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祖母の言葉

「小倉やったら、あんたらおらんのよ。」
中学生のとき祖母がぽつりとつぶやいた。

当時の私は、祖母が何をいっているのか全く分からず知らん顔でTVを見続けていたのを覚えている。

祖母が、亡くなってからそのことについて母上に尋ねる機会があり、そこではじめて戦争当時、祖母は女学生で小倉の工場で働いていたことを知りました。
(祖母は、家庭環境が複雑だったので詳しい生い立ちを娘の母上でさえ詳しくは知りません。
特に結婚するまでの話は、なくなるまでほとんど話していませんでした。)

そして、原爆投下の目標に小倉も広島、長崎と共に候補に上がっていたことをはじめて知り、祖母のあの言葉の重さに初めて気がつかされました。

祖母が亡くなってしばらくして広島には8月6日当日に灯籠流しに参加をしたり、現存する被爆建物を見て回る機会を得て知らないことを大人になり始めてたくさんのことを知れました。

その翌年、長崎にも行く機会があり資料館に、はじめて行き長崎で起きたことの現実もたくさん学べました。

世の中が、灰色になってきた昨今。
祖母の言葉を思い出しながら、来年は、広島•長崎に行ってみたいと感じた1日でした。





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