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出版資本主義とそれ以降のナショナリズム~想像の共同体②

前回は、ナショナリズムって出版によって広まったよね、という出版資本主義みたいな話をしました。今回はその続きとして、5~7章を読んだので簡単にまとめていきます。

出版と出版語

まずは前回の復習になりますが、出版が生まれる前の世界における共同体について。

ブルジョワジーの勃興以前の時代には、支配階級はその凝集性をいわば言語の外で、あるいは少なくとも出版語の外で生み出していた。
連帯は、親族関係、庇護関係、人格的忠誠の産物であった。
階級としてのその凝集性が、想像によるだけでなくきわめて具体的なものであったことを意味した。

P131

出版が生まれる前の共同体は、具体的な人間関係を中心に築かれていました。親族だから、同じ土地に住んでいるから仲間なんです。そこにはあまり想像力が必要とされていませんでした。

しかし、出版が広まると、その書物を読むことで、より広範囲な人たちが同じ共同体として認識されるようになります。そのためには、同じ言語を読める必要があります。

一九世紀半ば、いかなる俗語をラテン語と置き換えるにせよ、それはすでに従来その出版語を使用していた臣民に非常な優位を保証し、したがってそれに応じて、この言語を使用していなかった人々を脅かすものとなった

P133

どこでも、識字率が増加するにつれ、大衆はかれらが生をけてからこのかた慎ましやかに使っていた言語が出版語に昇格することに新しい栄光を見出すようになり、それと共に民衆の支持を喚起することもますます容易になっていった。

P135

標準語として採用された言語を使用していた人たちの力が必然的に強くなります。新聞が関東の言葉で書かれて標準語として定着すれば、かつては日本の中心だったはずの関西の言葉は「方言」と扱われるようになり格差が生まれます。

そして標準語を話すもの同士の結束は強くなり、ナショナリズム・国民性というものはより明確で分かりやすいものになっていくのです。

行き過ぎたナショナリズムと戦争

歴史を振り返ると、出版の普及によりナショナリズムが世界に浸透したのが1800年代です。日本でも江戸から明治に移り変わり、世界の中での「日本」という意識が急速に強まったころだと思います。

そして、ナショナリズムが強まって行き過ぎた末に起こったのが帝国主義であり、2回の世界大戦や数多くの植民地支配なのです。本書では、これを「公定ナショナリズム」と呼んでいます。

公定ナショナリズムは、共同体が国民的に想像されるようになるにしたがって、その周辺においやられるか、そこから排除されるかの脅威に直面した支配集団が、予防措置として採用する戦略なのだ。

P165

これはつまりどういうことなのか。

出版語の登場によって国民性が強まったのと同時に、周縁化されて国民の枠から追い出されそうになった人たちもいます。標準語とだいぶかけ離れた訛りをもつ青森の人は国民じゃないの!? みたいになります。いやいや、あなたたちだって国民ですよ、仲間ですよ、と国民の枠を広げて取り込んであげる必要があります。

すると、違う言語を話すけどすぐ近くにいる朝鮮の人は? 台湾の人は? 東南アジアだってみんな国民じゃないの? みたいにどんどん枠が広がっていきます。これが大東亜共栄圏構想のような帝国主義につながっていきます。

公定ナショナリズムは、国民と王国の矛盾を隠蔽した。こうして、世界的規模で矛盾が起こった。スロヴァキア人はマジャール化され、インド人はイギリス化され、朝鮮人は日本化されることになった。
こうして、一八五〇年以降の帝国主義イデオロギーは、典型的に、手品のトリックのような性格をもつことになった。それがどれほど手品のトリックでしかなかったか、それは本国の庶民階級が、植民地の「喪失」を、しようがないとちょっと肩をすくめてそれで簡単にあきらめてしまった、その冷静によって示されている。

P175

朝鮮だって日本人だよね、と詭弁を掲げていたけれど、いざ朝鮮の植民地がなくなったときに、まぁ仕方ないと思えるのは、結局朝鮮人を決して内心では日本人だと思っていなかった証拠です。

日本と朝鮮の場合は言葉の壁があるのでさもありなん、ですが、英語を公用語として浸透させた植民地だって、結局は同じような結末をたどっています。決して言語だけが「想像の共同体」を形成するわけではないようです。では、いったい何が重要なのか?

教育という参勤交代

前回、出版が生まれる前に想像の共同体を形成したのは「旅」だという話を紹介しました。宗教における聖地巡礼みたいなのが、遠く離れた人同士を仲間として結びつける役割をしていました。

現代社会で、その聖地巡礼と同じ役割を持っているのが「学校教育」なのだそうです。

植民地政府の設立した新しい学校が、巨大な、高度に合理化された厳格に中央集権化されたヒエラルキーを構成して、国家官僚機構それ自体と構造的に相似形をなしていたことを思い出す必要がある。画一化された教科書、標準化された卒業証書と教員免状、年齢集団によって厳格に規制された学年制、学級の編成、教材、こうしたことは、おのずと独立の整合的な経験の宇宙を創出した。
こうして二〇世紀の植民地学校制度は、すでに長期にわたって存在していた役人の旅と並行する巡礼の旅を生み出した。

P197

地元の小中学校に通う、それから地方都市の高校に進学して、最後は首都にある大学へ行く。こうして全国から人が集まってきて、みんなが同じような教育を受けていることを目の当たりにする。この教育システムこそが、ナショナリズムを確固たるものに仕立て上げているのです。

植民地支配しても、朝鮮の人は東京の大学に来ません。それでは仲間になれないのです。旅を通して物理的に出会うことが、共同体という想像力をより確かなものにするのです。

そう考えると、江戸時代の参勤交代ってすごく効果的で、全国の人が意味もなく江戸に集められる、その経験を通してみんな日本人なんだなぁって自然と実感するわけです。青森の人と鹿児島の人が出会ったとしても、「ああ、参勤交代めっちゃ辛かったですよね」と意気投合できる、これこそが国民性の正体です。

結局、想像の共同体を形成するのは、想像力ではなく物理的な接触なんだなぁと思うのでした。

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