神指城跡 高瀬の大木を訪ねて
高瀬の大木の案内板によると、神指城は、慶長五年上杉景勝によって築城が開始され、同年に一応形が整ったが、徳川家康の会津征伐などにより、慶長六年工事が中断され、廃城となったという。
神指城の二之丸跡の北東隅にある高瀬の大木は、案内板によると樹齢千年とも言われ、神指城建設の前からこの地にあったといわれている。現在は国の天然記念物に指定されている。
高瀬の大木の横福昌寺
高瀬の大木の横にある福昌寺は、会津三十三観音の十五番礼所となっている。
案内板によると寺の由緒は、承安二年(1172)京と奥州を往来していた、金売り吉次、吉内、吉六三兄弟が村東の応湖川を渡ろうとした時、川が増水し船が転覆し、兄弟末の吉六が溺死したという伝説がるという。吉六の冥福を祈って、建立されたのが、高瀬観音堂だといわれている。
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