想像の共同体まとめ
読み終わりました。人類史を振り返ると、想像の共同体は、最初は「旅」でつながる宗教の共同体、その次は「出版」でつながる国民という共同体でしたが、最後は「歴史」で国という正統性を維持する新たなフェーズに入っていきます。
これまでのまとめは以下をご参照ください。
きずなを超えた共同体
これまで想像の共同体というのは、同じ時間・空間・情報を共有することによって芽生える仲間意識だと説明してきました。
ゲマインシャフトというのは、地縁・血縁・精神的連帯などによって自然発生的に形成した集団のことだそうです。
しかし現在の国家をみると、そういった想像可能なつながりを越える関係性が生まれていることに気付きます。例としてインドネシアが出てきますが、インドネシアはたくさんの島があって、お互いに名前も知らない言葉も通じないような民族がたくさんいて、それでも一つの国を為しています。
これは「地図」がもたらしたものだそうです。
世界はイングレスでできている
イングレスという位置ゲーを知っている人がどれくらいいるか分かりませんが、とりあえず陣取りゲームです。自分の陣地を増やしていく。すると地図上で自陣に色がぬられていく。どんどん領土を拡大していきたくなる。そうやって20世紀はじめには、地球上のすべての場所に色がぬられました。
世界がスプラトゥーンだったころは、自分が見える範囲に色をぬれば満足できました。目の前の相手と陣取りで勝てば良かったのです。しかし地図が発明されて、地球全体が見える化された結果、自分が支配しているかどうか分からないような遠くの土地でさえも色をぬるようになりました。大航海の果ての植民地支配とか、どんな実効力があるのかよくわからないけれど、それも同じ国だと考えるようになりました。
大人になってもみんな塗り絵が大好きなんですね。
しかし当然のことながら、本拠地から遠い場所は、他の勢力に奪われやすいです。なんとかして自分の陣地だという正統性を確保する必要があります。そこで登場するのが歴史です。
歴史を利用した正統性
国境が地図によって定義され、今まであいまいだった国民に明確な境界が設けられました。日本人はあまり国境を意識することがないですが、同じように東南アジアでも、昔はそこまで国境が明確ではありませんでした。国民感情は人と人のつながりが基本でしたから、よそからきた侵略者によって植民地化されても、それに従おうとは思えません。
そこで、国民の定義を、人と人のつながりではなく、土地に依存するものだと言い換えることにしました。地図で示されたこの区画こそが国であり、そこにいるのが国民だと。そうやって想像力を書き換えることで、侵略者たちは自分たちの正統性を生み出したのです。
こうした歴史に説得力を与えるため利用されたのが「遺跡」であり「博物館」です。こうしたものが存在することこそ、国の歴史であり、国民の過去と現在をつなぐものになったのです。仲間意識は、もはや「自然のきずな」というゲマインシャフトに頼る必要がなくなったのです。
そして全てを忘れる
現代の私たちは、過去にどんな歴史があったのかをすっかり忘れています。ベトナム人は、植民地支配されて侮蔑的にベトナムと名付けられたこともすっかり忘れて、ベトナムを愛するようになります。
私たち国民という正統性は、結局は想像の産物でしかないので、時代とともに書き換えられ、原形を失っていきます。それは儚くもろい関係性のように感じるかもしれませんが、逆に想像力の力強さでもあるといえます。想像さえできれば、大した歴史がなくても、偽りの正統性でも、私たちは思い込みで団結してしまうのです。
私たちは自分たちが何者であるかをたやすく忘れてしまい、何者かになりたいがゆえに、自分のアイデンティティを与えてくれる物語を欲しているのです。
今の時代、国民という物語はだいぶ弱いものになってしまいました。これからの想像の共同体は、どんな物語によってつながっていくのでしょうね。
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