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毒親ラジオの今後の進め方

すごい演者をあきらめる

ラジオに限らないですが、一番大切なのは「視聴者」です。よい視聴者がよいコンテンツを育む。演者は、どうしても視聴者のレベルに合わせてしまうので、視聴者のレベルが低いと、コンテンツの内容も低俗になってしまう。それはテレビ番組を見れば分かると思います。

だから、コンテンツを大きくしたければ、ものすごい演者を目指すよりも、質の良い視聴者を育てる方が重要です。コミュニティを作ることですね。よく将棋の例が出されますが、藤井聡太のすごさが分かる人がいないと、どんなに将棋が強くてもその価値は伝わってこない。将棋を理解するよい視聴者がいて、彼はすごいと盛り上げてくれるから、藤井聡太もさらに実力を伸ばすことができるし、我々一般人もなんかすごい人がいるんだなと認知できる。囲碁は将棋と比べて視聴者が少ないから、芝野虎丸がすごいと言われてもすごさが伝わってこない。

さて、私もラジオパーソナリティをやってみて感じるのですが、視聴者はやっぱりすごい演者を求めるし、演者はすごい話をしたくなります。演者はどんどんレベルアップして念能力者と呼ばれたりします。でも、そうやって視聴者の奪い合いをしていくと、放送がどんどん過激化してどこかで破綻する、というのが先人の知恵としてあるそうです。

私自身、あんまり面白いこととか言えなくて、視聴者を沸かすの苦手なので、すごい演者になるのは早々に諦めました。

価値観という「鏡」

そこで登場する新しいラジオパーソナリティのあり方が「鏡」という概念です。いや、なんも新しくないんですけど、すごいことをするのはラジオパーソナリティではなく、ゲストにする。ゲストが面白い話をしに来る、徹子の部屋みたいなやつ、いろんな人を迎えて話を聞く。この形式だと、ラジオパーソナリティはすごい演者を目指す必要がなくなります。聞き上手、うまく話を引き出せる人になれば、あとは勝手に面白くなります。

すごいゲストがたくさんいるのか、という問題はありますが、そこは話の引き出し方次第で、どんな人間でも十人十色の人生を歩んでいるわけで、個人の体験談というのは得てして面白いものです。あとは、どういう切り口で掘り下げていくか、それがラジオパーソナリティに求められる腕前であり、視聴者をファンにするためのポイントです。

ラジオパーソナリティは、視聴者の最前線になるので、ラジオパーソナリティのレベルが視聴者のレベルを規定します。分かりやすく易しく噛み砕くか、ディープに掘り下げていくか、それはラジオパーソナリティのスタイル次第でしょう。

このラジオパーソナリティのスタイルというのは、ほぼ、その人の価値観を反映することになります。私というレンズを通して世の中を見たとき、世界がどう映るか、それをゲストに対してレスポンスしていくことになります。この、私の価値観を通して見た世界が、ゲストや視聴者の価値観と違っていたとき、新しい発見があって、面白い、となると思います。

ゲストや視聴者は、私の価値観を通して自分の価値観を見直すきっかけを得て、新しい認知を獲得できるようになる。これが「鏡」というラジオパーソナリティの提供する最大の価値です。

もちろん、私が完全に透明なガラスとなって、ゲストの面白い価値観を直接視聴者に届けるというスタイルもあるでしょう。それも面白いと思います。でも必ずラジオパーソナリティも一言二言、はさんでくると思います。パーソナリティですからね、そうしなきゃいけない、って思うんですよ。これも一種の呪いなのかな。やっぱり、そこにラジオの色が、パーソナリティの価値観が出てくると思います。

次のラジオ構想

毒親ラジオをやってみて思ったのですが、みんなの毒親エピソード(すごいゲストの話)が強すぎて、私は呑まれてばかりでした。私の色がどう出ていたのかはよく分かりませんでした。それでも、ゲストにありがとうと言われたり、視聴者に優しくて良いラジオだったと言われたり、私には意識できていないレベルでも私の価値観は反映されているんだと思いました。

次に、子育てラジオとか、教育ラジオとか、もっと自説を展開できる方向に進むこともできると思います。自分がすごい演者側に向かう路線。でも、それは、私の得意分野ではないはず。そういうYouTubeとか、すでにいっぱいあるはず。そうではなく、私は鏡に徹するラジオをやりたい。もっと、視聴者の方が、ラジオの場に安心感を覚えて、気軽に発言できるような場を作りたい。よい環境を作ることで、よい視聴者を育て、視聴者がゲストになっていく。おたよりのコーナーの最適化。

その観点で振り返ると、毒親という切り口はちょっとハードすぎた。キャッチーではあったけど、タイトルの引きが強い演者路線で、気軽に皆さんに発言してもらうというスタンスにあってなかった。「ねほりんぱほりん」くらいプライバシーに配慮した環境じゃないと、ハードな鏡はやりにくい。

ハードな話がしたくないわけではない。ただ、入り口の敷居はもっと下げて、軽い気持ちで話し始めてもらって、そこからの展開で掘り下げた結果、毒親の呪いが解ける、といったステップが必要。出会って即セックスしようじゃなくて、最初はお食事から始める、デキるナンパ師たちはそうやって関係を築いているはずだ。

だから、入り口としては、「今日の眠かったこと」くらいぼんやりした感じがいいんじゃないかな。みんなの眠かったことを教えてください。ああ、それは眠いよね。ねむねむ。そんな羊みたいなラジオを目指したい。

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