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もはや「専門家」では旧いのか? Timeeインタビュー記事より



非常に面白かった

大竹まことの、

「芸能界にしがみついたやつから
辞めていく」

は含蓄がある

なるほど、既に
「芸の追求」「芸を極める」
という考え方は、
その意味が少し変容しているのかも

確かに、
普通感覚や
他業種から学ぶものがあるというのは
納得できる

あと何か
自己の基盤というか、
ペースを保つ、
還れる場所が要るのかも

淡々とやれるところ



聞いた話に、
奄美は芸能の島で、
普通の人が実は、
歌手だったり踊り手だったり
楽器が弾けたりする

けれど、それは必ず仕事の傍らやるもので、
それ一辺倒になることを良しとしないとか



面白い感覚だと思ったのだが、
今やそれは、芸人の話としても
現れてくるようにもなった

売れっ子になっても、
自身の原点を守っているという話は
他にも
「ゴミ収集の仕事を続けている芸人」など
聞いたことがある

一本立ちすると言えば聞こえはいいが、
確かにそれは、
拘りとなり、
自在性を失う場合もあるのだろう

経済的な土台を失い、
常に背水の陣という気持ちでは
逆に芸に集中もできなかろう

精神の安寧を大切にするのは当たり前
という健康的な思考が、
支持されるようになっているようだ



最近こういった、
一種「地味な」生き方に共感を覚える

すごく素敵な天才より、
何かちょっと地に足のついた感覚が
素敵に思える

どこかに独自の哲学や、
なるほど
と思わせる小気味の良さがある
そして、聞いていても安心する

破滅的な天才や、
天才を目指し、もがき苦しむ人よりも

(追記)

しがみつくのでなければ、
どうなるんだろう?

なるようになっていく?

大竹氏の人をくったような感じは、
その一つの表れなのだろうか

そういえば随分前に、早朝
犬の散歩中の氏とすれ違っだことがあった
(そうなんだよ、会ったことあったんだよ)

極めて全くいつも通りに見えた
あのとおりの、
いわば仏頂面というのか、
特段なんということもなく歩いていた

何も変わらない、
「素」だということだろうか

素だったら力が入らず持続性が高い

結局、
素直でいられるか、が勝負なのかな

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