ維持する。
 四年生以降は学級担任制を廃止する。これは既に幾つかの自治体で似たような実証実験が行われている。加えて、四年生以降は学級、学年単位での授業を改変する。三年生までの三年間で児童ひとりひとりの特性を教員が見極め、本人の意思を尊重した上で、全教科を学年縦断のレベル別でクラス設定し、児童自身が特に学びたいと思っている教科や、そもそもの得意教科を伸ばすことへ舵を切る。学級という括りは苛めの温床になりやすく、学年別で授業を行うのは、成長のスピードが個々に違う児童の特性や個性を伸ばすのにメリットがない。児童の興味、関心は移り変わっていくことがあるだろう。必要があれば面談を都度行い、柔軟にカリキュラムを変更できる支援体制を構築する。小学校は、児童の挑戦と失敗を経験する場であり、それを受け入れる寛容さが必要だ。
 教員を、そのシステムに適応させるため、ふたつにわける。
 名称は、ティーチャーとコーチだ。なぜ、教員をふたつにわける必要があるのか。
 それは『覚える教科』と『想像力と訓練性の必要な教科』にわけるのが妥当だからだ。
 加えて、ティーチングが得意な教員とコーチングが得意な教員が居る。現在ではティーチングとコーチングの両方がひとりの教員に求められている。児童にとって、適性の合致した教員の許で学んだ方が理解を深めやすいのは、想像に難くない。
 説明すべくもないかもしれないが、ティーチングとは言葉の意味するまま、教えることだ。コーチングはスポーツ競技のコーチをイメージして貰うのがいい。日々のトライアンドエラーを支え、ときには励ます役割を担う。
 ティーチャーには社会、理科、生活、家庭を担当して貰う。
 コーチには国語、算数、道徳、音楽、図画工作、体育を担当して貰う。
 想像力を刺激するのには、知りたい、学びたいという児童自身の欲求が必要だ。児童がワクワクする環境を、仕組みを整えるのが、コーチの最も大切な役割だ。ここに集まっている保護者の方々の多くが期待している教員のイメージはコーチではなかろうか。
 コーチになるためには、専門的な研修を受け、ティーチャーとは違う資格を取得して貰うことになり、インセンティブを与える。それはティーチングよりもコーチングの方が時代の変化についていく努力を継続的に行う必要があることに加え、児童ひとりひとりと向き合う労力を払うからだ。
 担当するのは、一教員につき一教科が望ましいと考えている。全国の小学校数、児童数、教員数、教科数、同じ教科を週に、月に何度学ぶのかを総合的に計算すると、一教科あたり一名から四名の教員が担当することになる。
 
 続いて、組織化について。
 先進的な企業のプロジェクトチーム制を、ほぼ丸ごと模倣する。ティーチャーの上司にはヘッドティーチャー(マネージャー)を配置し、コーチの上司はヘッドコーチだ。教員数に余裕のある学校には、シニアマネージャー(部長)を設置してもいいだろう。プロジェクト内での情報共有や相談は欠かせない。これにこそテクノロジーを活用する。プロジェクト実施目的と指導方法、児童ひとりひとりの習熟度はデータベース化し、その学校に勤める教員全てに可視化できるようにする。無論、苛め等のセンシティブな内容は一部の教員にしか見られないようにロックを掛ける必要がある
 プロジェクトチームは複数の教員で構成され、教科ごとのプロジェクトチームがあるのだから、多くの教員がひとりの児童に関わることになる。苛めの早期発見にも効果が認められるかもしれない。もし、効果が認められない場合は、学校へコンプライアンス専任教員を設置する。教育委員会や文部科学省にもデータは集約し、児童個人を特定できない仕様を施す。その蓄積されたデータは全国の学校にも閲覧可能にする。互いの優位点から学びを得て、どんどんプロジェクトは成熟していく。現在、児童を統制することを職務と信じている教員が居る。統制はプロジェクトチーム制導入で自ずと消滅する。
 念のため付しておくが、一教科一名の場合だとプロジェクトが成立しないと思われるだろう。その一名のみが担当する教科は生活、家庭、音楽、図画工作、体育がメインとなる。スペシャリストが担当した方がいい教科ばかりであり、全国のデータを閲覧できる立場にあるし、場合に依っては学校を横断したプロジェクトを組んでもいいだろう。そして上司が居る訳だから個人商店化することはない。
 
 問題点にも触れておく必要がある。今日述べるのは三点だ。
 一点目は、教員は社会経験がないまま教育者になっていることが少なくない。児童が必要としている想像力を培うサポート役としては経験値が足りない若い教員も多い。教員を育てるためにプロジェクトチーム制は幾ばくかの成果を上げるだろうが、村社会の住人から脱却するには至らないかもしれない。対策の一例に過ぎないが、他業種の方々を教育現場へ迎えることは、児童が現実的な社会を知るきっかけになり、教員間での競争を促進させることへ繋がるだろう。
 二点目は、人口は大都市圏にますます集中しており、この政策を地方では運用できない場合があることだ。まず、一名の教員が一教科だけを担当するのが不可能な小学校があるのは事実だ。全国に多数存在する児童が少ない地域においては、一名の教員が全学年を担当している現実がある。正直に述べると現段階で容易な解決策はない。しかしながら、テクノロジーの導入に依って、孤立が現在以上に進むことのないよう一助にはなれるかもしれない。抜本的な解決には大都市集中に歯止めを掛ける必要がある。まずは大学の地方分散と地元への就職、定住支援を手始めとする。政府と中央官庁の我々役人、地方自治体が一体となって政策を速やかに決定し前進させることが不可欠だ。
 三点目は、改革を速やかに、より効果的に前進させるためには教員数が足りていないという実情がある。少子化なのにと思われるかもしれないが、経済の停滞に因って収入の増加が見込めないのにも関わらず、塾通いなど家計に占める児童への教育的支出の割合は増えるばかりだ。それは公的教育だけでは不十分だと思われているからだろう。もっと教員数を増やし公的教育の質を充実させられたら、教育的支出の割合は抑えられ、過酷な労働環境に置かれている教員の負担も軽減できる。そして、できうる限り学問は学校内で完結し、帰宅後は児童の好きなことに時間を利用して貰いたい。遊ぶことも大切だ。スポーツや趣味などの得意分野を追求するのもいいだろう。それらを可能にするのには、本来の学問の在り方とは程遠い、入学受験対策が必要な現状を我々役人が打開する必要があるのを承知している。実現へ前進させることを約束し、この政策提言は終わりとするが、少しだけ余談へつきあって欲しい。
 
 保護者の方々の苦労は想像に難くない。仕事や家事育児の実務でヘトヘトに疲れながら、子供に愛情を注ぎ続けるのには、体力も精神力も必要だ。
 核家族化が進み、頼られる実家が近くにない状況の方々も居るだろう。ときには、その疲れを子供にぶつけてしまい、愛情を注げているか自信を持てなくなることもあるかもしれない。愛情は受ける側、つまり子供がどう感じているかが全てだからこそ迷う。疲れを子供にぶつけてしまっても、その都度、動揺しなくても構わない。育児は、瞬間的なもので判断されるものではなく、生涯続く普遍的なものであることが、大切だからだ。
 愛情という言葉はあまりにも抽象的で掴み所がない。愛情を『興味、関心を持つ』という言葉へ置き換えて貰うと、愛情の具現化となる可能性を私は感じている。『興味、関心を持つ』という心境に立てれば、必然的に子供の行動を観察することへ繋がる。
 子供は保護者には理解し難い行動をとることがあるだろうが、子供には子供なりの理由がある。そういうときは、ただ放って置くだけではなく、いま、なにをしているの?いま、なんで、それを選んだの?と尋ねてみて欲しい。問い掛けへの返答は、子供が無意識的にとった行動を言語化することで自らの――好き嫌いや興味関心――を認知することへ繋がる。保護者は、そういう理由があったのかと、気づかせられるだろう。逆も然りだ。子供が答えた後には、保護者の考えを伝えるのがいい。道徳的に間違った考えをしている場合は、教育をする機会が来たと捉えて貰いたい。この単純な問答を繰り返すことで、保護者は子供に刺激され続け、子供も保護者からいろんなものを吸収していき、親密度は増していくことになるだろう。子育ては育てる側も育つというのは、よく聴く話だが、正にその通りだと思う。
『興味、関心を持つ』というのは一例に過ぎないが『愛情』に迷ったときは思い出して欲しい。そんなことを言っていた役人が居たな、くらいで全く構わない。
 育児も教育もアプローチ方法は無限だからこそ、保護者の方々には、想像力を駆使し、対話を通じて、自らの子供にフィットしたものを一緒に選んで貰いたい。
 伝えたかったことは以上だ。
 長々とした話に耳を傾けて貰ったことへ感謝し、講演の締めとする」
 
#沸点と氷点
 
 その日、田中刑司は、いつも通り終電で帰宅した。国会会期中はタクシーを利用せざるを得ない場合も少なくないし、泊まり込むこともある。彼は全国に六百万人以上居る児童の未来を案じているが、自らの娘ふたりの育児、教育に関しては妻に任せっきりなっており、家事においては全く力になれていないことへ申し訳なさを感じていた。
 
 妻は、長女を身籠った折に、官舎から一戸建てへの引っ越しを望んだ。官舎内に存在する役人の妻同士のヒエラルキーにはストレスしか感じていなかったし、憶測とも呼べない数々の噂話には飽き飽きとさせられていた。彼女は娘をこの環境で育てることにはリスクしかないように思えた。
 また、一戸建てに越せば、官舎とは違って多様な地域住民との交流が少なからず発生するであろうことは、育児においてプラス材料に感じられた。官舎内は、役人とその家族の集合体であり、多様な考え方を生き方を認め合う風潮になく、死後硬直を連想させた。
 彼女は彼が通勤するのに不便を感じさせないよう慎重に物件探しを行った。また彼女自身も出産直前までは仕事を続けるつもりであったので、乗車率の高過ぎる路線近郊は避けた。
 彼女にはもうひとつ拘りがあった。子供はふたり育てたかったから、子供部屋ふたつ、そして彼の書斎の確保だった。彼は、帰宅後も書類に目を通すことも少なくなく、官舎内では彼女の就寝後にリビングの灯りの照度を最低限に落とし、起こす羽目にならないよう気遣っていた。越してからは気遣いをさせたくなかったし、自らが働いているからこそ、ひとりになる時間の大切さがわかっていた。初めは建て売りも視野に入れていたが、間取りを考えると注文住宅にならざるを得なかった。予算はオーバーすることになるが、設計図と完成イメージを見せると彼も同意した。
 越した先は閑静な住宅地の見本のような街だった。高齢者、若いファミリー、ひとり暮らしの学生たちが偏ることなく共存していた。望んでいた通りに適度な近所づきあいがあり、ある親切な高齢者夫婦は彼女の娘へ自らの孫のよう接してくれ、ときには食事をご馳走になることもあった。娘も、その夫婦を、おじいちゃん、おばあちゃんと呼び、彼女が買い物に出掛けるときは、快く子守を申し出てくれた。
 彼女は深刻な問題をひとつ抱えていた。職場に彼女に好意を寄せる男性が居た。知り合ったばかりの頃は同期であったこともあり、仲間同士集まって飲みに行くこともあったし、年賀状の遣り取りもあった。彼女は友人のひとりとしか捉えていなかった。
 夫へ知り合うまでに何度か告白され、その度に傷つけないよう配慮は怠らず断り続けた。夫とのつきあいが始まってからも、それは断続的にやってきた。夫と結婚してから数ヶ月は、その鳴りを潜めていたが、その男性は、二番目でもいいから、と言ってくることが、しばしばあった。彼女は恐れさえ抱いたが、自らの振る舞いにも問題があるんじゃないかと考え、夫には相談しなかった。娘を身籠ってからは、さすがにその男性も距離を置き始めた。彼女はようやく安堵した。
 長女を出産して職場に復帰すると、その男性の振る舞いは落ち着いているどころか、エスカレートし始めた。ありもしない噂話を流し始めた。実は、昔彼女とつきあっていたことがあって、彼女の浮気が原因で別れることになった、その浮気相手が彼女のいまの夫だ、と。噂話が流れていることを教えてくれた同僚女性は信用の置ける人物ではあったが、それ以外の職場仲間が、どう思っているのは確認のしようはなかった。その男性のありもしない噂話は下世話なものにまで及んでいた。同僚女性は彼女が傷つくだけだと考え知らせはしなかったが、その男性へは激しく抗議した。その抗議は至極真っ当で正義感溢れるものであったが、皮肉にも反作用を起こすきっかけとなった。
 その男性はストーキング行為を始めた。街で過ごす彼女の写真を会社のデスクの抽斗ひきだしに入れた。
 娘への危害の可能性を感じた彼女はようやく夫へ相談した。すぐに警察へ相談することにした。しかし、現段階では、その男性がつきまとい行為をしているとは断定できない、住居近辺の見回りは強化する、とだけ告げられた。無論、彼の危機管理はそれだけに留まることはなかった。警備会社との契約、防犯カメラの設置を行い、彼女へ会社をすぐに辞めるように説得した。家のローン支払いを考えると、彼女には躊躇いがあったが、彼から、お金の問題ではない、君と娘にもしものことがあったらと想定して欲しい、と言われ、納得した。
 彼女は上司に退職したい旨を伝えた。時短勤務であっても能力の高い彼女は代えのきかない仕事を任されていた。当然、上司は、なにが理由なのか、と尋ねた。彼女は、主婦業に専念したい、とだけ答えた。上司は容易に騙されてくれなかった。これからしばらく休んでいいから、退職願いは預かりとさせてくれ、と言って、その場は終えた。
 上司は賢明な人物だった。秘密裏に情報収集した。上司は彼女が退職を望んだ理由へ辿り着いた。無論、その男性に気づかせないように最善の注意を払った。彼女にはこの会社で引き続き活躍して貰いたい。その男性をよくない意味で刺激してはならない。両立させるのは困難な作業に傍目からは見えるが、上司は唯一の解決方法を見出していた。
 その男性に海外赴任を命じた。社内では誰の目にも栄転したように映り、その男性の自尊心を擽くすぐるのは容易く、これで彼女から遠ざけることにも成功する。その男性は子供時代を海外で暮らしており英語に堪能であったので、上司が上層部を説得するのに時間は要さなかった。上司は、その男性を退職へ追い込む方策も持ち合わせていたが、かなりの可能性で彼女が逆恨みに合うだろうと想定していた。それは絶対に避けなければならなかった。
 上司の計らいについて彼女は夫へ報告した。完璧な安全とは彼には思えなかったが、彼がその上司であったとしたら、同じ方法しか取れないだろうと思ったし、生きている限り完璧な安全が存在し得るものでないことは自明だった。
 その男性が赴任したのは海外現地法人であったので、ほとんどの動向を彼女は知り得なかった。
 しばらくして彼女は希望通りにふたり目の娘を身籠った。産休に入る直前になって、その男性が休職しているらしいという情報が入ってきた。真偽は定かではないが、その男性自身の自尊心を満たす程の成果を上げることができなかったのが原因ではないかと囁かれた。その内、精神を患っているという情報も流れ出した。そして、休職期間を満了し、その男性は退職し、消息不明となった。
 妻は夫へ知り得た情報を伝えた。彼は当然、その男性が日本に帰ってきている可能性が高いと思った。もう危険性はないかもしれない、しかし、彼はそれで胸を撫で下ろすことはできず、私立探偵を雇い、その男性の居場所を特定させ、しばらく動向を追わせた。
 わかったのは、ひとり暮らしをしていること、通院と買い物以外は、ほぼ外出せず、引き篭もり状態にあるということだった。
 
 彼は、自宅の鍵を開けようとした。閉まっていなかった。違和感に因る不安に彼は襲われた。廊下に所々、乾いた血痕があった。彼の鼓動は限界レベルに達し、呼吸することすらままならず、肺はほぼ真空状態に陥った。
 リビングの扉を開けた。一見して全員が生き絶えているのは明らかだった。それでも、ひとりひとりの鼓動と脈、体温を何度も確認した。妻の身体には、死後硬直が現れていた。ふたりの娘は複数箇所を刺されており、全身の血が流れ出しているように見えた。
 彼は朧おぼろげな意識の中で、どうにか決断を下した
 防犯カメラの映像を遡って確認した。
 その男性が映っていた。
 テーブルの上にあった妻の財布の中身を確認した。
 彼は投げ捨ててあった包丁を拾い、柄の部分を布で拭い、自らの手で握り締めた。
 車に乗り込み、その男性の家に向かった。
 その男性の部屋をノックした。
 返事がなかった。
 もう一度ノックし、警察ですと告げた。
 目の前に現れたのは返り血を浴びたままの、その男性だった。
 真空状態における沸点から氷点へのプロセスは背中合わせあり一対だ
 彼の感情は沸き立ち、刹那で凍結した。
 
 これが事件の概要だ。
 彼が、なぜ警察に通報しなかったのか。その男性は三名を殺害し、強盗を行っている。極刑になるか、心神喪失や心神耗弱こうじゃくによる犯行と見なされ無罪になる可能性があった。彼は、理屈上では自らの手で決着をつけたかったであろうし、衝動的に発生した殺意――いや、それは本能的な反射なのかもしれない――を真空状態では抑えようもなかった。
 そして、無駄とはわかっていても、いろんな偽装工作を施した。全部自分がやったと見えるように。彼にとっての事実は、家族を守れなかったのは自らの責任であるという一点だけだった。
 
 
 
 
#公開
 
 先生の事件を担当した刑事や検察官は優秀だった。家族三名を殺害したのが、その男性である事実には、かなり早期の段階で到達していた。先生は徐々に自白を始めていたが、捜査状況のほとんどは、五月雨式にしか公表されなかった。
 
 僕らはこの物語を友人のひとりが編集者として勤務する出版社で、書籍化することを計画していた。友人から編集長にはうちうちに打診をして貰っていたし、草稿には目を通して貰っていた。編集長は筆者である僕に会うことを希望した。編集長は、僕へこう問い掛けた。
「これを本にして販売することでなんの目的が達成されるんだろうか。教えてくれ」
「彼に、僕らはずっと救われてきました。だから、今度は僕らが彼を救う一助になりたいと思っていますし、裁判員の心象にも影響があることを期待しています」
「目的はわかった。しかし志しが低過ぎるんじゃないか?事件は彼が起こしたことではあるが、最早、国民的関心事になっているんだよ。彼や君らの手で収まる問題ではない」
「本にはできないと仰っているんですか?」
「君は、もう少し賢明なモノ書きだと思っていたんだが、俺の思い違いだったようだな」
 僕は、しばらく彼の言っている言葉が指し示すことを想像した。志しが低い……国民的関心事……わからなかった。これまで僕は編集者の求めることを書くだけだった。初めて自分の意思で物語を書いた。なぜ、本にするのか、販売するのか……必要性は……ない。
「なんとなくわかった気がします。本にする必要は全くないですね。広く遍く目を通して貰うためには、ネットで無料公開するのが最善だと思います」
「そうだろう。俺もそう思う。君らに拡散させる力はあるのか?」
「正直ないです。SNSの類いには疎い者の集まりなので、どこかの企業にでも相談するしかないです」
「おいおい、そんな悠長なこと言っている場合か?裁判が終わっちまったら、どうするんだよ。多忙を極めるこの俺樣の仕事がひとつ増えたな。うちのホームページで公開するしかないだろう。その代わり広告収入は全部貰っていいか?」
「いいんですか?そもそも収入なんて考えていませんでしたから、どうぞ全部持っていってください。でも、どうして手助けして頂けるんですか?」
「はあ?俺の優秀な部下の依頼だろう。それに俺も編集者なんだよ。元々は使命感の塊だったんだよ。まあ、いまは金の亡者のように言われているがな」と彼は自嘲気味に笑い、
「いまから社長のとこ行ってくるわ、じゃあな」と言って部屋を出て行った。
 
 出版社がプロモーションを検討している内に、先生は全て自白した。事件の経緯は捜査本部から公表された。それでも僕らは、この物語の公開には意義があると信じて疑わなかった。この時点で裁判員への心象については、さほど気に留めていなかった。それより服役後の先生に対する世間の風当たりを幾ばくか軽減させる役割を果たしたいと願った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
#筆者あとがき
 
 最後までおつきあい頂いたことへ感謝致します。
 彼は確かに法を犯しました。そして、いまから罰を受けます。
 作中に記した『全員が罪人つみびと』であるという彼独特のフレーズを受け入れられない方も居られることでしょう。しかし、僕はこうも思うのです。誰もが『彼と同じ』になる可能性を秘めているのではないかと。
 この物語を書き終えるまでに、たくさんの方々の善意を感じ協力を得ました。身を投げ打ってまでの姿勢を示した方々もいらっしゃいました。
 どれだけ感謝しても仕切れません。
 皆様が、いつか迎えるその日に、悪くないものだった、と思えることを祈ります。
                                          了                                                                                      
 ――変遷――
 
 事件経緯公表の直後に、僕の書いた物語は公開され、少なくない数のメディアで取り上げられた。メディアの反応を細かく見れば表現方法は様々だったが、言っていることは、同情の余地はあるが法治国家に暮らす以上、相応の罰は受けざるを得ない、ということへ集約されているように僕の目には映った。
 一方、ネット上の反応は実に多様だった。
 匿名投稿の方々の非難めいたコメントは、容疑者を擁護する理由にはならないとか、殺人鬼には変わらないとか、物語って虚構でしょとか、筆者自身の半生の部分とか関係ないんだけどとか、教育とか期待してねぇし、洗脳でもしてぇのかよ、馬鹿とか、こいつらの仲間意識みたいな全部が気持ち悪いんだけどとか、相当量があった。
 一方、擁護的なコメントには、涙が止まらない、容疑者こそが被害者だ、無罪でも俺は構わないと思う、といった様に容疑者へ寄り添おうとしている姿勢も少なからず見られた。
 実名と立場を明らかにした上で意見を述べる方々が、日々増え続けるのが実感としてあった。その意見同士は同調したり対立したりを繰り返しながら、人の感情への理解を深め合っているように見えた。法と罰の在り方について言及する方々も居た。自らのスタンスを表明するのにあたり過激な言葉を遣う方々は非難されることを覚悟の上だったのだろう。実際、法曹界からの猛バッシングを一身に受ける方も居た。
 世論の大勢は、容疑者の気持ちを慮ったものへ移り変わっていった。
 事件発生当初から比べると想像以上に大きく世論が変遷していったのは間違いがない。   
 僕は他人事のように、その変遷振りを眺めていた。
 まだ、やり残していることがある。
 集中力を途切らせてはならない。
 
 ――判決――
 
 僕は、その日を家で過ごした。朝から母が訪れて来て、一緒に朝食を摂った。それから僕はソファに腰を下ろし、ひろしを膝の上に乗せて撫で回しながら、ニュース番組でそれが報道されるのをただ待っていた。母も僕の横に腰を下ろした。
 インターフォンが鳴った。母が応答した。弟だった。
 仕事している場合じゃないと思って来ちゃった、と彼は言った。図らずも、寛かんとひろしが揃った。緊張が解れていったのは間違いなかったが、落ち着いてはいなかったから、ひろしに、ねぇ、どう思う?と何度も話し掛けた。彼は耳をこちらに向けるか、大あくびをするだけだった。猫としては健全な反応だった。
 
 テレビ画面の上部に速報が流れた。
「文科省官僚による殺人事件、判決、懲役三年、執行猶予五年」
 判決は素人の僕でもわかる異例のものだった。
 僕ら家族三人は一緒に涙を零した。 
 番組内で詳細は伝えられなかったが、裁判官は情状酌量の余地について述べたそうだ。
 僕は、胸の内で、辛かったであろう日々を送った裁判員の方々を労わり、御礼の言葉を述べた。
 
 先生は記者会見を求められたようで、釈放後に弁護人とともに会見場に立ち、無数のフラッシュを浴びた。記者から、判決を受けて、ご自身がどう思われたか、率直な思いを聞かせてくださいと問われた。先生は、深く、とても長くお辞儀をした。先生も弁護人も着席しなかった。
「私は人を殺めました。判決がどうであれ、これは決して赦されるものではありません。私も自身を赦すことはありません。ご遺族の方々はもちろんのこと、この事件に関わった警察の方々、司法の方々、裁判員の方々には途方もない迷惑を掛けてしまいました。私は、私にできるやり方で罪を贖あがないます」彼は記者団とテレビカメラに向かって、もう一度深くお辞儀し、身体の向きを変えた。記者団から、矢継ぎ早に質問が飛び交ったが、先生は会見場の出口へとまっすぐ向かった。
 
 検察は控訴しなかった。
 
 ――ゼロから『1』――
 
 僕の元へ、出版社経由で幾つかの取材依頼があった。僕は乗り気ではなかった。語るべきことは、もう僕の手の元を離れ、物語上にだけ存在しているように思えたが、友人である編集者とお世話になった編集長の手前上、断りはしなかった。インタビュアーや記者の期待するような受け答えは全くできなかった。編集長は、それでいいんだよ、と慰めてくれた。君はモノ書きだ。書き続けることでのみ、伝わることがある、と言ってくれた。
 
 僕は極端に外出しなくなった。ひろしとふたりっきりで、過ごしたかった。一仕事終えたから燃え尽きたという訳でもなく、病状が悪化している訳でもなかった。物語を書いていたときと同じように、集中したかった。癒しのために、ひろしの存在は不可欠だったが、彼が始終家に居る僕のことをどう思っているのかは謎だった。
 釈放されてからの先生には一度も会いに行かなかった。先生からの連絡もなかった。友人たちは折に触れ、先生の動向を電話やらメッセージで教えてくれた。僕は先生に近づき過ぎると見えなくなるものがあるとわかっていた。
 文部科学省内では、先生の復職を願う者が少なくなかったそうだ。しかし、どんなに世間の同情を買っていたとしても、殺人者を受け入れるほどの風を起こすことはできなかった。
 友人のひとりが教育系オンラインサロンの主宰者となった。実質の運営を先生が行なっていることは、此度このたびは出版社の力を借りていないのに、あっと言う間に拡散されていった。初期会員は両手で数えられるほどしか居なかったが、会員のほとんどが実名と立場を明らかにして、加入していることを情報発信すると、会員数の伸長は急激な成長曲線を描いていった。先生の知名度と『教育』という、どの分野に所属する者にとっても無関係では居られない命題がテーマであることも相まっていたのだろう。皮肉でしかないが、文科省はもちろんのこと、多様な省庁の役人や、議員も加入した。オンラインであるが故に、地方の教育機関に勤める教員も加入できた。民間企業の管理職やコンサル職も加入した。ムーヴメントが起きていることは疑いようのない事実だった。
 先生は得た収入のほとんどを自らが殺めた男性の遺族である両親へ賠償金として渡そうとした。遺族は、むしろこちらが払うべきだと言って、固辞した。
 先生は遺族へ、一度うちの妻と娘ふたりのお墓に来て貰えないでしょうか、赦されるなら、私にも息子さんのお墓で手を合わさせてくだい。それでもう終わりにしましょう、と言った。その後、遺族は月命日には必ずのように墓参りしているようだった。先生は収入の遣い道について検討した。先生らしくなく、すぐには答えへ辿り着けなかった。
 
 変わらず、僕は、ほとんど家から出ることはなかった。
 僕は先生の計画について推論しか持っておらず、まだ布石を打っただけだ。
 集中してさえいれば、波動はいずれやってくる。雨上がりの水溜りに、ぽつぽつと、なにかが落ち水面を震わすような状景だ。始まりは速く、次第に緩慢になる。
 波動に全神経を重ね合わせると、意識は徐々に後退し、本能的に自我の膨張が始まり破裂の寸前、僕は現実世界から、もう何度目になるだろうか、ゼロ世界――偽物だけで構成される世界――に入った。僕はゼロを構成するゼロ――偽物――になる。ここを経由しないと歪みの中には入れない。偽物の僕が偽物を掻き分け、歪みの中――言葉の響きとは真逆な穏やかな世界――へ侵入すると、瞬く間に、現実世界に弾き出され、ほんの束の間、不純物のない『』になれる。それが、唯一の効能であり、意識的に求めていることだった。少なくとも僕には、この作業を経ないと不純物を取り除くことはできない。
 ……僕は泣き虫だ。ソファに寝転がり、涙を溢れさせていると、何かを感じ取ったのだろう、ひろしが僕の胸に乗り、目尻を舐め続けた。
 
 ――極景――
 
 僕は、友人ひとりひとりに声を掛けて、打ち合わせをしたいことがある、と言った。誰も理由は尋ねてこなかった。都合を合わせ、ある友人宅へ集まった。
 僕の辿り着いた結論である先生の計画とその根拠を順追って説明した。皆、絶句したが、異論を挟む者は居なかった。友人女性のひとりが、翔一って、こんなだったっけ、まるで先生みたい、と言った。
 
 先生は、やるべきことを粛々と進めているようだった。ほぼ毎日のようにオンラインサロン上へ動画はアップされ続けた。幼児教育について、読書習慣がもたらす効能について、初等教育に携わる教員への期待やアドバイス、中学生のうちに学んでおいた方がよいと思われるもの、高等学校入試についての考察、これから求められる大学受験の姿、新卒一括採用の弊害とキャリアアップに有用であると考えていることなど、内容は多岐に渡っており、独演会にならないよう毎度ゲストを招き、意見交換の場としていた。
 新たに設けたチャットルームは会員同士を結びつけていき、プラットフォームは完成した。先生は会員の同意を得て、収益のほとんどをユネスコへオートマチックに振り込む仕様を施した。
 
 僕は僕で、やるべきことを粛々と進めた。作業は困難ではなかった。先生の真似をすればいいだけだった。来たるであろう、その日を待った。
 
 その日は、やはり落ち着かなかった。弱い僕は弱いままだった。頻繁にひろしへ声を掛けた。連絡は逐一メッセージで届き続けた。場所が概ね特定されて、部屋の外へ出た。
 空の上にあるはずの天国に向かって手を握り合わせた。
 
 その集落は廃村と呼んでも語弊がないように思えた。
 風景を眺めているうちに、ここか、なるほど、と腑に落ちた。
 宵闇が迫る村の空は八割方が雲に覆われ、雨の予兆かツバメが低空飛行していた。
 僕は落ち着きを概ね取り戻していたが、雲間に見える微かな月の輪郭を見つめ、さあ、いまからが本番だ、と胸の内で呟き、自らの背を押した。
 廃屋の窓ガラスは所々割れていた。扉へ手を掛けた。
 
 廃屋の中の先生の姿は、月の光を遮る雲の影響で朧げであったが、落胆しているように、僕の目には映った。
 
「どこまで想像できていたのかい」と僕は尋ねた。
「……途中まではいつも通りね、うまく進んでいると楽観視していた。判決は想定外だったが、大した問題ではなかった。僕にとって問題になったのは君の書いた物語だった。それは、君の計画通りだろう?
 僕の起こした事件をモチーフにして、君が学生時代のこと、会社員時代のことを書くことで、いい作用が出るタイミングが訪れていることはなんとなくだが、わかっていた。
 ……しかし君は衆目に晒さらす必要が全くない女性関係を記していた。
 僕は、あれが全て事実ではないこと、虚構であることを知っている。
 僕は、面会時に、ただの暗号として真実という言葉を遣った。
 僕にとっての真実はひとつだ。それは、誰かと共有するようなものではない。
 君は僕の思惑とは掛け離れた目的を持ち、手段として事実と虚構を織り交ぜ、自らにとっての真実、いや、この世界の理ことわりを炙り出そうと試みた。
 ……その試みは、どうやら上手くいったように僕の目には映った。
 ……覚悟に迷いが出た。
 そんな事象は僕の人生の中で一度も起きたことはないんだよ。
 いつも目的通りの場所に着地することができた。
 たとえ目隠しをされていたとしても、僕には余裕なはずだった。
 僕の計画を君が察知している蓋然性がいぜんせいがあることはわかっていた。
 でも、その蓋然性を僕は排除したし、君がそっとしておいてくれることを期待した。
 もう、限界なんだよ。
   計画を止めようもなかったんだ。
 ただ、消えてしまいたい。
 それが唯一、想像力を停止させる方法だろう?
 君は……僕を凌駕りょうがしている……
 僕に十字架を背負わせたままで生きること……それを選ばす
 僕にはそれを拒むことができないことが君はわかっている。恐ろしい計画だ」
「そう思われても仕方がない。でも、違うんだよ。確かに僕は先生に生きて欲しい。それは僕の計画なんてものじゃない……ただの願いであり祈りなんだよ。先生が覚悟していたように、僕にも覚悟がある。十字架を一緒に背負わせて欲しい。先生は、そんなものは共有できるものじゃないと言うだろう。でも、一緒になって罪を贖い……奥さんや娘さんふたりのことを祈り続けることは……僕らならできるはずだ」
「……君は……いつ……から……そんな強い人物になったんだ?」
「先生に物語を書くように言われて、初めはもちろん困惑した。でも先生の言った通り、その作業は僕にもたらすものがあった。それは世界の理ことわりなんて立派なものじゃない……できること……できないこと……大切なものを、本当の意味で知ることだった。先生が傷ついたり悲惨な思いをするのは、もう耐えられない。だから強くなんかなっていない」
「それは……僕への愛の告白……としか……聞こえないんだが」と先生は言いながら、少しだけ口角を上げたように僕の目には映った。
「支え合おう。先生は能力が高い、それ以上に……情じょう深い。いままで、ひとりで多くのものを背負い過ぎた」
「いまの僕に……誰のことを支えられるんだ……君に支えられるのも……それは……」
「心配しなくて大丈夫だよ。僕らなら、きっと、上手くやれる」
 先生は苦痛を堪えるように俯いた。そんな仕草は見たことがなかった。
 揺らぎのない視線ばかりを目の当たりにしてきた。
 先生の肩が……上下を大きく繰り返した……膝をついた。
 先生は……吼ほえた。
 
 
友人のひとり、ひとりが廃屋へ入って来た。
 
 恒星に引っ張られ、その周りを囲む惑星たちのような、運命的な配置に感じられた。
 
 割れたガラスの隙間から
 弱々しい
 月のひとしずくが
 差し込む
 視界が滲む
 ゆらり揺らぐ
 
 歪みの中へ……
 ……こころ

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