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強くなる(1)日常をまわす

2024年の抱負も、完璧を目指してしまった。去年と同じことをしてしまったんだ。



などと自分で言っているものの、実はこれはすごくいいことだと思っている。

立てた命題の穴が見つかって、新たな命題が立つ。それ自体はすごくいいことだからだ。



ただし、やはり問題はある。わかる限り2つ。


1つ目が「それを抱負を立てるのに使わない方がいい」ということだ。

それが今回の件でハッキリした。

常に更新されていくものを具体的により綿密に言葉にして完璧なものをつくるのはたぶんものすごい人でもむずかしいとおもう。むずかしいし、仮にそれができる人だとしても、ものすごく時間がかかるものなのだと思う。

なので、抱負は今回立てたように「外向きに抽象的につくる」がベストであるように思う。

ウソはつきたくないから具体的に書いておきたいところだけど、あんまり具体的すぎると後で変える時にめんどくさい。

なので、なんとなく抽象的なことを掲げて、ふわっとした説明を書いておく。これで後で読み返した時に「あぁ、そうそう、そんなことを考えていたんだっけな」と思えたならそれで十分だ。



2つ目が「完璧を目指して考えこむあまり日常生活をおろそかにしてしまっている」ということだ。

完璧な理論を…!みたいなことを目指していると、つい他のことを忘れて「うーん…」と考えこんでしまう癖がある。

でも、たぶん俺がやるべきはそういうことではない。

ひたすらに日常をまわしつづけて、いつも習慣をやりつづけることが「考える」に最も近い。

というか、俺はほとんどその方法、つまり「手を動かすこと」でしか「考える」ができないのかもしれない。



ひたすら手を動かしていると、整理したアイデアが別のアイデアと線でつながったり、前提を覆すアイデアが見つかったりする。

そうやってひたすら手を動かしつつ、ちょっとした時間にアイデアを溜めたり整理したりすることをコツコツとつづけていくことが、いまの俺にとって最もいい戦略なのかもしれない。


書いたり、読んで整理したりしないと、忘れちゃうんだよな。だから、抱負を考え込んだ経験というのは、いいことなんだと思う。

そうやって整理したからこそ、手を動かした時にその言葉が浮かんできて別の何かとつながりだすわけで。




ということで、めちゃくちゃ疲れているとき以外は、あんまり考え込まずに日常をまわしていこうと思ったのでした。

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