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愛猫との別れ

 断酒20年のヨウスケです。

 年齢は30歳になっていました。

 30歳になるまでに自分のアルコールの問題をどうにかしたいと思っていましたが、気持ちとは反対にアルコール依存症は進行していきました。

 この年の年末に地元の小さな製造業での出荷のアルバイトに行くまでの期間、どんな生活をしていたのか全くと言っていいほど思い出せません。飲んだり飲まなかったり(お金が無かったから飲めなかったというのが正解ですが…)の生活を送っていたと思いますが…。

 時々、日雇い派遣の現場に出たりしてはいたのでしょうが、その頃の記憶がほとんどありません。

 仕事を探すなり、アルバイトに行くにしても、将来を見据えた選択をしなくてはならなかったのかもしれませんが、とにかくお金が無かったので職種や仕事内容を選んでいる余地はありませんでした。

 さて、その出荷のアルバイトですが年末の忙しい時期であったのでけっこう稼げました。1ヶ月だけであったのもあり、何とかアルコールのボロも出すこともなく終えることができました。

 久しぶりに懐の温かい新年を迎えることができ、年が明けても

「年末あれだけ働いたんだから少しは休息しないと」

 とアルコールで頭と身体を労わっていました。

 この年は寒い冬でした。2月のある日、家の飼い猫が病気で死にました。名前を「サチ」といいました。

 私が18歳の時に家の庭に迷い込んできて、そのまま我が家の飼い猫となり、子供も産んでたくさんの癒しを与えてくれたとてもかわいい猫でした。

 部屋飲みしていると入り口で黙ってじっと座ってこっちを見ていました。

「おいで」

 と手招きすると入ってきて膝に座ります。ツマミのスルメも良く食べさせてあげました。(あれも駄目だったんですけど)

 おとなしくとても賢く従順な猫で私も家族もサチが大好きでした。しかし、飲んでる私をサチは好きでは無かったと思います。

 死ぬ前日に近所の動物病院に連れて行きました。酔ってましたが、歩いて行ける距離だったので寒い中連れて行きました。

 先生の診断では腎臓も肝臓も弱っているのであと一日持つかどうかということでした。

 次の日に母親の元で静かに息を引き取りました。

 悲しかったです。

 大学入学とほぼ同時期に我が家に迷い込んできてたくさんの笑顔を与えてくれたサチ。私のアルコールが酷くなっていき、とうとうアルコール依存性になっていく様子を見続けてきたサチ。

 最後はどんな気持ちで私を見ていただろうか…。

 泣きました。

 部屋であぐらをかいて日本酒のパックを目の前に置いて飲みながら泣きました。

 朝から夜まで飲みながら酔っ払った頭で思いました。

 「もう本当にいい加減にしないと、酔っ払ったまんま大切なものを無くしていくような後悔を積み重ねていくことになる」

 
 アルコールを断たねばならないということを本気で考え始めるようになりました。

 ちょうどその頃、年末にアルバイトに行った会社から

「もし良かったらウチで働かないか?」

と仕事の打診の電話がかかってきました。

 少し躊躇しました。

 躊躇した要因の一つに、そこの工場長が仕事中からパック酒を飲んで赤い顔していることがありました。

別に酔って暴言吐くとか暴れたりせずに自分の仕事は一応しているように見えましたが、良く言えばアルコールに寛容な職場のようで「これはヤバいかな」と思いました。

 それにまたアルコールで仕事に穴を空けるであろうことは目に見えてました。

 悩んだ末に結局行くことにしました。

 この会社が断酒に至るまでの最後の就職先となりました。


 
 補足ですが

 私の酒の飲み方をずっとして心配くれていた大好きだった祖母。

 90歳で亡くなりましたが、きっちり断酒して見送ることができたことは、本当に良かったと思っています。

 ここでまだ飲んでいたら一生の後悔を残していただろうと思っています。

 

 

 

 

 


 

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