見出し画像

【時事解説】選挙延期からセネガルのデモクラシーについて考える①

おはようございます!Nanga Def?(ナンガ・デフ)=元気?マンジャーラ・ファル(笑)です。

※ちなみに丁寧に言うとNaka nga def?>(naka=どのように、nga=あなた、def=やってる)?で、Nanga Defはその短縮形だよ)

先週は、久々にウォロフ語でセネガル人タクシー運転手に対して激怒している夢を見ました。実は、リアルでその日は朝早く試験監督があったので、絶対遅れちゃならん!と思い、夢の中でもめちゃくちゃ急いでいるんですが、なぜか鴨川のほとりがセネガルになっていて(笑)、タクシーが変なルートを選び続けて川のほとりの柵に突してハマり、イライラがMAX、「バイマ、バイマフィ ワイ!Baima, Baima fii way!(もういい、ここでおろして、おろせって(怒)!(意訳)) 」と叫びながら変なとこで車を降りている、というカオスな夢でした。またウォロフ語での怒り方表現などは、別の記事でいずれ扱いますので乞うご期待。
…不毛な前置き失礼しました。

始めの記事は、上みたいな「ウォロフ語怒り表現」や「あいさつしよう」など、もうちょっと緩い話題から入ろうかと思ったのですが、平和なセネガルについてあまり報道されることが無い日本でも、先々週ぐらいから「セネガルの選挙が何故か延期されて荒れているらしい」といった情報が若干なりとも流れているので、時事問題について少々解説したいと思います。

まあ、アフリカについて報道があるときは、大体紛争や災害で大変なことになっている時なので、普段報道がほとんど無いセネガルは平和な証拠、とも言われ、それはよいことなのですが…。

(セネガル政治の背景などの解説も入れるので、何回かに分けて投稿します)

セネガルは民主的な国?セネガル政治のいろは

現状については、現地にいる池邉さんや前田さんのほうがオンタイムでルポしてくれる可能性が高いのでまたお願いしようと思いますが、実は「選挙が延期」というのは、セネガルでも初めてのこと!

 セネガルでは、1960年に独立以降、クーデターも紛争もなく、少なくとも見かけ上は「平和的」な政権交代がなされてきました。1960年から2000年までは、セネガル社会党(PS)が与党として、そして1990年代後半から徐々に自由主義政党が力を持つようになり、2000年からは、アブドゥライ・ワッド前大統領が率いるセネガル自由党(PDS)が政権をとり、セネガル政治の大転換期と言われました。
 それまで社会政権でフランス植民地のしくみをそのまま受け売りしてきた社会党の公社(落花生一律買取など)、公務員エリートの率いる政府、それに協力的なムリッド教団による農業経済ベースの経済…、などが1980年代に入って一気にがうまくいかなくなったこと、同時期に、セ銀やIMFなど国際金融組織のプレッシャーで「構造調整」と言われる経済の自由化を政府が一気に進めた結果、物価が高騰、経済や社会ががたがたになり、多くの市民が不満を持つようになったこと、そんな中「Sopi(変化)」というスローガンを掲げるセネガル自由党を支持するようになったこと…などが、ざっくりと、当時の政権転換の大きな理由となっています。
 政治的面でも大きな変化があり、そもそも初代大統領サンゴール下の社会党政権時代当初は、ほぼ一党制で、野党は禁止されていましたが、学生運動や市民社会の運動に押されて徐々に緩和され、今は政党の自由が保障されています。こうした転換期に政治も自由化し、民主化していきました。

上で少し出しましたが、セネガルの政治のもう一つの特徴は、現地で力を持っているイスラーム教団(タリーカ tariqa=「道」を意味するアラビア語語源の言葉)が、常に政治に関わってきた、という点にあります。タリーカについては、またゆっくり扱う機会がありますが、セネガルには、現地で創始されたと言われるムリッド教団と、モロッコから伝わったとされるティジャーニア教団という二つの大きな教団があり、その下集団も多く存在しています(池邉, 2023参照)。カーディリア教団など他にもいくつか教団があるほか、シーア派のイスラームや「改革主義」「サラフィー」「イバードゥ(Ibadou)」などと呼ばれる、いわゆる「教団じゃないイスラームのグループ」も複数、そしてどこにも属さない「ただのムスリム」という市民も多くいます。
大事なのは、こうした異なるグループの中で、セネガルでは特に上の二大教団、その中でもムリッド教団が、国の政治と経済を陰で支えてきた、ということです。これは王朝時代にさかのぼりますが、ひとまず近代政治との関わりでは植民地時代にさかのぼり、独立してからも政治の「裏舞台」で、教団の総本山トップであるカリーフ・ジェネラルが、信者たちに「ンディゲル(命令)」を与えることで、社会党の候補者を支持してきました。
 経済的には、教団は落花生畑を所有し信者がそこで労働もしていたので、国の農業公社がそれを支えることで、単一作物栽培にささえられた経済基盤もできていったのです。かなり簡略化すると、「教団」という強い政治・経済的後ろ盾があったからこそ、セネガルの政権交代が平和裏に行われてきた、ということになります。こうした関係が「社会契約(contrat social)」と呼ばれ、研究対象にもなってきました(Copans, 1980)。
 ただ、この関係は、自由主義政権が台頭する1980年代後半から1990年代には、機能しなくなってきました。それは、農村の干ばつに伴う経済危機で信者たちが都市に出て、新たな考えややり方を身につけてきたことが大きく関係しています。2000年に政権が交代したときには、植民地時代から堅固に守られてきたイスラーム教団と政治とのかかわり、それに支えられた社会主義が倒れた、ということで「バオバブ(社会党)が根こそぎになった」という表現までされたほどでした(Xavier Audrain, 2004)。
 そして、自由主義政党が既に20年に渡って様々な社会の動きを生み、また2013年に現マッキー・サル大統領が台頭するなかで、若い信者や市民たちは、今ではもうほとんど政治と宗教を切り離して考えている、という見方が主流です。これには、もちろんネットやSNSの普及も関係しています。

一人一人の市民が、自分の意志で候補者を選べる時代…。
そんな中、新たな政権交代か?みんなの注目を浴びる今年の大統領選!…が、なぜか延期に!!

セネガルの大統領選が延期に

 今回、本来2月25日に予定されていた大統領選が3週間前に差し掛かった2月3日、マッキー・サル現大統領が突然その延期を宣言し、2月5日に議会が承認した、ということらしく、市民たちは、「長い間我々がプライドをもってきたセネガルの民主主義が、揺るがされる危機だ!」とストや暴動を起こしている、ということです。もちろんこれは、選挙期を遅らせることで時間稼ぎをし、その間マッキー・サルが権力の座にしがみついている、という理解からですが、警察との衝突などで、合計3人の死者まで出ている(この選挙戦騒動が始まった2023年始からの人数)、という痛ましいニュースが…。

現地セネガルにいる二人(池邉・前田)によると、ネット回線も個人契約のWifiは繋がるが、パブリックWifiなどは「治安維持」を理由に切られていた、とのことでした。(今日(2024,02,14)、現地のセネガルの人から得た最新情報では、既に復旧されたようです)

現大統領、マッキー・サルの言い分としては、より透明性のある状態で選挙を実施したいからの延期した、とのことで、今のところ延期された選挙は2024年の年末、12月に予定されています。
 確かに、2023年に入って、選挙戦の話が盛り上がるにつれ、いくつかスキャンダルが持ち上がり、最大有力候補と言われた野党「仕事と倫理と友愛のためのセネガル・アフリカ愛国者党(Patriotes africains du Sénégal pour le travail, l'éthique et la fraternité ーPASTEF)」の党首、ウスマン・ソンコは今も投獄されています。マッキー・サルの人気が落ちる中、野党のソンコさんは、その支持層も分厚く、次期有力者とされていました。彼の投獄が長引く中、党を代表してバシール・ジョマイ・ファイ(Bassirou Diomaye Faye)が出馬します。
市民社会からプレッシャーを受け、マッキー・サル本人も出馬しないことは宣言しており、セネガル自由党からは、彼のいわゆる「代理」と言われるアーマドゥ・バ(Amadou Ba)が出馬するなど、市民にとってはあまりそれまでなじみがなく、聞いたこともない候補者が出馬している「ぱっとしない」「代理戦」的な状態になっていた、という背景があります。

こうした現状のなかの「大統領選延期」という異例の事態。

セネガルではもともと路上に出てデモをする政治文化、若い人たちがパブリックに声を上げる都市の文化があります。黙ってはいない!(でも一般的には、平和に解決、がセネガルらしいところ)

長くなってきたので、こうした動きの根幹にあるセネガル政治と市民社会の様子、現地のイスラームとの関わりや、今回の動きの進捗については、また次の記事で書いていこうと思います。

→ 続きを読む(リンクはもう少々お待ちください)

(文責 阿毛香絵)

参考資料

  • 池邉智基. セネガルの宗教運動バイファル――神のために働くムスリムの民族誌. 明石書店, 2023年.

  • Audrain, Xavier.  ≪Du  “ndigël” avorté » au Parti de la vérité≫. Politique africaine, no. 96 (2012年11月15日): 99–118.

  • Copans, Jean. Les Marabouts de l’arachide :  la confrérie mouride et les paysans du Sénégal. Les Hommes et leurs signes. le Sycomore, 1980年.

  • Diop, Momar Coumba, Mamadou Diouf,Aminata Diaw. ≪Le baobab a été déraciné. L’alternance au Sénégal≫. Politique africaine 78, no. 2 (2000年): 157–79.


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?