自分の中身が知りたい

これまでの日々を漫然と生きてきたのに、私は私のことについてあまりよく知らないなぁと感じたので日記を書いてみることにした。
最近読んだ自己啓発本にも、『自己の内面を知るためには、まず思考を文章に落とし込むことがいい』と書かれていたので調度いいだろう。

日記、日記か。とは言え、現在私は無職。日々の時間を怠惰に浪費しているため、そもそも日記にするような事象もない。何して生きてんだ。
昼くらいに起きて、朝方寝る。起きている時間はゲームと読書と思考に費やしている。いや、思考と書くと些か高尚だな。とりとめもない思考が常に頭の中を流れてきて、それを考えることに始終している。マジでなんの生産性もないな、うける。

まずは日記を書くということを継続し、習慣化する。それができたら及第点だ。

では、次に、日記といえば何を書くかだ。そもそも日記ってどういう意味だ。そう思ってネットで調べてみた。『日記とは毎日の出来事の感想や記録』ということらしい。まぁそうよね。知ってた。
ついでに日記を書くことのメリットとかいろんな記事も引っかかった。
メリットとして8つで、それぞれ文章力、語彙力の向上、記憶力の向上、伝える力が鍛えられる。過去を記録として残せる。自分の行動、思考パターンの可視化、ストレス解消、ポジティブになれる、継続が自信につながる。らしい。すげぇな日記。やるか。日記書くのやる気出てきた。
でもそれには出来事・感情・思考をセットで書いたり、気づき、アイデアをまとめたり、目標について記載しなければならないらしい。めんどいが。
めんどいって思うのがそもそも日記向いてないな。贅肉のようについた怠惰がここに来て遺憾なく発揮されてしまう。私は怠惰が服着て歩いているようなものですからね、ええ。

もしかすると、私の中身は怠惰なのか。
だとしたら日記書く意味ないな。もしこの日記が数日で終わったら、まさしく私の中身は怠惰だと言えるかもしれない。

そういや、私が見ている私と他人が見ている私は、同じように見えて違うってのを聞いたことがある。ジョハリの窓という言葉があるけれど、私が認識している自己と他者が認識している私とで多分かなりずれがあるんだろう。

「もっと自分のこと話していいよ」
今日大切な人に言われてそうだな、ってなったよね。

自分のことを他人に話すのが苦手で、基本的に表面的な話でごまかしてしまう。
その上話せるほどの中身が私にはなかったんだな。そもそも題材として他者に話せるほどの中身がない。私の認識しているもんって何だ、って。

この肉の下にはぶよぶよとした不定形の何かしか詰まってないんだな、って気づいてしまってなんも言えんかった。
私という存在は、面白みのない空虚な存在なんだなって思ってしまった。
もちろん、思想も理想も、考える頭はあるけど。それが表出できなければ飾りと一緒だよな、と。
言葉として表出できなければ、ないと同じだよな、と。
だから、自分の中身を知る足がかりとして、この日記を書き始めた。
できれば、続けていきたいと思う。
ただ、怠惰が服着て歩いてるから、続くかな。知らんけど。


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