前後左右のハイブリッド型が人生に彩りをもたらす in.万博記念公演
友達と大阪の万博記念公園に行きました。
僕は芸術センスが微塵もありません。
SNSや写真集などで『太陽の塔』を何回も見てきましたが、何が凄いのか理解できていませんでした。
正味、大したことないやろと思っていました。
『芸術は爆発だ!』by.岡本太郎
実物は爆発そのものでした。
約70mのド迫力に気圧されて目が離せませんでした。
食事中の飼い主をマンマークし、虎視眈々とおかずを狙う柴犬ぐらい凝視してしまいました。
せっかくなので塔の内部へ。
内部には展示空間があり、最も心惹かれたのは高さ約41mにもおよぶ「生命の樹」。
樹の幹や枝に多種多彩な生物型模型が取り付けられ、下層から上層にかけて生命が進化していく流れが分かる順番になっていました。
1番下がアメーバで、1番上が人間でした。
「底辺が原生生物なのは理解できるのですが、なぜ頂点にアイアンマンがいないのですか?」
スタッフさんに詰問しようか迷いましたが「おもんなコイツ」の顔をされること必至だったのでやめました。
EXPO'70 パビリオン
塔を出て周辺を散策。
万博記念公園内の敷地は尋常じゃなく広かったです。
来客数がもっと多ければ、敷地内だけでウーバーイーツのワーカーとして生計を立てられるほど広大でした(やったことないけど)。
たまたま見つけた『EXPO'70 パビリオン』へ入場。1970年に開催された、日本万国博覧会の記念館です。
太陽の塔や、博覧会当時のテーマ館・各パビリオンが再現されたペーパークラフトの模型がありました。
1970年とは思えないほど、先進的な建物や施設の数々。
以下、テーマ館やパビリオンの展示物です。
人間洗濯機
ワイヤレステレホン(携帯電話)
エアドーム(東京ドーム的な)
リニアモーターカー
当時の人は、度肝を抜かれたのではないでしょうか。人間洗濯機やリニアモーターカーにいたっては、未だ実用化されていません。
そして
お茶の間のスタメンも、大阪万博がきっかけで生まれたそうです。
ふと、口走りました。
「1970年でこのレベルやったら、近未来の万博はどんなエゲツない物が展示されるんやろか?」
友達が言いました。
「もはや、現実にある物じゃないんちゃう」
はん?
何を言っとるんだ?
友達曰く「仮想現実空間で仕事や趣味を楽しむことが主流になると予測される中で、近未来における万博の展示物は実物ではなくヴァーチャル空間に置かれる可能性も考えられる」とのこと。
生意気言うとんなや。
バーチャルでええやん。
ヴァーチャルて発音すな。
などと、友達を牽制しつつ。
内心、なるほど過ぎてテンションが爆上がりしました。
「♪ドンタコスったらドンタコス!」の曲を脳内再生しながら、軽快なステップを踏みたくなるほどテンションが跳ね上がりました。
友達の意見を聞く前、僕が近未来の万博で展示されると予想した物は以下の通りです。
コンタクトレンズ型デバイス
仙豆
変身コンパクト
バイト入りたての休憩中、初対面の人が出勤してきて、バックヤードで気まずい空気をどうにかしてくれる呪文的なやつ
友達と僕の偏差値の違いが浮き彫りになった瞬間でした。
でも、仙豆だけは本気で開発してほしいです。
僕は平和主義なので戦いはしませんが、ベロベロに酔っ払って二日酔いの時、仙豆があればどれほど助かることか。
そんなことはさておき。
万博の展示物や各国のパビリオンが仮想現実空間にあれば、行列に並ぶ必要はありません。会場まで足を運ぶ必要すらなくなるかもしれません。
実際にそうなればいいなあと思いながら、EXPO'70 パビリオンの館内を周っていました。
すると、1つの掲示物が目に入りました。
初めてケンタッキーのフライド・チキンを食べた当時の人は、腰を抜かしたのではないでしょうか。
初めてCIAOちゅ〜るを食べたキジトラぐらい、我を忘れて貪りついたのではないでしょうか。
「世の中には、こんな食べ物があるのか!?」と、心から感動したはずです。
僕がキジトラなら、おまんじゅうのようにふっくらしたマズルをプリもしゃさせて喜んだに違いありません。
プリもしゃてなに?
猫の話は置いといて。
前後左右を駆け巡って「今」を最適化
インターネットが普及した現代では、便利な反面、知りすぎてしまうというデメリットもあります。
世界中の食べ物も建造物も文化も、キーボードを叩けば簡単に知ることができます。
とても便利です。
しかし、予想だにしない驚嘆の回数は減ってしまうでしょう。
「大体は知っていた」という前情報により、心拍数が急激に上がるほど興奮したり、人生観が変わるほど魂が揺さぶられたりする機会も減ってしまうかもしれません。
利便性=諸刃の剣です。
そもそも、ネットで仕入れた情報だけで「大体は知っていた」と認識すること自体が如何なものかと思います。
万博記念公園に訪れなければ、僕の中で太陽の塔は不発のままでした。
実物を見て初めて、爆発していると分かりました。
SNSで、奈良の大仏や平安神宮の大鳥居の写真に「迫力満点!」とコメントを添えられても、いざ本物を目にした自分自身の感情の機微までは知り得ません。
むかし飼っていた柴犬・テツの写真を見せると、皆がきゃわたん(お世辞含む)と言ってくれます。
でも、実物のテツは独特な獣臭がします。
「洗濯物の生乾き」+「先輩のキャッチャーミットの手をはめるとこ」÷「とうもろこし」みたいなodorがします。
モンスターボールの要領でジェルボール型の洗剤を投げ付けても、テツにはノーダメージです。
それほど臭います。
そんな部分も含めて愛おしいのです。
スマホで写真を見ただけでは到底分からないテツの魅力や憎たらしさを、河本家の人間はたくさん知っています。
アナログこそ至高です。
とはいえ、デジタルを否定しているわけではありません。
むしろ「こんな時代に生まれて本当に良かった。あと千年ぐらい生きて、とんでもない技術の進歩をこの目で見たい」と心から思います。
デジタルのメリットは数えきれないぐらいあります。
スマホ1台あれば、スーパーで商品を購入できるし、映画も見れるし、感染症の蔓延中でも友達と喋りながら酒を飲めます。
専用マシンで、対面式と同等レベルに問診・視診・触診・評価ができるようになれば、離島に住む高齢者も病院に行く労力を省けます。
色々言うたけど、1番のメリットはInstagramでバリかわ女子を漁り倒せること。
デジタルこそ最強です。
アナログとデジタル、双方にメリデメがあります。
にもかかわらず、どちらか一方に肩入れして価値観を形成するのはマヌケそのもの。
SNSの画像を見ただけで「大したことないやろ」と高を括っていた僕が正にそうです。
歴史は左から右に流れていて、または後ろから前に進んでいて、その道中が詳らかになっています。
それなのに、左側や後方を顧みず、現在の常識とされている一部だけを全肯定したり信じたりするのは、もったいないなと感じます。
前後左右を縦断・横断し、良いものは素直に取り入れながら「今」を最適化した方が、より豊かな人生をおくれるのではないかと思いました。
たまには過去を振り返り、本質が何かを忘れないように心掛けていれば、日々進歩するテクノロジーに支配されることなく、程よく取り入れて彩りのある生活に利用できるのではないでしょうか。
結局なにが言いたかったのかというと...
柴犬は可愛いということです。
万博記念公園は敷地が広すぎて全部回れなかったので、また行きたいと思います。
つたない写真展
あれだけ「写真では伝わらん」て言うときながら、めっちゃ写真載せるというキモ男の愚行。
以上です。
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