家庭内の性的暴行について

外出自粛による家庭内の性的暴行について

この話はむりにアドバイスをくれたりしようとする人にはあんまり読んでほしくありません。

誰に読んでほしいかな。同じ境遇の人とか、あとはまあ私に偉かったね、って、ただそれだけ言ってくれる人にだけ。そういう方だけが読んでくださったら幸いです。



先日Twitterで「外出自粛により中高生の妊娠の相談が増えた」というようなツイートを見かけた。最初見た時はすげえな、と単純に思った。外行けないからコトに及ぶってことかあ。そこまで考えたものの、外出自粛なら同棲でもしてない限り無理なんでは?と思った。実家でエロいことってできるんだろうか。BLとかでは「今夜親いないから…」的シチュエーションを何度も見たものの、そんな上手くいくもんだろうか。だって兄弟とかもいるし。どうなの。この状況じゃラブホとかも行けんし。
そこでとある人の他のツイートを見かけた。家庭内暴力の結果かもしれない、というようなツイート。

いや、そうだよね。そういうこともあるわ。
けどそんなことってドラマだとかお話の中でしか見たことない(そりゃ見ることは少ないけども)、知らない、という人だっているんだよなあ、あとやたら父娘だけ(血の繋がらない父と娘という関係を想像してる人も少なくなかった)に限定してる人多いよなあ、とリプツリーを見て思ったりもした。リプツリー面白い。

さてここからが本題である。

かくいう私も小学校低学年のときに身内に性的暴行を加えられたことがある。ここはインターネットの海の中なので告白させてもらうが、血の繋がった兄から、である。といってもこちらはまだ初潮を迎える前であるし、挿入もされていない。身動きを取れなくさせて無理やりやられた、という感じでもない。ゆるやかな性的暴行である。挿入を伴わなかったらレイプって言わないんだっけ。何に類されるんだろうあれ。ペニス…陰茎?なんて言い方が良いんだ、ああ男性器?男性器を舐めさせられたり、こちらの性器を舐められたり、あとは上にのしかかられて腰を振られたり。あー思い出すとめちゃくちゃ気持ち悪くなってきた。回数としてはたいして多くなかったはず。三、四回ぐらいだろうか。当時6,7歳だった私は気持ち悪くて母親にめちゃくちゃ遠回しに伝えてみたりしたので、あちらとしてはバレると思ったのかもしれない。わからんけど。

そんなこんなの出来事があったのだが、この記憶は中学生になるくらいまできっちり蓋をされていて、次に思い出したのは中学二年生ぐらいのときだった。

私の家庭状況は私が小学五年生くらいのときから歪みだした。
両親が大喧嘩し、色々と亀裂が生じ始めた。母親は体調を崩すことが多くなり、父親はとても暴力的になった。母親は体調を崩すことはあったが、なぜかどんどん若返った。父親は基本的に酒を飲んで大暴れをしていた。母と私に怒鳴り散らして掃除や片付けをさせた。度を越えた恐怖感のためか、このころの記憶はもうあまりないのだが、父親が怒鳴り散らす傍ら、私は大泣きしながら汚れきったボウルを洗っていたという情景は今でも鮮明に覚えている。直接殴られはしなかったが、大きな音を立て物を床や壁に叩きつける姿はあまりにもショッキングな光景だった。


しかし私はそんな状況から逃げ出せなかった。一人で逃げだすにはあまりにも幼かった。母や兄はどこかに逃げることができたが、私はそれが出来なかった。逃げた後にまたどれだけ怒鳴られて暴れられるのかわからない。怖かった。逃げ出す勇気がなかったのだ。

母はそのころから、男性と交際を始めた。不倫、にあたるんだろうか。
ある日私は母が買ったかわいいガラケーに憧れて、母の携帯を盗み見てしまった。そこにはえげつないものを映した写真(まあ性器とかそんな類だ)と共に、えげつない感じのメールのやりとりが存在していた。セックスに関するあけすけなメールである。まあ、大人の皆さんはなんとなく察せるでしょう。母が実際に誰かとセックスをしている現場に出くわしたことがあるわけではないので断言はできないが、多分母は何人か年下のセフレ的なものを作っていたのだろう。トイレでコンドームを見つけたし、大分後になってだがローションも見つけた。あと性病の治療薬なんかもあったな。まあたぶん、リアルでもコトに及んでいたのだろう。

そしてそのことは私に深い傷跡を残した。母親が女だ、ということが私には最も受け入れられなかったのだと思う。それにそのことを知っていたのは家族で私だけだった。私にプライバシーを守るというモラルがなかったばかりに。人の携帯を見るなんて本当にバカだったと思う。自分を殴りてえ。

私が中学校にあがると、母は本格的に体調を崩しはじめた。重度の精神病を患い、私が中学一年生を終えるころには精神病院に入院していた。その間、私は父からあまり食糧もお金も与えられず、とりあえず飢えていたのを覚えている。兄は高校生だったので自由にしていた。そして私は急激に兄と仲良くなった。基本的に家に私と兄しかおらず、話し相手もお互いだけだったし、何より同じ境遇を分かち合えるのはお互いしかいなかった。


そして私はある日思い切って、母に関するトラウマについて兄に話した。兄は私を慰めてくれた。私はだいぶ救われた。


しかしそのあとすぐに思い出した。この人、昔私に変なことしてなかったっけ、と。

なぜそこらへんでその記憶を思い出したのかはわからないが、私は自分自身の不幸の種を探していたのかもしれない。私の不幸は誰かに話したぐらいでどうにかなるもんじゃないと思ったから。
そして幸いで最悪なことにその不幸の種はすぐに見つかった。今まで厳重に閉じてきた蓋を、自分の手で開けたのだ。やっぱり馬鹿だな、と思うけど、こればかりはいつかは思い出さなければならない記憶なのかもしれないので仕方ないと思うことにする。

それでも私と兄は仲が良かった。「兄弟」みたいに。
高校生か大学生だった兄は所謂オナニー用のエロラノベ、みたいなものをトイレに置いていた。そしてそれは実の兄妹が主役のものだった。実の兄妹がセックスしまくって妹が孕むという実に恐ろしいエロラノベだ。兄は私にその話が好きだと堂々と言った。おかしい。どこに出しても恥ずかしくない立派なサイコパスだと思う。けれども自分たちが「兄弟」みたいに仲がいいことを誇らしく思っていた私は、兄に話を合わせた。やっぱり馬鹿だ。性的暴行の被害者が加害者と仲良くするとか、松尾スズキの『マシーン日記』の世界じゃないんだから、ねえ。


兄は頻繁に下ネタを言う。一時期手マンの仕草にハマっているときもあった。私の目の前で高速手マンの仕草をするのだ。本当に死にたくなるほど気持ち悪かった。手マンの仕草をして許されるのはこの世に加藤鷹だけというのは世の理なのに。そんなことをしても、兄は自分が嫌われると思うことはない。清々しいほどにサイコパスだ。

そして現在、外出自粛のおかげで家族が一同に揃うことになった。正直言ってめちゃくちゃしんどい。母が私と兄を居間に残してお風呂に行くとき、私はいつもあのことを思い出す。はじめてコトに及ばれたときと全く同じシチュエーションだから。所謂フラッシュバックだ。今でも性的な目で見られているとは思わないが。一度は性的な目で見てきたことがある相手なのだ。私と兄は本当に仲がいい部分もあるし、兄は私に基本的には優しくしてくれる。それでも一度やられたことはもう取り消せないのだ。加害者の兄としてはもうそんな些細な「いたずら」は覚えていないのかなんなのか知らないが、覚えられていても嫌だなと思う。けど忘れられていてもしんどい。でも謝られたって困る。時間は巻き戻せないから。

私はその経験から「自分の身に降りかかる性的なこと」と、父と兄の影響で「男性」が極度に苦手になってしまった。所謂喪女まっしぐらコースである。普通の喪女(普通の喪女?)ならば好きな男性ができたらまあ時間はかかっても恋愛やらセックスやらができるんだろうけれど、そうじゃない私はやばいな、と思った。そこで二十歳ぐらいだった私は「もう無理やり処女捨てたろ」と思い立った。そして出会い系に登録して適当なおっさんと会った。
一人目にあったおじさんはバツイチで、めちゃくちゃおっさんだった。「いやーーーこれは…」と思ったしおっさんの側も若干「俺で大丈夫かな…」という顔をしていたがとりあえずラブホに行った。おっさんが八天堂のクリームパンをくれたので缶チューハイかなんかを飲みつつ二人で食った。そこから一応コトに及んだのだが、できたのはペッティングだけだった。さすがにいきなり挿入は無理だよ、とおっさんに言われた。良心的なおっさんだ。

二回目は、ここでキメるぞ、という心持で臨んだ。30後半ぐらいのおっさんで、会う前に年確のために免許証を見せ合った。遊び慣れてるけどちゃんとしたおっさんだ。それから私は真昼間におっさんの待つ辺鄙な場所のラブホに行き、とりあえず話した。そこで性的暴行を受けた話もした。するとおっさんは「それで相手はイケたの?」とめちゃくちゃフラットに聞いてきた。私はなんかちょっと感動した。これが本物のフェミニズムだなあ、と思った。

なんせ私はフェミニストにトラウマがある。大学の講義でフェミニズムの講義があった。先生とのやり取りで、ネットで書きこめる場があったので、私は思い切って先生に自分のトラウマの話をした。すると先生から、「これを記名入りで皆に見せてもいいか」と聞かれた。…いや、よくないでしょ。最初は名前と顔が一致しなくても、名前呼ばれたときに答えたら私が誰かわかるし。そしたら「あ、あの人がお兄さんにアレコレされた○○さんなんだ…」ってなっちゃうじゃん。なので私は「それはちょっと嫌です」と答えた。すると次回からは気をつけてください、と言われた。なんだそれ!仮にもフェミニストを気取るならまずはじめは相手を労われよ。被験体みたいな扱いすんな。

話が逸れました。そんなわけで私は遊び慣れてる陽キャのおっさんに全てを打ち明け、抱いてもらうことにした。ゴムがあると多分入らないから、と言われてアフターピルを飲まされた(たぶん本物っぽいなこれと思って飲んだけど結構危ないことしたよなと今では反省している)。私は異性の前で素っ裸になるのも初めてだったけど、もう何の恥じらいも躊躇いもなかったので堂々と素っ裸になった。「肝据わってるねえ!」と陽キャのおっさんに褒められた。まあそんなこんなで一応処女喪失は成功した。性交だけに。めちゃくちゃ痛かったけど。事後は服を着こんで人間がAIに淘汰されるとかいうシンギュラリティ的な話をした。すっごい真剣に話した。変な初体験だった。なんだったんだあれ。

兄は周りの人から「ちょっと変だけど憎めない優しい兄」だと思われている。私のことをとても大事に思っている兄だと。大事に思いすぎると性的暴行も加えてしまうんだろうか。

まあ、何が言いたいかというと、私を褒めてくださいということです。胃が痛い。
それから、想像力の翼を広げまくって、老若男女問わず見えない性的暴行に苦しんでいる人々がいる、ということを忘れないようにしてください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?