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伊予柑日記 スラムウェイの経典(2023版)

(※これは2023年7月のログです)


「健康、風水、ともだち」

スラムは、より自然に生きるために、健康、風水、ともだちという3つを大切にします。

健康とは、自分の身体が無理なく健やかなことです。具体的には安定したリズムの睡眠、1日1万歩程度のさんぽ、自分の身体特性の理解促進を行います。

風水とは、自分が無理なく過ごせる環境のことです。具体的には部屋掃除や洗濯、贈与による学校や職場人間関係の改善、5人組のような自然に健康になる儀礼への参加を行います。

ともだちとは、自分が無理なく過ごせる関係性のことです。これは、相互に本気を出した結果傷つけあうことも許されうる関係性のことです。具体的には、誕生日や結婚式など社会的なきっかけへの参加、バーなど新しいコミュニティへの参加、人間に誠実な関心を向けることなどを行います。

これらの振る舞いを無理のない範囲でゆっくりと行い、自然に相互がケアできるコミュニティがスラムです。

この経典の整理により、敵は「嫌なこと」であることが判明した。嫌なことぜんぶやめて、生きよう。

あなたの「聴く」は防衛的なハリネズミになっていませんか?

相手の話を聴ける人は、実は離婚率が高いです。

話が聞ける人というのは以下のような人です。
・相手がより自分自身のことを発見できるような聞き方ができる
・そのことで「わかってもらえた」感を感じてもらう聴き方ができる
自然にできる人だけでなく、心理カウンセラーやコーチ、心理面の研修講師など、こころについて学びとトレーニングを積んできた人も含まれます。

なぜ離婚率が高いかというと、相手の話を聴く、ということが、自分を明かすのを回避する手段になるからです。相手の話を探究的に聴こうとしていると、意識しようがしまいが、結果的に自分を明かす機会がなくなるリスクがあります。

ただ聴かれることは、相手からしたら決して安全ではありません。愛し合うパートナーや、そうなりたいと思う片思いの相手に対しては、こちらが自分の真実の気持ちを明かしていく必要があります。

離婚フローチャート

聞き手は「相手をコントロールできる」。コントロールできるからこそセラピーとしての心理療法が成立するんですよね。今回の想定している聞き手は「相手がより自分自身のことを発見できるような聞き方ができる」レベルなので、単なるともだちやケア的関係ではありません。

聞き手能力をパートナーに使うことは意識無意識にかかわらず相手を支配することになる。支配されるのが嫌な人は多いでしょう。

「人を美しくしてはいけません」と返答してましたけど、これはなぜですか?

「自分で気が付いた真実」みたいなものって固執しがちなので、そのように都合の良い真実が相手の中で再構築させるように仕向けるのは、洗脳の一種という考え方を推しています。

それと同じで、他人に介入して「私の悩み(or 人生)は美しいものだったんだ」という再構築を無理やりやってしまうのも、一種の洗脳のように思えます。

「人の相談に誠実に応えすぎてしまい、その人が何かを見出して、泣いてしまった」という状況は、まさに「再構築を無理やりやった」という状況に思えてならないので、自分は避けたいです。もうちょっと段階的に、楽しく晴れ晴れとした表情で気づいてほしいです。

そういう危険性を踏まえて「人を美しくしてはいけません」と発言しました。

人は泣いた程度では、美しくなった程度では、なかなか変わらないものです。さまざまなストレスに対する文献をみていても、死や失職といった大きなショックでも数ヶ月から半年で受け入れ、元に戻ります。それと同時にオウムやマルチのように本当に人生を変えてしまうこともあります。この差分を考えると「人はショックや言葉をうけても元に戻るが、人間関係は致命的な影響がある」ということです。

これを統合すると「美しくなった結果、人間関係が変わってしまうもの」は致命傷になることがあります。ぷろおごの前で泣いた程度では、割とすぐに忘れます。

私たちは主観的には逆ですよね。自分の心理的なショックは大きく評価し、人間関係は軽視します。ぷろおごのヒヤリングや、スラムが2年間くらいかけて古典からひもといてきたことは「健康や、環境や、仕組みや、習慣や、人間関係のような若者が軽視するやつほど、決定的に生活に影響がある」ということです。両親や学校がいってたことはだいたい正しかった! というアホみたいな事実にたどり着いています。

「あるものは、ある」「ないものは、ない」という態度を持つこと

議論とは「自分のスタンスをもって自分の思ったことを話すこと」です。「私は、きのこよりたけのこである」「しかし私はたけのこである」というのがスタンスです。

スタンスをもつとぶつかります。きのこvsたけのこ。いまの日本では「スタンスをもたないこと」がマナーとされています。特定のスタンスに固執することは「相手に失礼」という道徳になっています。これは個人の価値観よりも群れの価値観を重視するということですね。それはそれでOKなのですが、「私は、きのこ派なんだよな」という想いはどうしてものこります。

最近学生と話していて「あるものは、あるんだよ」ということを説いたら、とてもひびきました。小泉進次郎です。「あるものは、ある」のです。あなたの寂しさや、怒りや、悲しさや、傷つきは、誰がなんと言おうと「あるものは、ある」。

そして、「ないものは、ない」のです。ダイソーでもう一度買いたかったものを店員に聞けばわかりまさが「そこになかったら、ないですね」ということです。

これは経験主義(経験したことしか信じない態度)かもしれません。経験主義は基本的には愚かです。私たちはコロナウイルスを見たことはないのですが伝聞で信じています。伝聞を信じないと世界では生きていけません。「ふぐの肝臓に毒があるとか噂っしょ!」といって食べた人間は全員死にました。人の話を聞け。

世界にまつわることは、人の話を聞いた方がいいと思います。お母さんと先生はだいたい正しい。でも、自分にまつわることは「あるものは、ある」「ないものは、ない」という態度を持つことが大事なのではないかと、最近思っています。

「あるものは、ある」ことを認めると、世界が崩壊して、泣く人がいます。「ないものは、ない」と認めない呪われた人がいます。わりと解呪の魔法として安全かなと思ってます。小泉進次郎の顔を浮かべながら、「わたし」「あなた」については「そうですね、あるものはあるんじゃないですかね…」と呟きましょう。

「あるものは、ある」は外の世界に使ってしまうと、正論という暴力になりがちですね。「私がいまの職場の人間関係から傷ついている」ことを「あるものは、ある」と自分で認めることは大事ですが、それを他者から突きつけられると、正論という暴力ですね。だから、「人を美しくする」は暴力である。

追記(2023年11月)美しい日

メインのビジョン「月に一回美しい日を作る」
美しい日はちょっと頑張ってやってみたいことをやった日、思い出に残る日のようなかんじ。

具体的にやること:現状のスラムのデフォチャンネルの参加型チャンネルを減らして、連載チャンネルを増やす。

  • 現状の個人チャンネルとは別にデフォチャンネルに連載としての個人チャンネルを作る

  • 連載期間は3ヶ月か本人がやめたら終了

  • 連載者選びは自薦他薦問わない

  • 来月10チャンネルからスタート、今後三ヶ月で5チャンネルずつ増やし、最大20チャンネルを入れ替えていく(来月から10→15→20→最初の10を入れ替え)

  • 連載の内容量は3日に1ツイートほど。一ヶ月でA4用紙2枚分くらいになればいい。(#minimetroくらい)長い分にはOK。

  • チャンネル選びとチャンネル名、コンセプトは編集者(今は伊予柑さん)が編集する

  • テーマは広いより狭いほうがよくて、スラム歴に関係なく読みやすいもので、他の人を新しい行為にいざなうものがいい(〇〇本読んでみた、ねんど、かぎ針編み、コーヒー、お弁当、お散歩など)

面白い連載が3つあると人はジャンプを買う。新人さんが読みたいと思う連載を3つ作って定着してもらうのがサブビジョン。リプをしても良い雑誌をつくる。連載の終わりに連載の内容でオフ会などをやって友達を作る。

(-)行きづらさ → 健康 → 美しい日(+)

わりとこのマイナス部分に注目する議論がこれまでのスラムでは多かったが、今後のスラムでは「健康を得た人」が「美しい日」を月に1度得られるようにしたいんだろうなあ

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