見出し画像

「人間で在りたくないという思い」ポエム寄り

兼ねてから、人であることが嫌であった。

人々から発される音、動作、しわくちゃな表面紙に嫌でも感情を揺れ動かされるのがとても苦々しく感じ、私は人間であることがとても、とても嫌に感じた。

もし、叶うのならば、人間じゃない別の生物、いや、ロボットになりたかった。

感情が邪魔だった。

人を見ると心がざわつく。常に正解を、正解をと脳に司令を出しながら、笑いたくないのに頬を歪め、大丈夫じゃないのに大丈夫と、そう嘘をついた。私は嘘が嫌いだ。だから、そうする度ちくちくと心がささくれ立つ気がした。ああ、やはり心なんて要らない。

矛盾も嘘もロボットならば、感情のないロボットであれば飄々とした気分で全てをこなせてしまうのに。全てを感じず済んだのに。

共感も邪魔だった。

私は恐らく共感には人一倍敏感であった。そして、同じ人間が見てわかる。わかるたび吐き気を催す。自分を写した鏡を見ているようで、苛立ちと諦めが綯い交ぜになった汁が頭を満たし、心臓を締め付ける。アニメや漫画を見るときの心の響きとはちょっと違う、不協な響きが心を震わせる。その度私の脚は、筋弛緩剤を打たれたように弱々しく竦んでしまう。

共感など無いロボットであれば、竦む事なく一定のリズムで脚は動かせたのに。自由に私であれたのに。

肉が嫌いだった。

柔らかい、温かい、生という肉。なんとまあ脆いことだ。直ぐに欠陥が現れ、取り替えることも難しい。そして、脳という柔らかい器官で支配されたこの身体は、不自由で矛盾が多すぎる。危機に対して敏感すぎる。

ロボットであれば、矛盾を起こさずにいれるのに。交換だって簡単なのに。

肌と肌との触れ合いが嫌いだった。

触れ合い、撫ぜ合い、身寄せ合う事は、見ていて虫唾が走る。互いに相手に触れるということで認知してもらおうと、安らぎを求めようとするギブアンドテイク感が、なんとも言えぬ悪感情を表出させる。

ああ、気持ちが悪い。ロボットでありたい。触れずとも、同じ型なのだから。

以上の事柄を、私は私が嫌いながら求めていることを知っている。人間が唾棄すべき存在と、愚かな存在と、この様な事を言いながら、私は4足歩行のロボットではなく、人によく似た2足歩行のロボットの姿でいつもゲームを遊んでいるのである。この矛盾を抱えている自分自体も嫌悪する。嘘を何時までもついている私自自身を否定する。誰よりも、何よりも、求めているモノは知っている。


本当の私は、本当の私は。






人間で在りたかったのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?