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なりたい自分ってどんな人間だろう

なりたい自分ってどんな人間だろう。

私はずっと自分じゃない誰かになりたがっている。
私はずっと自分じゃない誰かにあこがれている。

なりたい自分になれたら、今よりも幸せになれるのだろうか?




私には自己肯定感がない。
自己肯定感がないから、自分をずっと否定して生きてきた。

「こんなんじゃだめだ」
「どうしてあの人みたいにうまくできないんだろう」
「私には幸せになる資格がない」

書いてみただけでも、心がざわつくような言葉だ。

私はずっとこんなナイフみたいな言葉で自分を傷つけてきた。
ずたずたになった心はずっと痛かった。

そんなひどい言葉でずっと否定してきたから、私は私を信用できない。

しかし、最近気づいたのだが自分を信用できないということは、つまり他人も信用できないということなのだ。

にこやかに話しかけてくれる人に対して、「アッ、私に話しかけてくれるなんて…すみません。でも私と話しててもつまんないだろうし、本当に申し訳ないなぁ」と勝手に居心地の悪さを感じる。
早く話が終わって欲しいとさえ思う。

旅行先のおみやげをくれた人には、「え?私なんてあなたの役に立ったことがないのにこんな素敵なものを…。何故?まさか10倍返しにしろって思ってる?」などと謎のプレッシャーを感じる始末。

あぁ、生きづらい。
生きづらい。

こりゃ末期だ!





20代は特に辛かった。

持たざる人間である自分のことを大層憎んででいた。

いわゆるこじらせ女子というやつで、「このまま一生誰にも愛されないかもしれない、結婚できないかもしれない」と絶望しながら生きていた。

しかし、幸いなことに私は人当たりがいい。

転勤族だった夫と偶然合コンで出会い、ラッキーなことに結婚できた。
夫から見た私の第一印象も、「笑顔で話してくれて人当りがよくて、好印象だった」とのこと。

だが、私が人当たりのいい人間である理由は、人に嫌われたくないからということだけ。

人に嫌われないため、悪く思われないための防衛策が人当りの良さを身に着けることだったのだ。

私の最大の長所は、そんな切実な理由によって作り上げられたもの。
悲しいけど、それが真実。



なんであれ、そんな人間だったから、幸運なことに夫と出会えて結婚できた。
そして息子にも出会えた。

これでいいではないか。
最大の幸せじゃないか。

可愛い子どもがいる。
優しい夫がいる。
孫を大切にしてくれる両家の両親がいる。
子育てに理解のある職場がある。

今だってこんなに幸せなのに、私は妄想している。
今よりもっと幸せになれる選択肢を探している。

子どもは2人いたほうがいいよな、とか。
契約社員で満足せず正社員にならなきゃ、とか。
資格をもっと取らなきゃ、とか。
本業の次は副業で稼げるようにならなきゃ、とか。

今の状況や自分自身をアップデートさせることばかり考えていて、「こうしたらもっと幸せになるのかな?」というシミュレーションにだけは余念がない。

もちろんアップデートするために頑張ることはとても大切なことだと思う。
だけど、自分のことが嫌いな状態でアップデートしても、「こんな自分のままじゃだめだ」のループにハマるだけ。

それはつまり、ずっと自分ではない誰かの背中を追いかけているということ。
手の届かない敵と、終わりのない戦いを繰り広げているということ。

そんな自分のままでいたら、どうなる?

無事に2児の母になれても、3人目を考え始めるだろう。
正社員になっても、この会社ではなかったかもしれないなんてとんでもないことを言い出すだろう。
副業で稼げるようになっても、本業でやってる人にはどうせ敵わないとうじうじするのだろう。

そんな自分のままでいたら、きっと本当の意味で幸せになれる日は来ないのかもしれない。




なりたい自分はどんな人間だろうと自分に問う。

私は、今の自分を愛してあげられる人間になりたい。

きっとどこかの誰かが何億回も言っているようなありきたりな意見だなと思う。

だが、それが難しいことだから、願わずにはいられないのだ。

今の自分自身に満足出来るようになりたい。
今の自分でいいのだと胸を張りたい。

そうなれたら、私はいつかきっと本当の意味で幸せになれるのだろう。


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