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55歳で無職です 5 映画「誘惑者」について その2



【スタッフルームで一人】


ご存知のとおり、映画製作は朝早く、夜は遅くまで撮影をする。

時には明け方を迎え、数時間後に撮影に入らなければならない事も当然あり得る。雑用係の私などは、他のスタッフがスタジオやロケ先へ来る前の段階で、細々した雑用をやり、撮影終了後もやる事はあったので、家へ帰れない事も珍しくはなかった。

そんなときは、撮影所備え付けの風呂に一人で入り、出た後に自動販売機で100円で買えるハンバーガーを食べ、スタッフルームと呼ばれる八畳ぐらいの狭い小部屋のソファーにもたれ掛かり、新聞紙を体に巻いて寝ていた。掛け布団の一枚も無かった。
部屋にエアコンも無く、まだ寒い時期だったので震えて寝た。
この撮影期間中、睡眠は私にとって何よりの安らぎであった。寝ている間は何もしなくて良いので、それだけが心の拠り所だったかもしれない。

同時期に私の友人が、他の作品の現場に同じように下働きをしていたが、その男は「食べる事だけが楽しみだ」と言っていた。
さらに、もう一人の友人も他の作品に働きに出た男がいたが、そいつは上司から「態度が悪い」と言われ、早々にクビになってしまった。その作品のスタッフルームへの出入り禁止の張り紙まで貼られていた。


【スタッフ同士のトラブル】

【スケジュール】

予算との兼ね合い

映画やテレビドラマを製作するには、何十人もの人手がいる。
人が多くなると当然トラブルのタネも増えてくる。
助監督は4人いて、上からチーフ、セカンド、サード、フォースと呼ばれる。あるとき、ベテランのチーフ助監督とプロデューサーの一人が、撮影スケジュールをめぐって衝突したのだ。

プロデューサーからすると、「お前が作ったスケジュールではダメだ。俺だったらもっと上手くやる」という趣旨の事を言った。
これにベテラン助監督は憤慨し、作品の準備段階で降板した。
のちに代わりの助監督が来たのだが、降板した助監督が作ったスケジュール表を見て「良く出来ている」と言っていた。


【シーアサイクー】

オイニーがツイキー


助監督の揉め事で、もう一つ覚えているのが、サード助監督が助監督見習いの足の臭いで揉めたことがあった。
助監督見習いは、映画製作配給会社に入社したての新人で、勉強のために会社から派遣された者だった。
ある時、この二人と私はスタッフルームに三人でいた。私は机に向かって事務仕事をしていて、あとの二人は何かしら会話をしていた。
すると、助監督見習いが、

「うるせえんだよ!いちいちようッ!」

突然サード助監督に怒声を挙げたのである。
言われたサード助監督は、

「お前が悪いんだろうよッ!靴脱ぐんじゃねえよッ!」

助監督見習いが靴を脱いでいて、しかも靴下を履いてなかったので、足から悪臭を放っていたのを注意したのが原因だったのだ。

取っ組み合いの喧嘩にはならなかったが、当然険悪なムードになった。
次の日サード助監督は、プロデューサーに電話をし、「アイツがいるなら俺はやれませんから」と助監督見習いを辞めさせて欲しい趣旨を伝えた。
その後、悪臭を放っていた助監督見習いは、親が危篤状態になったのでと言って現場から離れてしまった。
危篤状態になったというのは、おそらくウソだった可能性は高い。


【衣装】


衣装部でもトラブルがあった。
登場人物が身につける衣装を用意する衣装部の一人が、自分が用意した衣装が使われない事に腹を立てたのだ。もう一人が持ってきたものばかり使われる事に嫌気がさしたようだった。
結局、腹を立てた衣装部の一人は降板してしまった。

私自身は、誰かとトラブルになった事は無かったが、まあ、こういった事柄はよく起きる事なのだろう。


【車止め】

止まってくれない


撮影現場で私が大いに困ったのが「車止め」である。
これは一般車道を使い、登場人物が車を運転している場面を撮影するときに、1車線もしくは2車線を使用するのだが、当然一般ドライバーもその道、または隣のレーンを通行する場合もある。その一般車両が画面に映り込まないように、

「今、映画の撮影をやっているので、通るのを待ってほしい」

と伝えるのだが、すんなり聞いてくれればありがたいのだが、文句を言われたりするのはまだしも、そんなの関係ねえよとばかりに、進んでしまうドライバーもいる。
こうなると、私は他のスタッフから怒鳴られる事になる。
それだけではなく、事故につながる可能性も大なので、止められなかった場合事故が起きるのではと、私はかなりヒヤヒヤした覚えがある。


【一般公開】


約一ヶ月半ほどの撮影が終わり、編集を経て1989年10月29日シネスイッチ銀座で公開された。
この映画は現在、DVD/BDソフトの発売はしていないし、配信もされていない。
この作品が、記事を読んだ方の眼に触れる機会は極めて低い事になる。私自身も30年以上、この作品を見ていない。


【その後の私】

撮影終了後、一ヶ月ほどして、私は映像とは全く関わりのない一般企業に就職した。


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