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切り分け切り替え体感記録2023/05/11

在宅ワーク、在宅ワーク、在宅ワーク。仕事に転換期が訪れ、ここ数ヶ月自分の家での仕事がほぼ日常となり始めた。それと共に胸のざわめきがじわじわと生まれはじめ、なんというかやり切れなさを覚えるようになった。このきもちは何か、うんうんと考え、時にまっさらな思考で思いつく限りの事を浮かべた。そして、気づいた。

自分の部屋が、仕事に侵食されている。

これはいけない。本来、仕事と私事を切り分ける為に存在するパーソナルスペースが、どうにも落ち着かない地獄へと変貌していたのだ。

心が休まらないなんて当たり前やこんなん。

さて、どうにかせねば。そう考えた私は、逃げるように自分とその他を切り分けられている時を探す事にした。自分の為に、時間を使うのだ。この記事では最近試してみて良かったものの感想を連ねていこうと思う。

1つ目はシーシャ屋。以前お酒の連続飲酒で懲りた私だったが、諦め悪く違う場所に酩酊を求めた。一つの空間に、自分の選んだテイストのシーシャ。コミュニケーションも最低限であり、炭変えくらいでしか喋らない。口を開くときはドリンクを飲むときと、シーシャを吸うときと、煙を吐くとき。他者に心の時間を使う必要はなく、自分方向に眼差しを向けることができる。そう、私だけの空間だ。時々ペースが乱れてクラクラとするのもいい。わざと頭のバランスを崩し、シリアスを取り除くのだ。

2つ目は銭湯。もはや仕事終わりのひとっ風呂も仕事のうちに入ってしまった私は、わざわざお金払って行くものなのか?と考えていた銭湯にバシッとお金を払った。いそいそとカギを貰い、ロッカールームで一糸まとわぬ姿となり、いざ入浴と空間へ足を踏み入れる。かぽーん、と心の中で擬音が鳴った気がした。風呂でゆったりするための世界が目の前には広がっており、様々なおじさん達が日頃の疲れを忘れるようにお湯に浸かっていた。へへ、私もその一部となるのだ。と思いつつ、何時もより気合の入った洗浄をきっちり行ったあとで、かけ湯をし着水(湯)。ああ〜、足を伸ばせる、背中が伸ばせる、羽根を伸ばせる〜!と心で叫んでしまった。ああ、この為だけにもお金をかけて良かったな。今までなんでやらなかったのだろうと思考を巡らせ、身体をホッカホカに温めた。気持ちも切り替えられるし、心地もいいし一石二鳥だなあと思わずニヤけるほどだった。

最後はサウナ。何で自ら地獄に足を踏み入れているのかと首を傾げて見ていたそのドアの先は、想像通りの地獄だった。しかし不思議なもので、指折り数える分数に集中し身体燃える感じに心を傾ける、自分の事だけを中心に据えることが不思議と気持ちを安らかにしてくれた。その後の水風呂も火照った身体をきゅっと引き締めたあとに緩慢する感じが膠着した思考を解すように促してくれる。それを、数回。数回も繰り返すのだ。ひと手順済んだあとに椅子に骨のない動物のように寄りかかったとき、ああ、きっちり自分に時間を使っているなあ、地獄も味わえば悪いもんじゃあないなと、この世も悪くないかもと考えられた。

以上の3つが、最近自分の為に時間を使い、癒やされた体験だ。私自身が何時でもこの感覚に戻れるのだと忘れぬよう、思い出せるようここに記す。また何か良き体験をすれば、つらつらと投稿したいと思う。


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