わりと日刊だらく[No.24]〜大葉餃子〜
今日もテキトーにやっていきます。
今日の散文
大葉餃子
大葉餃子を作った。
発端はドロヘドロというアニメを見たことにある。
その作品のメインキャラの姉ちゃんが食堂をやっていて、これまたメインキャラの変なワニ頭の男がいて、姉ちゃんがワニに飯を作ってやってるのだが、ワニが異様にうまそうに大葉餃子を食うのだ。あのデカい口の中に餃子を放り込み、高木渉の声で「うめえー!」と大声で言われたら食べたくなってしまうのも仕方ない気がする(高木渉は名探偵コナンの元太とかの声優さん)。
さて、今回の餃子作りは、前回と同様に皮を生地から作るところから始めた。
皮の生地をこねるのは楽しい。体重をかけて押し込み、散らばったカスをまとめていく。生地をこねこねしている時、ものつくりをしてる感がある。
だが、皮の成型がクソだるい。手際が良くなってくると変わるのだろうか。今回はダルくなってしまったのであまりちゃんと伸ばさずにやったので、厚めの皮に仕上がった。
大葉をまるまる一枚入れた大葉餃子は、大葉の香りが堪能できた。刻んで入れるたものは若干風味が足りなかった気がする。
下味をクソテキトーにつけてしまったので、味が薄かった。醤油をつけてもその薄さはカバーできない。特に、今回は厚い生地だったので、下味が力強くないと対抗できなかった。もしかしたら、皮にもう少し塩を入れた方が良かったのかもしれない。でも、基本的にはレシピ通りに作るのが良いね。
米党の僕としては、厚い生地にすると異様に食べ応えが出ることがわかったのは収穫だった。米を食わなくても餃子だけで満足感が得られるのはすごい。そもそも餃子は主食なんだけど。
伸ばしてカタチにするのがスゲーめんどくさいので、ひとりで作る時は、皮は買った方が無難だ。タネを作るのは簡単だし。
だが、料理好き・人体実験好きの人は、厚めの生地で餃子を作って食べる経験はしておいた方が良いと思う。
昨日は時間がなかったのでめんどくさいなと感じたが、餃子作りはやはり楽しい。料理は楽しい。
話は変わるが、友達や家族と餃子を作って食べるのは、すごく良いコミュニケーションのアイデアだと思う。一緒に皮を伸ばすこと、薄い皮や厚い皮を作ること、具材に色んなものを使うこと、それらを一緒に買い物をして選ぶこと、一緒に食べること。一連の流れで学べることがすごく多いし、何より楽しい。
群れの儀式のひとつとして取り入れてみてはいかがだろうか。おいしいよ。
音楽
ズレ感が心地良い。
一人組
くらがりチャレンジ
サッポロ一番塩ラーメンの冬限定のやつ食べた。利尻昆布仕立てとか書いてあったけど、スープが濃くなっていたように感じている。記憶違いかな。
贈与
なし。
パブリックを思い出す
やった。
小休憩
やった。やっぱいいね。
観察と感想
やった。今日は雲が遠くにあって動きが緩やかだった。散歩中に色々見てた。
愛を思い出す
もちろん。
本とお話しする
昨日やると書いたけど昨日も今日も全然やってねえ。
人生の終わりまでをイメージする
やった。
終わりに
脱力の最中、不意に上昇志向の焦りみたいなものが迫ってくることがある。「わかるよ」と声をかけると、そいつは消えていく。僕の体が今を受け入れていく。
無意識の声を聞くために、脱力しなくてはならない。何が嫌だと思っていたのか、過去の自分を知る手がかりはそこにある。今の自分の感覚を通じて、無意識の声を聞く。それが祈りであり、脱力である。「こうありたい」という身体感覚は、ただ心地良いだけではなく、自分の無意識の内に隠された傷を知るために必要なのだとわかった。
豚タンの脂が乗ったところがすげえ柔らかくてうまいうまいうまい。ネットで調べたら下の根元が柔らかくて脂肪があってうまいと書いてあったけど「舌先じゃね?」と思っている。面積が広い肉、歯応えありすぎて顎が疲れる。
今日も良き日であった。
明日はもっといい日になるよね、有象無象。
じゃあ、また、あした。
良い夜を。
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