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良い親ってなんだろう ~ 子育てという儀礼について

まず自己紹介から。私は、親に言われるがままに一生懸命受験勉強をして、いい大学に行って、いい会社に就職して、結婚して子供を持って、夢のマイホームに暮らす平凡な会社員です。ステレオタイプのように特徴のない平凡な、敷かれたレールの上の走っているだけの人生だと思いませんか?

さて、平凡な私なので、いま一番悩んでいるのは子育てです。現在娘は9歳なので、どうやったら娘にいっぱい勉強させて、将来困らないようにそれなりの進学校に行かせてあげられるだろうか、というのが目下の悩みです。そう、それが自分が歩んできた道ですからね。

子育てについては色々と勉強したつもりです。やっぱり自主性が大事だよね、やりたいことに没頭させるのが一番いいよね、その子の個性を伸ばすのが大事だよね、みたいなやつ。

娘はお絵かきや工作、小学校の科目で言うところの図工が圧倒的に大好きです。最近はマンガとか書いてます。全然面白くないですけど。

そして当然ですが、勉強なんて嫌いです。なるべく勉強したくない、やりたくない、と嫌がるところを、なだめすかして、なんとか勉強してもらっています。

短絡的に考えると、無理に勉強させるより、絵画教室とかマンガ教室とかに通わせて、やりたいことを伸ばした方がいいんじゃないの? ってなります。でも、親目線で言うと、そんなマンガ家とか絶対将来食べてくのに困るでしょ、もっと手に職つけた方がいいよ、とか思うわけです。百歩譲ってマンガ家になるとしても、それなりの知識がないと面白い話は描けないし、やっぱり勉強は必要だと思うのです。放っておいてもしっかりした考えを持つ子になる確率は低くて、それなりに教育しないとクソリプばかり飛ばす無能な働き者に進化する可能性が高いんです。

と、ここまでが自己紹介。

子育てという儀礼について

そもそも、子育てって、儀礼的です。なんで育てなきゃいけないの?

「子作り」は非常に動物的で、欲求を伴うものだから、分かりやすい。一方の子育ては、人間的要素が強く、人間社会を維持・発展させるためにやっているんだと思います。まぁ、ある程度は本能的に仕組まれている部分もあります。母性本能みたいなやつ。でも、娘につるかめ算を教えるのが本能なわけない。

社会としては子育てが大事だけど、それを個人が自発的に取り組むかというと、なかなかうまくはいかない。だから長い歴史の中で人間はいろんな儀礼のシステムを考えたんだと思う。

まず結婚。主に一夫一妻制。これで、母性本能のあまりない父親も、子育てのインティチュマ(お祭り)に取り込まれる。

赤ちゃんが生まれてからは、儀礼が山ほどあります。お宮参り、お食い初め、出産内祝いとか、初節句とか、一歳になったら一升餅とか、由来はありますけど、正直どうでもいいでしょ、みたいなやつ。家族でしかやらないのに、なんとなく日本人としてやらなきゃいけない気がするやつ。

そして、日本国憲法にも記されている教育の義務。すなわち、親が子供に教育を受けさせる義務。儀礼が高じすぎて義務にまで発展している。恐るべき人間社会。でも、そうやって子供に教育を施すことが、結局は一番効率よく人間を高度な存在に引き上げられるという長年の蓄積が作り上げたシステムなのだろう。

ちなみに結婚も子育ても儀礼なのに、子作りのは儀礼はないんだよ。それは本能だから、無条件に「やるべき」って分かるから、儀礼じゃないんだよ。

他にも子育ての儀礼はたくさんあるけれど、今回一番取り上げたいのは「良い親であるべき」という儀礼について。

「良いお母さん」になるための通過儀礼

我が家では「良いお母さんのイデア」と呼んでいます。よく分からないけど、理想的な「良いお母さん」という架空の存在があって、お前は良いお母さんになれていない、どうしてもっと良いお母さんになれないのだ、と常に責めてくる概念があります。

良いお母さんのイデアとしては、いつもにこにこ子供にやさしく接する、子供のわがままもきちんと聞いて、でも野放しにするのではなく一緒に考えて解決を手助けしてあげる、いつだって頼りになるオアシスのような存在、というのが一例としてあります。

でも現実には子供が我がままを言えば怒鳴ってしまい、勉強しなかったら「おやつ抜き」とか脅迫してしまい、なんでこんな簡単な問題も解けないのだと責め立ててしまったりします。人間だもの。

つい先日、ちょっと話題になったニュースも似たようなことが書いてありました。完璧なお母さんであるべきだ、という強迫観念を持つ人はやっぱり多いみたいですね。

他にも、自然分娩じゃないと子供に愛情が持てないとか、母乳育児じゃないとダメとか、布オムツの方が肌に優しいとか、沐浴の温度は38℃とか、離乳食は手作りとか、おもちゃは木製がいいとか、3歳までは保育園ではなく母親が育てるべきとか、スマホを見せるのは脳によくないとか、ゲームばかりさせないで外遊びさせろとか、幼いうちから英語を勉強させろとか、いろんなイデアが存在します。

どれも、本当にそれって重要なこと? って面を含んでいますが、良いお母さんのイデアは常に責めてきます。やっぱりあなたは良いお母さんにはなれない、毒親ですね、と責めてきます。逆に、それらがきちんとできれば、儀礼を通過して選ばれた「良いお母さん」の世界に入ることができるのです。あこがれの世界ですね。

子どもから見た良い親とは?

では、儀礼を通過した「良いお母さん」は本当に良いお母さんなのでしょうか。それは子どもに聞いてみないと分かりません。よく「料理研究家が我が子のために愛情を込めて作った手作り料理より、マクドナルドのハンバーガーの方が喜ばれる」みたいな話を聞いたりします。親の愛情が、子どもにはうっとうしく感じられることは多いです。

むしろ、親が子どもに愛情を注ぎすぎて過干渉となり、子どもが自立的に考えて行動できなくなる、みたいな問題もあったりします。「良いお母さんのイデア」はお母さんたちの自己満足の集大成であり、子どものことを考えた科学的に正しい姿とは限らないのです。

それでも私たち親は「良いお母さん」になることを追い求め続けます。「良いお母さん」であるために子供にはしっかり教育を施し、中学受験をさせて良い学校に進学させたいと考えています。それが娘の将来のためなんです。将来幸せに生きていくために必要なことなんです。

儀礼ですね。

もちろん、世の中にはいろんな親がいて、子どものことは放ったらかしで何も面倒を見ないタイプの家庭もあります。そこで育った子がきちんと自分で考えて行動して成功するというパターンだって当然あります。まぁせいぜい、「良いお母さん」の集団から、(あの家はお母さんが自由奔放でダメね)とか陰口を叩かれるくらいで、気にしなければなんてことありません。ゆたぼんだって生きています。

じゃあ、子どもから見て、「良いお母さん」って何なのでしょう? 甘やかしてくれる人でしょうか、わがままを聞いてくれる人でしょうか、正しく躾をしてくれる人でしょうか、一緒に遊んでくれる人でしょうか。

ここは答えがないので私の仮説ですが、「お母さんは私のために考えてくれているな」と思えることが大事じゃないかと思います。

あなたのためか、わたしのためか

大人はだいたい狡猾なので「これがあなたのため、将来のためなの」とかいろんな屁理屈をつけます。子どもは知識が少ないのでなかなか反論できません。本当に自分のためなのかもしれない、でももしかしたらお母さんの自己満足だったり、お母さんの世間体だったり、そういった背景で勉強しろって言ってるのかもしれません。うちの子はこんなに成績がいいんですよオホホホホ。

子どもは反論は下手ですが、その辺の親の心を見抜くくらいの観察力はあります。文句は言わずに従っているように見えても、心の中で納得しているかどうかは分かりません。あ、だいたい納得してないな、って分かるんですけどね。

だから、良い親であるためには、過度に儀礼にとらわれず、きちんと子どもと向き合って、子どもの求めるものをちゃんと聞いたうえで、親のエゴを真正面からぶつけるのが大事だと思っています。それが教育です。オブラートに包んで、これはやらなきゃいけないんだよ、義務なんだよ、やらないと先生に怒られるよ、とか逃げるのではなく、君にはこれが出来るようになってほしい、それが私の親としての願いなんだ、ということをぶつけること。

腹を割って話せ、ってことですね。まぁ、嫌がられるんですけど。

小麦から作りたいラーメン職人

さて、最後にちょっと脱線して終わろうと思います。おいしいラーメンを作ろうとして、こだわりが強い人は小麦を育てるところから始める、これこそ究極のラーメンだ、みたいな話があります。でも、結局は市販されているもの、企業内で一生懸命考えて作られた麺の方がおいしい、ということは多々あります。

人間だって、ゼロから作るより、すでにある程度出来上がった既製品を使った方が効率がいいです。特に、有名大学の卒業生などは一定の品質が保証されていてお買い得です。面白い人間、有能な人間を発掘したいなら、探してきた方が絶対にいいです。

小麦作りならまだ何度か試行錯誤できます。でも、子育ては正直一発勝負です。兄弟が何人かいたってPDCAは回せません。つまり20歳まで育てた上で、ああここは反省点だったなぁ、と思って0歳児からもう一度育てなおす機会はほぼ無いのです(おばあちゃんになって孫の子育てに口出すのはマジ勘弁な)。こんなに面倒な子育てなのに、一発勝負ですよ? ゲームバランス悪すぎですよ?

一発勝負だから個体値厳選もできません。途中で能力値の振り分けをミスったと気付いてもやり直せません。嫌になってゲームを投げ出すと逮捕されます。そして失敗した自分の出来損ないみたいなのが作品として世の中に晒されるんです。親の顔が見てみたいとか言わないで。そんな子育てを後悔なくやり抜くなんて無理だと思いませんか。

そんな中、これだけやっておけば大丈夫、って攻略本があったら、みんなすがりますよ。もはや攻略本にどんな嘘が書いてあったって、それを信じたほうが楽なんです。儀礼に興じて沸騰していた方が、<わたしたち>は仲間だから、安心できるんです。

世界で一番大切な娘へ

子作りは本能で、子育ては儀礼。
でも、それでも、それは私が自分で選んだ道だ。
ラーメンを小麦から作ろうと思った理由はなんだ? 世界一売り上げの大きなラーメン屋が作りたかったのか? 違うだろう。自分が求める最高の一杯を再現したかっただけだろう?

私は、就活レースに勝てる優秀な競走馬を育てたいわけではない。ただ、愛する妻との間に生まれた最愛の娘が、ずっと笑顔でいてくれたらいいな、と思って子育てをしていたはずだ。

そのことは、すぐ忘れてしまう。日常生活は儀礼に満ちていて、すぐに本質を見失う。塾のテストの点数に一喜一憂し、毎日の勉強時間がしっかり確保されることを目標にしてしまう。そうやって沸騰している方が分かりやすくて楽だから。

でも、私は儀礼で子育てをしたくない。ちゃんと娘と向き合って、娘にとって最良の親になれるように、努力したい。それだけです。

(でも、やっぱり失敗するのは怖いんだよなぁ)

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