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「傾聴は京兆の得」2023/3/6 日記

私は完璧にやろうやろうとすると意地になって続けるのだけれど、ふとした瞬間に完璧が崩れた時、もーいっかとなってしまうタイプだ。他の人は、この再開する能力が十全にあるのでまた続ける事ができるんだろうなあと考えつつ、私はまたやる気出たときで良いかあとゆるっと考えてしまう。多分もう完璧ではないから、どうやっても理想には近づかないだろうという思考から出た答えなんだけど、別に途中で抜けてもまたやればいい話ではあるんだよね。いやはや。この出して凝り固まった答えにどう対応していくか、それが今後の課題だなあ。

人間関係で思うことあり、ちょっとお仕事の休み時間に考えていたことがある。知り合って二ヶ月くらいはお互い積極的に知ろうとするのに、その後はゆる〜っとお互いの事を知るにとどまる事だ。いやまあ、自分についても大いに当てはまることでもあるので、この習熟曲線みたいな感じに緩まる法則になにか名称とかはあるのだろうかと考えていたのだ。そもそも、こう感じることが多いのと、そうしてしまうのはのは私だけだろうか。今度同じ経験ある?って友人に聞いてみてもいいかもしれないなあ。

こう考えたのにも理由がある。人間は生きれば生きるほど千差万別な生をおくり、その過程で感じたこと、確信したこと、法則性を見つけたことは私と違う方法で見つけたはずで、それを聞くことはきっと面白く、過程を聞くことでその人が何処でその人たらしめるかがわかり、よりその人への理解が深まる…といった考えを持っているからだ。しかしまあ、なんだか何故こんな考えに至ったのかという問い自体は相手の常識に足を踏み入れる行為であり、もし聞いたとして、〇〇だから〇〇なんだよ、変なこと聞くなあ〜と思われたくないので、聞くこと自体とても恥ずかしい気がしてなかなかやりづらい。特に話している最中はそんなこと気にもとめないように喋ってしまうので、ちょこっと損しているような、失敗しているような気もする。少し、疑問に思う癖と、質問を固めて言う思考の形成が必要だなあ。

しばらく喋る、書くようなアウトプットを繰り返し多めにしていたので、今後の期間はチョット蛇口を絞って聞く、受け取るを重点を置いてやっていきたい。傾聴は大事だ。これがなくてはいつまでも考えがぶつかり合って、いい知識でもポイっと捨ててしまう。ただ、これには心構えが私には必要で、本を読んで改めてマインドセット(よく意識高い系が使う言葉なのであまり使いたくはないが、これしか今のところ当てはまる言葉が見つからない)をしておくとしよう。初心に、かえるのだ。

さて、今日の日記はここまで。いつもの台詞で終わりとしよう。
明日も、乗り切って行きましょう。

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