資本論23. 資本主義の限界
資本論の解説も今回で最後となります。第七編「資本の蓄積過程(第二一章~第二五章)」についての紹介です。今までのおさらいとまとめ、といった内容になっています。
相対的過剰人口
資本は効率化によって生産物の価格をどんどん下げていきます。その手段の一つは機械化で、もう一つは賃下げでした。今まで、労働の価値が下がるから賃金は下がると説明してきましたが、実際に労働者がはい分かりましたと賃下げを受け入れるわけがありません。
歴史を振り返ると、資本が最初に行ったことは農民からの土地の収奪でした。それまで奴隷や農奴として領主のために働いていた農民から、土地を奪ったのです。もともとお前らの土地じゃないだろう、と言えばその通りですが、昔の共同体社会は「みんなで使う、みんなの土地」といった意識が根強くありました。そうした所有の意識を、資本主義は「オレのものはオレだけのもの」という現在のスタイルに塗り替えたのです。それはかなり暴力的な過程だったようです。
今まで領主とともに二人三脚で働いていた農奴たちは、土地を失って何も生産できなくなります。資本に従って工場で安い賃金で働くしかありません。仕事をしないで浮浪者になると、自由意志で仕事をしない犯罪者として扱われるようになります。乞食をしている者には公然とムチを打つことが認められ、耳たぶに焼き印を押されたりしました。再犯すれば死刑です。
資本はこうやって失業者を生みだすことで、賃下げを可能にしてきました。こうした失業者たちを「相対的過剰人口」とマルクスは呼んでいます。
資本の蓄積のためには「相対的過剰人口」はとても重要です。日本の高度経済成長でさえ、地方に膨大な農家がいて、彼らが東京へ出稼ぎにくることで相対的過剰人口として機能していました。今は国内が人口減少で相対的過剰人口が減ってしまったので、外国人技能実習生とか無理やり連れてきている状態です。
資本主義と生活保護
資本が行ってきた効率化手段のもう一つ、機械化について。資本は人件費を機械などの固定資産に置き換えることで、生産費用を抑えて剰余利益を創出してきました。
しかし機械がどんどん増えていくと、その機械を操作する人間も必要になります。その結果、どこかで機械を操作するための人を確保するために賃金が上昇に転じる日が来ます。そして賃金が上昇すると剰余価値が減って、また労働力が過剰となり賃金は下がります。こうして資本の蓄積運動に応じて賃金も上がったり下がったりと変化します。
資本は絶えず大規模に労働者を雇用しながら、同時に失業させ続けることで賃金を一定におさえようとします。安くて従順な労働力に対してのみ大きな需要が発生し、高い賃金の労働力には需要が発生しないということも起こり、大量失業と人手不足が同時に発生します。
労働者たちはこうした不安定な状況から身を守るために労働組合や共済制度などを作ってきましたが、それでも耐えきれず、国家に生活保障制度を求めるようになります。
第八章では、絶対的剰余価値の追求(労働時間の延長)から身を守るために労働時間の制限を国に求めました。第一三章では、生産的知の剥奪に対抗するため職業教育などが実施されました。それと同じように、相対的過剰人口の創出に対抗するため、生活保障が実現したのです。
ポスト資本主義
資本主義は、ものすごい力で拡大しています。しかし、随所で矛盾を抱えていることも見てきました。
機械化・効率化を進めるために優れた人材が必要なこと。自然を破壊することで持続可能性が失われること。周期的に恐慌を引き起こし社会を混乱に陥れること。
こうした中から、資本主義はいずれ崩壊し、次の秩序が生まれるのではないかとマルクスは期待しています。それがSNSなどによる新しい繋がり(アソシエーション)であり、現在のヨーロッパで増えつつある福祉国家であり、シェアリング・エコノミーのような労働形態ではないか、と予想されます。
マルクスは「個人的所有の再建」、個人が職人技のような熟練技術を取り戻し、自分の意志で仕事ができる社会を望んでいます。それは金銭による売買ではなく、贈与などの互酬によって回る社会の復興なのかもしれません。ポスト資本主義については多くの人が研究していますが、以下の書籍では、互酬原理による社会システムが論じられているそうです。
感想
資本主義の限界は多くの人が感じているし、新しい社会システムについてもたくさん議論されてきたのに、それでも未だに資本主義は倒されることなくこの世界を支配しています。空恐ろしいですね。
このままの延長で効率化が進んでいくと、人間のやることはどんどんなくなると思います。最近のブームであれば、医療の自動化、自動車運転の自動化、物流としてドローンによる自動化などに私は注目していますが、そうした流れは止まることがないのでしょう。
今すでに別に困ってないこともどんどん自動化されて、私たちはどんどんやることがなくなるはずです。今だって、ファーストフードのテイクアウトとか、自炊が自動化されて便利だなぁと思ってたら、まさか買いに行かなくてもUberEatsが届けてくれるようになりましたし、「え、そこも自動化しちゃうの!?」みたいなのがどんどん増えていくのでしょう。
もはや、VR空間で心地よい映像を見ながら生命維持装置に繋がれるだけの脳みそ的なディストピアな存在になり果てるのも近いのではないかと思います。資本ならそれくらいやってくれるはずです。
今はまだ身体を動かそう、五感で感じよう、みたいなリアルを重視する声もありますが、ハプティクスなど遠隔での触覚共有が進歩すれば、そうした運動だって全部仮想的に実施可能になるような気がします。そんな幸福な生活をどのように感じるか、まさに「サピエンス全史」で読んだテーマに繋がってきますね。
課題
ということで、ここまで読んでくれた皆さん(そんな人いるの?)に課題です。
あなたが大切にしている、五感を使った行動を一つ挙げてください。それを効率化・自動化してください。
たとえば美味しい食事(味覚)とか、山登り(触覚?視覚?)とか、人それぞれあると思います。それが自動化されます。嫌ですよね。でも、そのうちそういう日が来ます。それが資本主義です。誰よりも先に自動化すればあなたは勝ち組です。ほら、資本に魂を売りましょう。