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経験と教育:第一回読書会

7/25(月)に行われた読書会のレポートです。今回の本はジョン・デューイ「経験と教育」の第一章です。私の感想は以下にまとめてあります。

ちなみに読書会のメンバーは昔から教育について考えて活動してきた方々ばかりなので、私のような新参者とは違って蓄積している経験が豊富です。いろいろと教わることがありました。ありがたいことです。

歴史的背景

本書では「進歩主義教育」と呼ばれる経験を重視した教育が最近もてはやされているけど、従来の伝統的教育の方がいいよね、みたいなことを述べています。これの時代背景から紹介してもらいました。

1910年台、第一次世界大戦に向けて軍国主義が広まりました。みんなが画一的に動く兵隊みたいになる方が強い時代です。
学問的には実証主義が広まっています。事実によって証明されたことを積み重ねる学問で、伝統的教育の基礎になっている感じです。

第一次世界大戦が終わると、それまでの体制への揺り返しとして構成主義が広まりました。これが経験を重視した教育です。これまでの画一的な教育から脱し、個性を大事にする、個人の経験に基づいた教育をしていこう、という機運が高まりました。

現代も似たような推移をたどっています。高度経済成長期は画一的な教育で誰もが社会の歯車となって働くことが求められていました。しかしバブル崩壊以降、今までのやり方では経済成長できなくなりました。そこで社会に革新をもたらすために、それまでとは違う、経験に基づいた教育が大事ではないかという風潮が強くなったのです。

やる気スイッチが入るとき

実際にどうすれば人間が意欲的に勉強するかを見ていくと、何らかのタイミングでやる気スイッチが入ったとき、と分かります。どれだけ教える側が教材を用意しても、スイッチが入っていない子は伸びません。

しかし、どこでスイッチが入るかも人それぞれで分かりません。いろんなものを用意して待つしかない。その子のなかで何かが引っかかって、何でだろう、知りたいな、となったときにタイミングよく用意した教材を渡すこと。それが一番成長を促します。

だからこそ構成主義的な、経験に基づいた教育が重要だと思うのです。経験のなかで得られた疑問、気づきを足掛かりにして勉強を深めていくのが一番効率的だからです。

評価が難しい

経験に基づいた教育、構成主義の課題は、客観的な評価が難しいことだそうです。伝統的な教育は積み上げ式なので、どれだけ時間を使えばどれだけ伸びる、みたいなのが客観的に分かりますが、構成主義ではどこまで伸びるかが事前には分かりません。スイッチが入らなければ伸びないままですし、それに対してどう対策するか、なども考えにくいです。

ただ、構成主義だからといって何も教えてはいけないわけではありません。結局は何かしらの経験となるインプットを提供する必要があるし、経験から効率よく吸収できるような心構えみたいなのを詰め込み的に教えるのも効果があるはずです。

詰め込まれ、こなすモード

伝統的な詰め込み教育になると、なかば思考停止状態でこなすモードに入ります。興味はないけど、とにかく終わらせる。こうした学習は決して効率は良くないですが、やればやるだけ積みあがっていきます。

こなすモードの学習は、スイッチが入った学習に比べると効率が悪いので良くないといえば良くないのですが、それでも詰め込まれた知識は確実に私たちの力になります。

たとえば子供のころにピアノをいやいや習わさせられて、こなすモードである程度弾けるようになったあと、大人になってからはじめてピアノの面白さに気付いた、という話がありました。大人になっていろいろと視野が広がったなかで、たまたまピアノに関するスイッチが入ったのでしょう。

でも、大人になってから楽しくピアノが弾けるようになったのは、間違いなく子供のころにたくさん下積み練習をしたからであって、楽譜を見ればさらっと弾けるくらいの実力があるからこそ、その先の表現の面白さと出会うことができたそうです。

だから構成主義の教育が大事だと思いつつも、伝統的な詰め込み教育を否定することもできない、という実感があります。

人類の叡智を詰め込む

伝統的な詰め込み教育は、圧倒的に効率がいいのです。人々が試行錯誤の末に見出した効率のよい学習体形。こういう順番で身に着けていけば最短で最大の知識を吸収できる、という知見の集大成です。これを個人の経験に基づいて学習させると、やる気は高いかもしれませんが、試行錯誤の繰り返しで最終的な到達点が低くなってしまうかもしれません。

その試行錯誤の中から様々な経験を通して学ぶこともあるので、それはそれで大切な時間ですが、たとえばピアノの例であれば「こういう練習の仕方が一番効率いいんだ!」みたいなことを経験を通して気付いたとして、その結果が「バイエルを一から順にやる」だったりするわけです。

最高に美味しいチョコレートを作るんだ、と意気込んでカカオ豆の厳選からはじめて、様々な調合を試した結果たどり着いた最高のチョコレートがmeijiミルクチョコレートだった、みたいな話は昔からあります。

その経験もとても大切です。そうやって自分でやることでしか学べないこともたくさんあります。一方で、人類の叡智を、興味がなくても詰め込んでおくことは、それはそれで非常に有用なのです。

自分のスイッチを入れろ

読書会では、どうやったら自分のやる気スイッチを入れることができるのか、というのが話の焦点になりました。

知的好奇心が大事だよね、という意見もありましたが、それは好奇心があるかないかの結果であって、解決になりません。むしろ「自分は好奇心がないから無理です」など、やらない理由になってしまいます。

自己決定感が大事だよね、という意見もありました。自分の未来は自分で作る、みたいな意識があれば、本来はあらゆる事象・経験から学ぶことができるはずです。それができない人は、自分の未来を固定的に考えていて、どうせ自分はこんな人生になるだろう、だからこんなこと学んでも役に立たない、みたいな判断になってしまうのではないでしょうか。

大人になると、自分の立場、社会的背景とかを考えて、自分の欲求に蓋をしてしまう人も多いです。仕事でこれをやらなきゃいけないから、今は遊んでる場合じゃないんだ、時間がないから本当はこれをやりたいけど後回しにしよう、そうした判断が無限に積み重なっていくうちに、自分の本当の気持ちすら分からなくなっているのかもしれません。

でも、いまは多様性と革新が求められる時代です。社会的に求められる伝統的な教育知識だけでは壁にぶつかって先に進めなくなっています。だからこそ自分の欲求に沿った、やる気スイッチの入った構成主義的な学習を通して新しい知見を身に着けることが、長い目でみたときには一番重要になります。

だから、効率なんて気にしないで、回り道でもいいから自分の経験を大事にしましょう。おそらく皆さんは、すでにたくさん伝統的に知識を詰め込んできた方々ですので、これ以上の効率はいらないんです。ここからは、おおいに遊んで、無駄なことをやって、そして新しい気付きを手に入れてください。

そんな話をしました。

次回の読書会は8/11(木)夜、第2章・第3章あたりを中心に話す予定です。

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