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資本論 4. 資本とは何か

これまで商品とは何か、貨幣とは何かを見てきましたが、ついに第四章では資本とは何かについて考えます。資本論の本質に切り込んでいく感じがしますね。

剰余価値とは何か

これまで商品流通というのは、自分の持っている商品を、貨幣を介して別の商品と交換するものでした。しかし、貨幣という直接的交換可能性を貯蓄したいという欲求が高まると、貨幣を増やすために商品を購入する、という逆の行動が発生します。投資とか転売みたいなやつですね。

本来、売買というのは同じ価値のもの同士を交換することなので、いくら売買を繰り返しても価値が増えることはありません。でも現実には、買値より売値が高くて利益が生じる、剰余価値が発生しています。不思議ですね。

この矛盾に対して筆者は以下のように述べています。

ここがロドスだ、ここで跳べ!

はぁ? 意味を調べたところ、イソップ寓話由来の故事成語で「妄想を語ってないで今すぐここで証明してみせろ、実行してみせろ」みたいな意味らしいです。いや、それはこっちのセリフだよ。

結論からいうと、この剰余価値というのが「労働」から発生しているようです。ということで一足先に第五章の労働について見ていきます。

労働とは何か

労働というのは、マルクスの定義によると「人間が自然との物質代謝を自分自身の行為によって媒介し、規制し、制御する一過程」だそうです。

大前提として、人間も自然の一部なので、人間の活動というのは他の生物の活動と同じく自然なものです。クモが巣を張るのも、ハチが巣を作るのも、自然の活動であって労働ではありません。

では労働というのは何がポイントなのか。それは、作るものを意識的に決められること、だそうです。ただ本能的に巣を作るのではなく、こういう構想のものとでこれを作ろうと考えてから制作に着手できること。それが人間ならではの知的行為であり、労働と呼ばれる行為の本質なのだそうです。

労働が生み出す剰余価値

さて、ついに商品流通から剰余価値が生み出される本質に迫ります。

まず、労働者を24時間生かしておくためには6時間必要だそうです。食事や睡眠など、労働者のメンテナンスのための時間ですね(ちょっと短い気がしますけど)。そのため、労働力の交換価値は時給6時間分です。労働者には6時間分の賃金を払えばいいわけです。

しかし、労働者は6時間のメンテナンスをすれば、その後12時間働かせることができます。雇用主は時給12時間分の交換価値のある商品を作ることができます。こうやって差分の6時間が剰余価値として発生するのです!!!

やったね!!! 人間を雇って働かせれば剰余価値がいっぱい発生して儲かるぞ!!! これこそが資本主義!!!

労働と奴隷の違い

なんか今の基準で考えるとずいぶん酷い話に思えます。でも、これでも当時としては十分優しい立場だったようです。

もし労働者自身が商品であったならば、その労働者が売買される=奴隷としてこき使われるだけです。しかしここでは、労働者が「労働力」という商品を所有していて、この労働力を販売していると考えています。だから、労働力の維持費用として時給6時間分を毎日支払ってあげてるのです。労働者は自分の所有物(労働力)を自分の意志で売買している、これはごく普通の商品流通の形態です。

この労働力の価値は、歴史的かつ社会慣行的な要素を含んでいるとマルクスは述べています。12時間働かせたなら12時間分の給料を払えよ、って思いますけど、当時は、生きていくために必要な最低賃金さえ払えばいいという搾取的な構造がまかり通っていたようです。

最大多数の最大幸福

こうした労働力の売買が行われているのは「人権の真の楽園」だと考えられていました。この楽園を支配しているのは「自由、平等、所有、そしてベンサム」だと言います。

自由:自分の自由な意思で労働力の売買ができる!
平等:労働力とその等価物である賃金を平等に交換している!
所有:自分の所有する労働力を提供し、賃金を所有することができる! 荘園を与えられたけど結局それは領主の管理下だ、みたいなややこしい所有権は考えなくていい!
ベンサム:これは功利主義のことだそうです。自由、平等、所有のものとで個々人が私的利益を追求することにより、結果として全体の利益が最大化する「最大利益の最大幸福」なのです!

資本主義社会の労働は、みんなハッピー!

でも、本当にそうでしょうか。マルクスはこんなの幻想にすぎない、雇用主は意味ありげにほくそ笑み、労働者はおずおずと渋りがちに、まるで自分の皮を売ってしまって革になめされる以外に望みがない人のようになっていく、と記しています。この話は、次章へと続きます。

資本とは何か

以上から、資本とは何かをまとめます。資本とは「自己増殖する価値」だそうです。貨幣を使って剰余価値を生みだして、どんどん自己増殖するもの。そうやって際限なく、無限に増えることだけを目標として市場を流通し続けるのが資本だそうです。

資本家というのは、そういう飽くなき欲求で貨幣を増やし続ける人です。もし、貨幣を投資せず、ただひたすら貯蓄だけして満足している人がいるとしたら、それは狂気の沙汰と呼べるでしょう。投資した資本は、労働力となって必ず100%絶対に剰余価値を生みだすんですよ!? なんで投資しないんですか!?

感想

複雑労働では技術習得のためのトレーニング期間も労働時間に加味するという話がありました。だから人間の労働力は、成人するまでの教育などの時間も加味すべきだと思います。

でも、平均的な勉強量を規定するのは難しく、要領よくたくさん学んだ人と、遊んでばかりでほとんど学ばなかった人の差が激しくて、なかなか教育の交換価値を定義するのも難しいんだろうな、というのは分かります。

その辺を全部無視して、人間ってもともと奴隷として使ってた無料の道具みたいなもんだ、という社会的慣習がベースにあったりすると、人件費ってめちゃくちゃ歪んだ世界観の中で適当に定められてるんだなぁ、と実感しました。おしまい。

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