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今の私が過去を変える


パッチワーク教室を始めた理由は
自営業者として自立する為だった

小さな田舎町で安定した職に就くには
地盤と有力なコネが必須の様

その上、安定した職の枠も少ないのが現状
公務員、農協の職員、教師、介護士…etc
だから力のある若者は
どんどん、町を離れて行く

資格の必要な職は別として


息子を役場の職員にする為に
100万包む位、安いもんだと常識の様にいう人も居たり

ある町長が当選したら
そのご近所が、こぞって職員に採用されたり

町長の交代劇があると
前町長のコネ採用の子が虐められて
自殺した
り…と

黒い噂が嫌でも耳に入って来た

私達家族が移転したその場所は一風変わった所で
既存の集落から少し登った山の上にあり

全員が他県から移り住んだ人ばかりだったし
同世代という事もあり、随分と助けて貰い

居心地は良かったのだが

いざ、仕事となると
皆、自営業の道を選択
していた


介護職に就こうかとヘルパー2級の資格を取ったが
いくら待っても一向に仕事の依頼が来ず

自分から役場に問合わせに行くと
余所者だから難しいと言われてしまう

離婚して戻ってきた学会幹部の娘さんは
直ぐに福祉事務所の職にありついた
というのに…

口惜しかった

ミシンを扱えるなら縫製工場で働こうかと
面接に行くと…
いかに短時間に沢山仕上げるかを競わされていた

こんな働き方したくなかったので
即決で断わった

余所者でしかも何の資格もない
子持ちのおばさんだという事を
いやでも突きつけられる日々だった

だから必然的に自営業を選択するしか無かったのだ

そして未知の世界を
自分で切り開いていく事に成るのだが

辛うじて武器になりそうなパッチワークで
果たして食べて行けるのか

不安の方が大きかったものの

向いてない器に無理に自分をはめに行くより
自分の形を作る方が
失敗しても楽しそうと思った

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今なら思う
あの時、ヘルパーに採用されなくて
本当にラッキーだった


恐る恐る一歩踏み出して
自力で仕事を形にしてこれた事で
素敵な出会いがあり、学びがあり
何より自信に繋がっている

今幸せだから、
過去を塗り替える事が出来る。

とにかく今を充実させて
生きていればイイのだ

またブログやnoteやYoutubeという
未知の領域に踏み込んで
毎日ワクワクしながら
発見や出会いを楽しんでいる


↓Youtubeについての記事です↓

私の未来は明るい❣️
いつも、そう信じている。


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