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②見せかけの平等と学歴社会~ピエール・ブルデュー「ディスタンクシオン」より

前回に引き続き、ディスタンクシオン第二部「慣習行動のエコノミー 社会空間とその変貌」についての感想です。前回の内容はこちら。

格差のある文化資本と平等な学歴資本

文化資本というのは前回説明したように、家庭内で育まれる上品さのようなもので、生まれた家柄などの影響を大きく受け、引き継がれていく。貴族の子は貴族であり、平民の子は平民なのだ。それはいくら後から取り繕おうとしても非常に難しい。

一方、学歴資本というのは努力によって身につけることができる。そして近年、学校の普及により、あらゆる階層の人たちが学歴資本を蓄積するようになった。学歴はあたかも万人に平等かのように見える。

しかし、今まで下の階級にいた者たちが勉強によって上の階級を目指すのと同様に、元々上の階級にいた者たちは自分の地位を守るために必死に勉強する。親たちは子供に勉強のための投資をするので、結局文化資本の差が縮まることはあまりない。

教育制度がつくりだす就職希望と実際にそれが供給する就職機会とのギャップは、学歴資格のインフレ期には、ある学校世代のメンバー全体に影響を与える構造上のできごとである。こうした希望は遅かれ早かれ、学校市場や労働市場の裁定によって裏切られてしまう。希望と機会のギャップ、すなわち教育制度が約束してくれるように思われる社会的アイデンティティと、学校を卒業したときに労働市場が実際に供給する社会的アイデンティティとの、構造的なギャップから生じる集団的幻滅は、労働にたいする興味の喪失を誘発し、青年層の逃避や拒絶を生み出すもとになっているのだ。(P235-236)

ルールを作るやつが強い

そもそも学歴資本の獲得によって上流階級に行けると幻想を抱いている人は、上流階級が作った社会・秩序・土俵の中で戦おうとしているから、勝てるわけがないのだ。ルールを作る人は、自分が有利になるようにルールを作るのだから。

学歴資本のインフレにより学歴の価値が下がると、当然、上流階級の人が持っていた価値も目減りする。そんなとき彼らはどうするかというと、新しい仕事を作るのだ。自分たちが強く戦えるフィールドを新たに用意するのだ。

階級脱落を免れようとする人々は、彼らに適合するような新しい職業を作り出すこともできるし、あるいは自分の肩書によって就ける職業を、再評価を前提として中身を規定しなおすことにより、自分のもくろみに合うよう調整することもできる。(P246)
いわゆる「相談業」を創設しようとする強引な試みが最もうまくいきやすいのは、社会構造のなかでも最も形のはっきり定まっていない部門においてである。自分の階級文化の必要性と希少価値を作りだすために、自分のカテゴリーの利益を満足させようとするプロセスの典型的な形を示している。たとえばサウナや体操クラブ、スキーなどに行く新興ブルジョワジーが自分自身のために見出したそれを押しつけ、同時に多くの欲求や期待、不満などを生みだすことによって、彼らが提供する製品にとって尽きることのない市場を作りだすことに貢献している。(P250)

そう。ブルジョワが、健康はえらい、鏡を持て、適切な群れに所属しろ、などと喧伝するのは、そうすることで自分の提供するものの価値が最大化されるからであり、それに賛同する庶民たちは、ブルジョワの価値創造に貢献する共犯者であるというわけだ。

庶民は、健康になって加速して特別な人間になるぞ、と意気込んでいるかもしれないが、それも全てブルジョワの手の内であり、上流階級に上がれるかもしれないという幻想を抱かせているだけなのだ。

文化資本には勝てないのか

そんなに、どうしようもないほど、文化資本というのは厳然たるものとして存在し、越えられない壁なのだろうか。

資本量、資本構造、そしてこれら二つの特性の時間に沿った変化という三つによってその基本的な三次元を規定されるひとつの空間を構築することができる。
生活条件の集合を大まかに種別する基本的な差異は、経済資本、文化資本、それに社会関係資本も加えて、実際に利用しうる手段や力の総体としての資本の総量に由来するものである。(P193)

生まれながらの環境に大きく左右される文化資本の他に、経済資本と社会関係資本も、大きく影響を与えるらしい。何らかの形で大金持ちになれば上流階級になれる。もちろん文化資本が少ないから成金などと揶揄されて、上品さを伴わないかもしれないが、それでも階級を飛び越えれば、そこから文化資本を蓄積し始めることもできるだろう。

また、経済資本は、手段として使わないと意味がない。お金がいくらあっても、それを貯めこんで使わなければ、そんな資本はないのと一緒だ。お金をバンバン使えるからこそ上流階級っぽい感じがするのであって、守銭奴な上流階級はいないのだ。

もう一つの社会関係資本というのは、つまり人脈だ。たくさんの知り合いがいることは資本になる。だから、現代のSNSなどの特性をハックして、3000人に会って話を聞いたりすれば、どこぞの没落浮浪者であっても資本を獲得して上流階級にのぼることができるということだ。

なるほどなぁ、と納得しっぱなしの章だった。非常に面白い。

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