音痴なウグイスの鳴きまね(雑記)

 以下につらつらと書きだすことは。第3次の項まで近似しても「モテない,彼女が欲しい!」である。

私というもの

 私は,絶望的にモテない。この24年間生きて,おおよそ”つがい”というものを持ったことが無い。それは羽の短いクジャクのように,色褪せたヤマメのように,はたまた音痴なウグイスのように……。それでも人並みに片想いはしてきたと思う。しかし,誰にも選ばれることなくここまで来てしまった。はたして容姿か,性格か,その他何か明確な理由があるのか,はっきりとしたことは分からないが,ただ一つ言えることは,こんな文章を書いている時点でまあモテなさそうだという自覚はある。
 
 つまるところ,何をどう努力すればよいのか分かっていないのかもしれない。オシャレな服は買えるが,センスは売っていない。もしかしたらAmazonを念入りに探せば見つかるのだろうか。もし「雄らしさ」なるものを見つけた人はアフィリエイトリンクでよいので送ってださい。物理を勉強したければ,「講談社基礎物理学シリーズ」を片っ端から読んで,全て説明できるようになれば,かなり勉強したかなと思える。恋愛に関しては,道しるべすら思いつかない。

結婚へのあこがれ

 それでも私は「結婚」というものに憧れている(もちろん恋愛もであるが)。理由はそんなに特別なものでもなく
(1)遺伝子を残すという生命の本能のため。
(2)誰かの為に生きるという生きがい,ないし満足感のため。
(3)結婚するべきという社会の圧力のため
という,まあ,ありきたりなものである。

 だが,困ったことに令和の世の中は恋愛結婚が主流らしい。恋愛をスタートとして結婚というゴールに向かって関係を深めるという,私にとってはエベレスト完登ほどのことをしなければいけない。自己実現を図るとはこうも高い壁であるのか……。
 
 最近では恋愛の市場でマッチングアプリが主流となってきている。私も経験したことがあるが,あそこはなかなか地獄である。まるで自分が全ての選択権を持っているような錯覚の下で,傲慢にも他人を見定め,他人に見定められる場である。つまるところ女性は容姿と年齢,男性は容姿と年収が前提条件であり,さらに恋愛スキルを積んだ者が勝つ。元々の恋愛弱者にはほとんど勝ち目がない戦いである。それでも,恋愛をするにはあの中で戦い続けなければならないのだろうなと,武者震いをしている。

偉大な発見

 少しばかり,まあ誰もが持っていそうな悩みを綴ってきたが,それだけならわざわざネットに公開するほどのことでもないように思える。私がこうしてキーボードを必死に叩いているのは,一つ発見をしたからである。
 
 それは恋愛に対する憧れが,「好きです。」という言葉で,より関係を深める体験ではないかという気付きである。最初に述べたが,私はいくつか片想いを経験してきた。そのどれにおいても,「好きです。」という意思表明は,仲の良い関係の終わりを意味するものであった。どうやら聞いた話によると,付き合いだしてからというものは「好きだよ」「愛してる」といったセリフは,より関係を深めるものらしい。私はそれらの音列から,私の経験と異なる作用が生じる様子を見てみたいのである。

 日本には告白という文化が存在する。よく我々のような,一匹でサバンナを練り歩く雄ライオンが指摘されることは,突然の告白である。関係を徐々に深め,互いに脈がある状態を確認してから告白が行われることが,おおよそ”考える葦”達の定石である。もしその過程を飛ばして「愛してる」なぞと言おうものなら,それは確かに嫌われることは重々承知である。

結論

 恋愛がしたい,結婚がしたい。愛している人に愛してると言いたい。

   もし恋人が出来た場合には,このnoteは絶対に見せたくないな。ちなみに,恋愛についての分析(恋愛は二項分布でモデル化できないだろうか)を女友達に語ったら「終わってる」とのありがたいコメントを頂いた。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?