読書メモ:孟嘗君(2)

見たもの読んだものをそのままアウトプットせずに残しておくとそのまま一切自分のものにならずに消え去っていくような気がしたのでしばらくは読んだもの行ったライブ、映画、体験などは文章として残していこうと思い突如ノートに記事を残すこととしました。


孟嘗君の名前を冠した本作だが、2巻時点で孟嘗君はほとんど出てこない。

1巻で孟嘗君が斉の国の宰相、田氏の元で忌み子として生まれ、危うく実父に殺害されるところをそれを哀れんだ母親と庭師の結託により救われるも、預けられた先の家は(それとは別の理由で)襲われ、そこで偶然赤子の孟嘗君を救い出した無頼の徒、風洪の物語である。

2巻では風洪は剣を捨て妹の夫である公孫鞅の師匠である尸子を探し彼に学ぶ、そしてその過程でそして商人として生き方を決意し、その旅の先々で多くの人と出会う。一方、妹の夫である商鞅が秦で律令を制定し、国を大きく変えていく….というのが大まかな筋だ。

おそらくはこの先本作は秦を覇道へと歩ませる仁義に欠く法家の商鞅と仁義に篤く人に与えることで利を得ていく商人としての生き方を志す風洪(2巻の時点で白圭と名前を変える)の思想的対立というところに話が進んでいきそうな感じがする。

それを暗示するかのように伏線として兄弟の対立エピソードが配置されていて、例えば龐涓と孫臏(兄弟子と弟弟子)との出会いや斉巨と鄭両の兄弟商人とその対立など、これらのエピソードが後々に効果的になるように配置されていてる点もよい。

その中で深まる謎、孟嘗君がかくまわれていた家にいたもう一人の赤子(実は斉の国の君主の最後の血胤)の行方、そして旅の途中で出会った事業家郭縦との10年後にどちらがより多く富を持っているかの勝負の行方など、先々に向けてあらたな仕込みをきちんと入れているところもまた気になる点だ。

そして、1巻の時点ではまだ赤子だった本作のタイトルを冠する孟嘗君も7歳となり、ついに君主としての片鱗を見せ始めており、主人公(7歳)の成長もきちんと描いている構成の複雑さと仕込み方史実との整合性の合わせ方に感嘆するばかりである。

風洪(無頼の徒でありつつ実は元はそれなりの身分の家だが田氏によって零落させられた)と孟嘗君(劇中では趙文、風洪の家を没落させた原因となった田氏の落とし胤だがその正体は知られていない)、翡媛(ひえん、風洪の妹の同僚)の疑似家族ものとも読めるとこれはスパイファミリーかもしれないなと思ったり思わなかったり…

個人的に好きな台詞

窮巷は怪多く、曲学は弁多しときく。愚者の笑いを智者は哀しみ、狂夫の楽しみを賢者は憂える。世にかかわりて、もって議するもわしはこれを疑わず

「かたいなかに住んでいると世知に欠け、なんでも怪しむようになり、正しい学問をしていないものはいたずらにしゃべるだけである。
愚者が笑ったことを智者は悲しみ狂人が楽しんだことを、賢者は優える。世俗の旧習に捕らわれた議論がいくら行われようとも、私には決意がある」

既存の法律を変え、商鞅が新たに提案した法律を支持したときの王の台詞だが、これもとても良かった。
かた田舎を表現するのに『窮港』と表現するところも面白くこの二文字でだけで絶望感がよく伝わってくる。

正しい学問とは何か、それについては劇中で郭縦という男がこう答えている。

『学問とはみずからが問い、みずからが答えるものだ。他人に問うから己を見失うのさ』

郭縦という身一つで製鉄産業を興した事業家の言葉だが、特定の師を持たずに己の才覚だけで出世をした男だけに、これがとても良かった。
その一方で特定の師に就くことを決意している風洪を馬鹿にするという面もあり、その辺りもまたしっかりとした対立軸として活かされそうでこの先に期待感が持てる。

(2巻のリンクの貼るのは微妙なので1巻のリンクを貼りました)