2/20 おなじひとと対談を重ねることによって得られたこと
定期的な対談を依頼をされて、謎にスポーツマンと週1くらいで対談している。
その人はものすごく恵まれているのになぜかすごく苦痛に満ちあふれた生活を送っていて、対談ではそれを解消するためのお手伝いみたいなことをしている。
先日、対談5回目にして、その人から「めちゃくちゃ幸せになった」という報告を受けた。
4回目の対談のあとから、いろいろあって「良き身体感覚」に目覚めて毎日を幸せにすごせるようになったらしい。
こんなに急に良くなるなんて思ってなかったので普通におどろいたし、おもしろかった。
しあわせそうなその人と楽しくおしゃべりして5回目の対談は終わった。
これから先は「良き身体感覚」をベースにして、すべてのことを納得していけるように、その人が望む限り対談をつづけていくつもりでいる。
生きていればどうしても問題は起こる。しかし、問題だと感じてからなるべく早くそれについて考えて納得できる環境があれば、被害は最小限で済むし、次からなるべくその問題が起きないように考えて何かを決めておくことができる。
僕たちにできる問題への対応策は、まず、良き身体感覚をベースにして、具体的なシチュエーションを想定すること。
そして、つぎに、そのイメージのなかで何度も納得が得られるまで自他との対話を重ねることによって、良き身体感覚までの道のりと論理を獲得すること。
その実践的な理論が手に入れば、もうその問題はただの「人生におけるデバッグプログラム」の一部となる。たいして感情にエネルギーを割く必要がなくなり、問題の解決の方にエネルギーを使えるようになる。まぁ、プログラムのことはよう知らんのでテキトーなことを言っているんだけど…。
定期的にウイルスソフトを変えないと新しいウイルスに対応できない。そして、ウイルスソフトが重いと、作業がうまくできない。だから、常にバックグラウンドで動いている軽くて強いプログラムが必要なんだよね。
あとは、そのスポーツの技術面や精神面での成長がひとつ目的としてあるので、その人なりの構造的理解を深めていけるように話していけたらいいなとも思っている。
たぶん、僕がそのスポーツの門外漢であるということが良い要因のひとつで、なぜなら僕はそれについてまったく知らないからである。無知な人間に説明するから良い結果が得られることもあるのだと僕は考える。
対談中、その人は、無知な僕に何かをかみくだいて説明しながら、自分のやっていることを丁寧に言葉にしていく必要がある。
だから、僕が無知であることがよいのだと考える。
阿吽の呼吸で伝わるようになるために必要なことは、その前提を対話によって1から積み重ねていく作業をすること。
「こんなの常識だろ」「常識的に考えて〜」という人は非常識的であるのかもしれない。
そんなことを最近考えていたけど、常識的に考えて(あっ)、常識を広く行き渡らせるために大事なことは、前提を共有することだ。
他人に伝えられないことは、自分にも伝えることができない。つまり、「できること」ではあるが「なぜできているのかよくわからない」んだ。
理由がわからないことは突然にできなくなったりする。
僕にもそういう経験がある。
また、「苦手意識は得意に限りなく近い」という言葉を思い出す。
これまで親にすべてを与えられて遊んで生きてきた何も知らないこどもが、突然ジャングルに投げ出されて「はい、ナイフ一本あげるからこれで一ヶ月生き抜いてね」と言われたら、ヘタしたら何もできずに死ぬだろう。
しかし、何が必要なのか、自分にできないことがなんなのかを理解したら、具体的なプランが立てられる。
それを実践してみて、考えたり何かを学んだりして、よりよい実践的な理論と感覚を手に入れる。
そうやって「得意」になっていくんだろうと思う。
阿吽の呼吸とは、必ずしも他人とのことだけではない。
よりよく生きていくためには「自分の心」と「自分の身体」が阿吽の呼吸で動く必要がある。
僕が対談でやるべきこと(そして同時にやりたいことでもある)は、そういうその人に必要な納得のために、言葉でその人の思考の流れをよくすることなのかもしれない。
つまり、コミュニケーションとは風水なのかもしれない。
僕にとっての対談とは、相手の風水を良くすることなのかもしれない。
また、もうひとつ自分にとって大切な発見があった。
「良き身体感覚は伝播する」ということだ。
その人の話を聞いて、僕の祈りも進化した。いままでよりも良き身体感覚になれるようになった。
他人の幸福を自分の幸福として感じることは、とても良いこころの栄養になる。
これまでその人の人生や普段感じていることを細かく聞いて、対談を積み重ねてきたからこそ、他人の幸福というのが伝わってきやすいんだと思う。
ここを強調しておきたい。
ただ「こんな幸福の物語がありました。終わり」ではなく、何冊にもわたって書いてあるひとりの人物の物語を読んだからこそ、その人が苦難を超えてなぜその幸福にたどり着いたのかが、より濃く伝わってくるんだと思う。
僕は対談によって、僕自身の風水をも良くしているのだと思う。
つまり、対談は、僕が生涯やりつづけるべき仕事なのだと思う。
今後もおおくのひとと対談して、風水を良くしていきたいなと思う。
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