わりと日刊だらく[No.264]〜ちいさな読書会〜

これはスラムの話なんだけど、大人数での読書会は、とても実りがあるものだと思う。だが、マクロ的に構造がなんとなくわかるというところにとどまる気がする。いや、そんなことはないかもしれない。でも、ミクロな部分は省略せざるを得ない。細かいことをちまちまやっても得られないものがあり、それが全体の構造を理解することにある。優秀な人が何人かいれば、それが可能になる。そして、普通の人々が個々に自分自身で考えて発表することはすごく有意義だし、それを話し合うこともまた有意義だ。ミクロな部分もそれはそれで見えてくるだろう。だから、それはそれでいい。


だが、僕は大きな構造にいきなり着手しても、あまりピンとこない。というかあまり興味がない。とりあえず、そういう知識を知っておこうとは思うが、特に強い関心があるわけではない。

そんなことよりも、僕はもっと個人的に引っかかっていることを知らなければならない。精算していない過去がまだたくさんある。


それをやるためには「ちいさな読書会」が必要であると思う。

別にそれは特別なものではなく、お互いに誠実にある本、あるテーマに取り組もうとするものたちが、少人数である本、または同じようなテーマについて何度も話し合うというものだ。


お互いにある程度の信頼があり、お互いが一定以上の能力、または異なるレンズを持っており、理解のために誠実に話し合うことができるという前提を持ち、ミクロなことについて話していく。どんどん細かいことを深掘りしていく。僕が好きな会話は、そういう会話だ。

「他人の頭を使って話す」会話ってのはそういうものだと思う。僕の頭では足りない部分を、他人の頭を使って考える。思いついたテキトーなことをぶん投げて、相手に考えてもらう。僕は後出しで考えていく。もしくは、相手からそんなフリを喰らう。そんな感じで同じ時間を共有して、集中してひとつのテーマに取り組む。


それでなんかお互いに納得できることがあればよし。関係性も深まり、共通前提が増える。僕はマクロな視点で構造をとらえるのがあまり得意ではないので、こういうミクロなことをやっている間になんとなくその構造が手触りとしてわかってきたりする。そういうことが僕の想像している「ちいさな読書会」である。


こないだはネットで知り合った僕より賢いJKとそれをやろうと思ったのだが、相手が忙しくなってしまいなかなかできていない。

というわけで、そういう相手がいたらな〜と思っているという僕のひとりごとでした。


ここ数日は「マノン・レスコー」という18世紀フランスの恋愛小説を読んだ。これは坂口安吾つながりで読み始めたのだが、これを読んで色んなことがつながってきた。


とりあえず、もうひとつの課題図書があるのでそれを読んだりしてからになると思うが、いくつかの著作を引用して、感想文みたいなものを書いてみようと思っている。

そうやってまずは僕が「ひとり読書会」をやり、徹底的に問いを詰めていき、その答えを書いたりすることで、それに誰か良さげな人が反応して「いっしょにやろうぜ!」なんてならないかなぁと想像している。

できれば、ストーカー気質でなく、さわやかで嫌味のない青年がいいな…


そんな妄想でした。とりあえず、もうひとつの課題図書を読み、いくつかの参考図書を再度読み、書いてまとめてみます。

おたのしみに。

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