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わりと日刊だらく[No.22]〜本当の自分とは何か〜

今日もテキトーにやっていきます。



今日の散文

本当の自分とは何か

誰しも「本当の自分」について考えたことがあるのではないかと思う。

例えば、あの人と関わっている時の自分と、この人と関わっている時の自分が違うというようなことから。あっちでは威張っているのに、こっちではヘコヘコしているというようなことから「本当の自分はどっちなのだろう?」などと考えたりする。

あるいは、常にみんなに平等に他人と接するようにしている人が、その時に他人にとって都合が良いであろう自分を演じていて、それが苦痛である、と。そんな時「本当の自分が出せない」などと思ってしまう人がいる。


僕は「どんな自分もすべて自分だ」と思う。

人によって態度が変わることなど当たり前だし、その時に色んな演技をするのも当たり前だ。それに、素の自分・本当の自分なんて、環境によって作られたものだと思う。慣れ親しんだリラックスできる状態を求めているだけなのではないか。不快を感じているからと言って、いくつかの人格に矛盾が生じたからと言って、それを否定するのはおかしい。

卑怯者な自分も、正義を振りかざしている自分も、殺意を抱いている自分も、口から出まかせを言って立ち回っている自分も、ピエロな自分も、失言をしたと思って恥ずかしがっている自分も、他人の目を気にして振る舞いを制限して我慢している自分も、特に何も気にせずズカズカと言いたいことを言う自分も、全て自分自身だと思う。その人格のそれぞれが、その時の自分の体に合う合わないはあるかもしれないが、そのすべては自分だ。


ピエロをやっている人は、自分の中のピエロを消そうとしたりする。自然に振る舞えるように、もっと落ち着いた振る舞いができるようにならなくちゃ、みんなからそう見えるようにならなくちゃ、などと思っていたりする。

でも、僕はそれはなんか違うなと思う。「それって結局、また同じようにピエロをやろうとしているんじゃないか」と思う。他人を楽しませなければならないとか、他人に不快を与えてはならないとか、他人にどう見られたいかとか、そんな視点で自分を見ている時点で、振る舞いを変えても根本的な状態は変わっていないのだから、あまり意味がないと思う。

そして、ピエロの利点がすべて消えてしまったらもったいないと思う。その個性は、きっと何か意味がある。何か役に立つところがある。考えてみて欲しい。その個性は、たぶん自分を守っていたはずだ。長い間無意識にやってきてそれが当たり前になりすぎて、何が守られているのか覚えていないかもしれないが。

一見するとそうでないかもしれないが、今生きているということは、どこかに一理くらいはある選択だったのではないか。そんなに悪い選択ではなかったのではないか。


そもそも、矛盾の何が悪いのか。自分の中で矛盾が起きたとして、それに何の問題があるのだろうか。


僕は、自己の矛盾を許容する。

あっちのお姉さんも好きだし、こっちのお姉さんも好きだ。どっちが一番かなどということを決める必要はない。どっちも好きだ。どっちも良さがある。

振る舞いと実際の心が違って何が悪い。本音と建前はある。自分でそれが嘘だとわかっているならそれでいいじゃないか。嘘をついて何が悪い。必要なら嘘をついたっていいじゃないか。別に誰かを傷つけようとしているわけじゃない。自分を守るための嘘が、自分に嘘をついているとは限らない。

環境とか相手によって振る舞いを変えて何が悪い。人を殺したことがありそうなヤツの前で怖がってヘコヘコして何が悪い。無害だけどムカつくキモいヤツに不快感をあらわにして何が悪い。好きな人に好意を示して何が悪い。

そういう選択をして損をするのは全部自分だから別にいいんだ。他人にとやかく言われる筋合いは一切ない。

ただ、卑怯なくせに正義漢ぶっている自分を発見すると、すごく嫌だなと思う。全身に痛みが走る。だから、僕には健常者しぐさは向いてない。まぁ、仕方ないよね。こんな感じで許せないこともある。


どうせ残ってしまう自分の中から使えるものを残して、納得してその技術を使っていこう。

許容できないところが出てきたら、その都度丁寧に考えて調整していこう。

最後にもう一度言いたいのだが、矛盾は悪いことじゃない。ぶっ殺したいという気持ちと、生かしたい・殺したくないという気持ちは矛盾しながら両立する。人間ってそういうものだろう。


音楽

イヴ・トゥモアって読むらしい、この名前。ダークポップ界のカリスマ(?)らしい。

この曲は妙に雰囲気があるなと思って聴き入っていた。ネオンが綺麗なビル街をピントをぼかして、他の建物よりも少し高いくらいの街で一番高い建物から撮った写真という感じの映像が出てきた。


一人組

くらがりチャレンジ
イヴ・トゥモアの曲を聴いた。新しい本も読み始めた。

贈与
なし。


パブリックを思い出す
やった。

小休憩
やった。

観察と感想
今日は雲が出ていなかったので、止まっているものを眺めていた。段ボールの空洞に入り込んだ。

愛を思い出す
やった。

本とお話しする
やった。


終わりに


すごくどうでもいいんだけど、紅茶で歯が汚れていくのを感じている。紅茶を飲んだら歯磨きをしなくてはならないな。


今の僕はフワフワとしている。どこを目指しているのかわからない。だから何かを続けたり、何かをやめたりして、どこに行くべきなのかを探っている。

何かをやり続けると、また別の何かが失われる。どれをやってどれをやめるのか、選ばなくてはならない。

短期間で一気にやること、毎日続けてやること、それぞれ時間をどれくらい取るのか、何がベストなんだろう、そんなことを考えている。

すぐに変わってもいいから、暫定的な着地地点を決めなくてはならないと感じている。全体を考えて計算してみよう。


今日も良き日であった。

明日はもっといい日になるよね、有象無象。

じゃあ、また、あした。

良い夜を。

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