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55歳で無職です 8 【期待】

私は、とりあえず55年間生きているわけだが、振り返ってみると良い人生か悪い人生かといったら、自分では良い人生を送ってきているとは思わない。
私は21、2歳の頃、身内を二人亡くしている。
その後、親の借金の問題で裁判沙汰になり敗訴し、かなりの負債を抱えた事もあれば、親が所有していた不動産が金銭苦で人手に渡ったこともある。

仕事の面では出世コースに乗った事も無いし、魅力のある女性と、ねんごろになったことなど、そうそう無い。
まあ、これは、誰のせいでも無く自分の能力と、人としての魅力に欠けているという事なのは、もちろん自覚している。
他人や世の中のせいではない。

私生活で悪いことばかりが起きると、他人や自分に対し過度な期待はしなくなる。

〈今まで良い事なかったけど、その分、これからは良い事あるぞ〉

と、前向きに思えるのなら、まだ救いはあるのかもしれない。きっとあるのだろう。
しかし、どうも期待をするという習性が、いつの間にか無くなったように思える。
意図的に〈期待をしない〉と決めているわけではないのだが・・・
これは私の性格の一部であるわけだが、期待をしない事で〈まあ、そんなもんだろ〉と受け入れて流すのは、私にとっては、生きていく上での安定剤なのかもしれない。
つまり、〈期待をしない〉事が、私にとっては楽なのだろう。
ただし、〈期待をしない〉は、言い換えれば〈あきらめる〉とも言えるわけで、あきらめれば、それはそれで楽なのだが、夢も希望も目標も無いのでは、成長や面白味を感ずる事も無くなってしまう。
これはこれで、無味乾燥な気もする。

もちろん夢や希望を持って、それに向かって自分の精神、時間、労力を使うことは決して無駄な事ではない。
人間、目標に向かって精進している姿は立派だと思うし、応援したくなるものだ。

〈やらないで後悔するより、やって後悔しろ〉

こんな言葉もある。

noteに記事を書いてらっしゃる皆さん一人一人に、それぞれ抱えている事情があり、様々な思いがある。

自分や他人に過度な期待は禁物だが、私も皆さんも〈現状を変えたい〉との思いを持っている人は多いだろう。

〈良い事と悪い事〉が50/50で帳尻が合えば良いのだが、私の場合はまだまだ〈良い事〉の帳尻は合いそうにない。

これから少しでも、帳尻が合えば良いんだけどなあ。

〈期待しないで期待することにするかな〉


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