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根暗女の00年代インターネット遍歴


ネット民としての私の歴史を振り返ってみた。
現在30代くらいの方なら共感してもらえるかもしれない。

◯黎明期(小学生)


小3か小4のある日、家にパソコンがやってきた。当時はまだADSL回線で、繋がるのにものすごく時間がかかっていた記憶がある。

高学年になると、「MSN」「ふみコミュニティ」あたりのチャットや掲示板を通じて、同世代の知らない人との交流を始めた。
当時登校が不規則になり始めた時期で、そのことに罪悪感があった私は、学校に行っているテイでその子たちと話していた。
だんだん嘘をつき続けるのが辛くなり、いつの間にか交流をしなくなっていた。

◯どっぷり期(不登校時代)


中学の頃は、2ちゃんねる全盛期と重なった。
私はお笑い芸人板、椎名林檎板、オカルト板をメインに閲覧していた。
この頃は学校に完全に行かなくなっており、時間は無限にあったから、ブックマークしたスレッドをひたすら徘徊、もとい巡回する日々だった。
ROM専(読む専門)では飽き足らず、書き込みやスレ立て、果てはスレッドのまとめwiki運営までしていた。
そのwikiは今も存在しており、閲覧者カウンターもゆるく回り続けている。先日YouTubeを見ていたら、情報の引用元として私の立てたスレやまとめWikiが登場したので驚いた。
更にこの前、そのスレの趣旨と酷似した内容の番組も放送されていた。
「これ、だいぶ参考にされてるんじゃないか…?」と感じたが、何せ2chは匿名掲示板である。私も「名無しさん」の一人に過ぎないし、スレが栄えたのは私一人の手柄というわけでもないので、この件に関しては何の権利も主張できないのが悲しい所である。

◯有益情報期(高校生〜結婚前後)



前述のWikiの管理は高校入学以降もしていたが、そのことをリアルな知り合いに口外したことは一度もない。
当時はギリギリ『電車男』が流行る前で、2ch=アングラのイメージが強かったからだ。(青木さやかがボケの一環として「2ちゃんねるに書き込むぞ!」と発言しただけで「芸能人がテレビで〝2ちゃんねる〟と言った!」と界隈が大騒ぎになるくらいにはダークな存在だった。)

この頃は、年頃の女子らしく、美容板や化粧板、掃除板などを熱心に見るようになった。
今ほどメジャーでなかったパーソナルカラーの概念もここで知った。成人式の振袖選びなどに大変役立った。

更に、生活の知恵とかテレビの感想を気軽に読める場所として、既婚女性板も覗いていた。通称「鬼女」と呼ばれるだけあって、既婚女性板の住民は情報や考察が濃かった。

この時期の動画サイトといえば、YouTubeではなくニコニコ動画。「ニコニコ幻想狂気リンク」というタグがあって、谷山浩子、たま、つげ義春、ねこぢるなどの存在を一気に知ることとなった。

◯Twitter期(出産後〜現在)



20歳前後は私生活が忙しく、ネットに割く時間も少なくなっていたが、オカルト板のスピリチュアル寄りなスレはなんとなく読み続けていた。
その頃はインテリアに凝っていたので、情報収集や部屋の写真を載せるためにFC2ブログもやっていた。

子が生まれてからは、育児アカウントにするつもりでTwitterを開設したが、電話帳経由で身内やリアル知人と繋がってしまったのが気まずくて、全然稼働はしていなかった。名無し文化が染み付いていて、本名の自分として発信するのにかなり抵抗があったのだ。

2020年からは、コロナ禍の外出自粛でヒマになり、夢日記をつけることにした。そこでTwitterとブログを復活させた。現在のアカウント『誰が見た夢』である。



――記憶違いやうろ覚えの部分もあるかと思うが、私のネット歴をざっと振り返ってみた。


特に10代の頃など、同世代の子達が「mixi」とか「前略プロフ」をやっている時代にあって、私のネットの使い方には若さがない感じがする。
しかし、その頃に目にした有益な情報が積み重なって、現在に繋がっているのだから、間違った時間の使い方ではなかったと思っている。


最近は「ネット民のひとり」ではなく「私」としてSNSを使っているが、やはり「名無し文化」ともいうべきものが染み付いていて、『誰が見た夢』という匿名の延長みたいな名前を付けてしまったのかもしれない。

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