もはや「専門家」では旧いのか? Timeeインタビュー記事より
非常に面白かった
大竹まことの、
「芸能界にしがみついたやつから
辞めていく」
は含蓄がある
なるほど、既に
「芸の追求」「芸を極める」
という考え方は、
その意味が少し変容しているのかも
確かに、
普通感覚や
他業種から学ぶものがあるというのは
納得できる
あと何か
自己の基盤というか、
ペースを保つ、
還れる場所が要るのかも
淡々とやれるところ
*
聞いた話に、
奄美は芸能の島で、
普通の人が実は、
歌手だったり踊り手だったり
楽器が弾けたりする
けれど、それは必ず仕事の傍らやるもので、
それ一辺倒になることを良しとしないとか
*
面白い感覚だと思ったのだが、
今やそれは、芸人の話としても
現れてくるようにもなった
売れっ子になっても、
自身の原点を守っているという話は
他にも
「ゴミ収集の仕事を続けている芸人」など
聞いたことがある
一本立ちすると言えば聞こえはいいが、
確かにそれは、
拘りとなり、
自在性を失う場合もあるのだろう
経済的な土台を失い、
常に背水の陣という気持ちでは
逆に芸に集中もできなかろう
精神の安寧を大切にするのは当たり前
という健康的な思考が、
支持されるようになっているようだ
*
最近こういった、
一種「地味な」生き方に共感を覚える
すごく素敵な天才より、
何かちょっと地に足のついた感覚が
素敵に思える
どこかに独自の哲学や、
なるほど
と思わせる小気味の良さがある
そして、聞いていても安心する
破滅的な天才や、
天才を目指し、もがき苦しむ人よりも
*
(追記)
しがみつくのでなければ、
どうなるんだろう?
なるようになっていく?
大竹氏の人をくったような感じは、
その一つの表れなのだろうか
*
そういえば随分前に、早朝
犬の散歩中の氏とすれ違っだことがあった
(そうなんだよ、会ったことあったんだよ)
極めて全くいつも通りに見えた
あのとおりの、
いわば仏頂面というのか、
特段なんということもなく歩いていた
何も変わらない、
「素」だということだろうか
素だったら力が入らず持続性が高い
結局、
素直でいられるか、が勝負なのかな
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