SCPtale 攀縁 を読んだ。

scpの依談ハブに属するtale、攀縁(はんえん)と言う話がある。

依談ハブに属するtaleで長いが非常に面白いので未読の方はぜひ。

http://scp-jp.wikidot.com/hanen



はんえんの意味は作中でも言及されているが、縁を伝って来る事、縁を伝ってよじ登る事を指す。

このtaleは、1から20の資料が示され、次第に様々な事が判明する。と言う形で話が進む。

1
住職にインタビューが行われている。
インタビューが終わったところから話は始まり。住職にインタビューをしているのは、民俗学を専攻する学生であり、伝承を調べにきていた事が伺える。
住職は怪談好きで、「おつかれさま」に言及し、住職の見解は、あれは周囲の霊を一か所に集めて、対象に取り込ませるものだと。そして、それに類する御祓を教えてくれる。

それは。コップに水、あるいは日本酒を注ぎ。

こいのむらんと さかほがい
われにまがれと のりたてまつる

これを心を込めて読み上げ、コップの中身を飲む。

この時、飲む回数を三回にする。
1回目、2回目に口をつけた分は飲むが、3回目に口をつけたのは、口に含んだ後吐き出す。

と特殊な方法となる。

さかほがいの意味は、そのまま訳すとお酒で祝宴しようとか、そんな感じらしいが、後の文章で後半の部分の訳が出てくるので、それを踏まえたら、ここでは二重に意味を持たせてるかもしれない。

さかほがい→酒・ほがう(祝う)ではなく。

さかほがい→逆・ほがう(祝う)なのかも?

この後、住職は、この方法でもダメならうちで御祓しますよ。と言って終わる。

後の文章をみると、この住職は善意でこの手法を教えたのだろうか?

2

大学の准教の話。
百物語についての考察が書かれている。
百物語とは、降霊術の一つの儀式ではないだろうか。と言う。
百の物語を語る事で、細い怪異の糸を太く束ねて顕現させるようなもの。
怪談が像を結んだ時に顕現する。
そう言う儀式である。と。

3

熊本県に伝わる一家で二人死者が出た場合に、もう一つ墓を用意し、そこに人形を埋葬する風習の話。スラバカと呼ばれ、それは虚墓が訛ったのではないか。と言及される。
これは、それ以上の人死を回避する風習とされる。
一家で二人と言う点、村の中で、では無いのは、一家というより小さいコミュニティ、より縁が強いコミュニティ内で続けて死者が出る事が、縁を伝って死が来る事を意味するのでは無いか?

それ故、人形を身代わりにし、存在しない墓を作る事で、コミュニティ内の縁を途切れさせて、死者が出ないようにする。という意図があるように見える。

4

実話怪談より抜粋された怪談。

熊本県で起きた怪談についての言及。

コンビニの帰り道で不気味な物を拾った話が書いてある。
それは、

まがれ

と一言書かれた葉書で、それを拾った後に

ふふふっ

って嬉しそうな女性の声が聞こえた。というもの。

まがる。には正しく無い状態になる。などの意味合いがある。あるいは、後の文章で言及される禍。つまり災いを意味する。

5

Twitterに奇妙なアカウントが確認された話。

発見者は大学院で文化人類学の研究をしていて、ゼミの後輩が発見したメモに

われにまがあり のりたてまつる

の文章が書かれていた。と言う。

1で住職が教えていた呪文と同じ文だと思われる。

ここで、この呪文が自身に呪いを集める不可解な呪文であると、説明される。


6

福岡の大学の地理研で出会った藤川さん。と言う方についての話。

藤川さんは地理というよりは民俗学よりな研究をしていた。

その藤川さんが持ってきた封筒の説明。

封筒には攀縁(はんえん)の文字が書かれていた。

ここで、タイトルが出てくる。

7

前述の藤川さんの研究発表。

藤川 中子さんによる研究は、集落にある語りの場についての説明。

そして、熊本県阿蘇市旧宮地町での儀式の話が出てきます。

この語りの場には固有名を持たせないようにしてあり、忌み言葉として扱われていたと説明されている。

このアツマリはお盆の時期に集まったみんなで不思議な話や怪談を話し、その内容を簡潔に書いた紙を(はんえん)と書かれた封筒に入れる。
全員が終わったら封筒を仏前に備える。と言うもの。

お盆に帰って来たご先祖様が退屈しないように、怪談を語って呼び出した存在にご先祖様の話し相手をしてもらう為にするのだという。

その、ご先祖様の相手を呼び出す降霊術のようなものだ。

怪談を語っただけだとその場に残ってしまうので、紙を依代にして怪異を移し、その後供養する。というものだという。

ここで、攀縁(はんえん)が何かを伝ってよじ登る意味であると、説明がはいる。


8

藤川さんのTwitterと思われるアカウントについて言及。

そのアカウントは梓 ゆみ と言うアカウントと相互フォローしていた事。

梓 ゆみ のアカウントとの会話をしていると思われる呟きが書かれている。

8月13日に実家の熊本県に帰っていると思われ、14日から27日まで呟きがある。

ちょうど、お盆の時期である。

また、梓弓はイタコが使う道具としても有名だが、死霊や生霊を呼び寄せる時に鳴らす小さな弓である。

何かを呼び寄せる役割があるのか。 

同時に攀縁(はんえん)と書かれた葉書が写っている呟きがある。

9

土産団子。という死者に手向ける団子の説明。
死者に最期に渡す冥土の土産と思われる。
三途の川の渡賃の六文銭のようなもの。
こちらとあちらを分ける為の儀礼的な意味合いが強いのだろう。

ただ、この話を聞いた人はこの土産団子を家に持ち帰ったらしい。

あの世と繋がって居る物を持ち帰るのは、縁が繋がったままになるのでは?意図的に持ち帰らせた。


10

mixiのコミュについて。
熊本県ユーザーコミュにて。

8月15日の夕方に奇妙なおじさんとの遭遇が書かれている。

おじさんは まがっちゃったねぇ と複数回叫んでいたという。

まがっちゃった は文章から考えて禍っちゃっただろう。

11

藤川さんのアカウントが呟いた8月15日の呟きに言及。財団の担当職員だろうか。

この一連の流れが熊本県旧宮地町に伝わる儀式との関連性が見受けられる。という。
12にて、その儀式の資料が提示される。


12

「契約の民俗学」第三節「憑依契約」より。

熊本県阿蘇郡宮地町に伝わる祭祀、「エニシツギ」についての資料。

エニシツギは悪霊を鎮める為に巫女と悪霊を結びつけて、依巫に悪霊を取り憑かせて制御しようとする目的がある。
依巫には資格は無く、口減らしも兼ねていた可能性があったと推測する人もいる。

エニシツギの儀式が書いてあり、藤川さんはエニシツギの祭祀の依巫として悪霊を取り憑かせたと思われる。

儀式の終盤、依代になった巫女を処分する。とある。

13

神楽・薦枕(こもまくら)が書かれている。

高瀬の淀にいるのは誰の贄人だ。鴫(シギ。チドリ科の鳥)を突きとり、網を下ろし、小網を張って登るのは

天上の豊岡姫の贄人です。鴫を突きとり、網を下ろして、小網を張って登るのは。

という意味合いらしい。

14

白黒の集合写真が一枚。宮地町立宮地尋常小学校で1910年に撮影された写真とのこと。
写真には着物を着た稚児髷に結った女児が写って居るが、左上の女児が二人、顔が剥がされている。

七つまでは神のうち。七つを超えるまでは人では無く神の領分だと言う。
この考えからか、九州の巫術でも巫女は7つまでに決まるとされた。

彼女の顔が剥がされていたのは何故か?

前述の祭祀、エニシツギを踏まえて考えれば、彼女達は依巫になったのではないだろうか。

15


攀縁についての言及
縁をすがって登ること。繋げた縁を伝って来る事の事だろう。

絶対に見ないでください。

と挟まれる。
これは、読者に対しての一文と思われる。

16

藤川さんのTwitterアカウントに動きがあったので共有をはかる。これは財団職員間での話しだろう。

スマートフォンで撮影された動画のスクリーンショットが有るが、
左下に覗き込む女性のアップが写り、心臓に悪い。


梓 ゆみ とのTwitterの返信があるが、梓 ゆみは鍵垢なので、何が書かれているのか読めない。

財団職員はこれに嫌な予感を感じている。

17

藤川さんの訃報を告げる新聞。
山中で発見されたと書かれている。ちょうどTwitterの後だろう。

18

財団職員が何かに気がつく。
これは触れてはならない類の存在だった。

19

怪異を繋げて名前を与える意味。
百物語を怪異を呼び出す降霊術とする事。
今まで読んできたこの資料を結ぶ事で呼び出す事になるのか。

20

藤川中子さんからの電話。

依巫とされて、だいぶ混ざってしまったようにみえる。

僕が好きなホラーゲームに零。と言うホラーゲームがある。
PS2で発売された、和風ホラーで、射影機という幽霊を捉えられる特殊なカメラで戦うゲームだ。
このゲームは、出てくる女の子が軒並み可愛いとか、随所になんか危ない雰囲気が漂っていたりとかするんで、刺さる人はめちゃくちゃ刺さると思います。


特に2作目の紅い蝶が、個人的なお気に入りだ。
ただし、居間に出てくる浮遊霊のクソガキどもは別だ。


このゲームのストーリーでは。日本各地に、あの世と繋がっている門があり、その門から定期的にあの世の住人が吹き出して来るのを、周辺に住む人々が生贄を伴う儀式によって抑えていた。
だが、毎回毎回成功するわけでなく、いつか来る儀式の失敗によって、門が開かれてしまい、あの世の瘴気によって住人が発狂した結果、廃墟となった場所がこのゲームの舞台だ。


そこに主人公達が何かしらの縁によって囚われてしまい。脱出をはかる。

このゲームは、脱出するために様々な資料を集めていくのだが、そこにはかつて暮らしていた人々がどう暮らしていたのか。とか、儀式に臨む人の日誌とかが見れて、非常に面白いのだ。


このシリーズの中で、刺青の聲と言う3作目の作品では、前2作品の巫女と少し違った趣だ。
前2作品では門を閉じる事に生贄を伴う儀式を行なっていたが、刺青の聲の巫女は少し違う。

彼女は身体に刺青を入れる。
この刺青は、死者が出た際に、死者に近しい人の悲しみ、痛みを刺青として刻み、全身に刺青が施された巫女を永遠の眠りに就かせて、あの世に送る事で、死者に対する想いをあの世に渡らせる役割を持つ。
この役割の巫女は、この世に未練があると、巫女ごとあの世から戻って来てしまうので、巫女は未練を持たないよう、親族を亡くした者が選ばれる。


門を閉じる役割ではなく、死者への想いを渡らせる為の依代の役割を課された巫女。


死者が出た際に死者が迷う事が無い様に、様々な事が行われる。

代表的な物なら、死者が生前使用した食器を破壊する。
これは、死者がこの世に戻る事が無い様に行う行為だ。


僕は、死者が迷い出るのは、生者が死者に帰って来て欲しいと願うからだと思う。

だから、刺青の巫女は死者に対する想いを乗せて黄泉へ渡るのだ。
死者がこちらに帰ってこないように。

この世と繋がる巫女が、こちらに未練が無ければ、無事にあの世へと行けるのだ。


攀縁と似ているような気がするのだ。

一人の巫女に周辺の霊やケガレを全てを取り付けて、巫女ごとあの世に送る事で、ムラの中に出たケガレをムラの外に出す役割。

村に溜まったケガレを定期的に掃除する為の役割なのだろう。この辺りは大規模な流し雛みたいな感じか。

流し雛とは。ヒトガタに自身の厄を移し、それを川に流す事で厄を払う儀式だ。
川は昔からムラとムラを隔てる境界としての役割を持つ。

川に流すと言う事は、ムラからの追放を意味する。ムラの外に厄を捨てるわけだ。

ただし、この巫女は巫女になるために育てられたわけではない。

周辺の霊全てを取り付けてあの世に送ったからとして、本当に彼女は送れたのだろうか。未練が無いのだろうか?

タイトルに何故この単語が使われているのか。何故縁を伝って来るとしたのか。
多分、この文章を読んだ人と縁を繋ぐためだろう。

複数の怪異を紐付けて、一本に束ねる事で、彼女らこちら側に顕現するつもりなのだろう。


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