見出し画像

People Powered 特別対談レポート

これまで何度か紹介してきた「People Powered」について、私のまとめ一覧を以下に置いておきます。

本書の内容についていろいろと問いをたててきましたが、それらの問いをぶつけるべく、訳者である高須さん、山形さんを招いた特別対談が開かれました。太っ腹なことに対談の様子は全編公開されているので、詳しく知りたい方は以下をご参照ください。

このnoteでは全体概要と、個人的に気になったところのピックアップをしていきたいと思います。

どんな本なの?

コミュニティ開発についての本。日本では学校や地域コミュニティのようにメンバーが変えられないコミュニティが多いですが、本書で対象としているのはメンバーが自由に入れ替わることのできる開発者コミュニティのようなものです。
コミュニティは素晴らしい成果を生みますが、その運営はとてもとてもとてもとても大変だ、ということを訴えています。最近は安易に「コミュニティ作ろう」って言われがちですが、そんなに甘くないですよ、と。マンガ好きの集まるコミュニティを作っておけばみんなが勝手に二次創作をつくってくれると思った? そんなわけないでしょ、ちゃんと設計しましょう、と。
コミュニティ運営の中でも、人間の心がいちばん大事。メンバー一人ひとりときちんと向き合って対応をしましょう、ということが書かれている本。

対談する人は?

高須さん

世界中の発明コミュニティで名前が知られている人。世界37都市120開催の発明フェスタに参加して、面白いものを見つけることが好き。
まだ日本では知られていない面白い部品を、いちはやく外国から輸入して紹介すると儲かる。
今は中国のシンセンにいるけれど、ここでは新しい部品がどんどん生まれてきてとても面白い。そんな中、People Poweredの本のことを聞いて、これは日本にも取り入れるべき考え方だと思ったのに誰も翻訳していなかったから、あまり得意ではないけれど1年くらい頑張って翻訳したとのこと。

山形さん

都市計画をやっていた。シンセンはかつて何もない原野だった。建物がぽつんぽつんとできたけど、とてもうまくいくわけないと思っていたら、一気に栄えた。
同時期、フリーソフトってどうしてできたのか、「伽藍とバザール」を翻訳して説明していたら、経済の発展、コミュニティの誕生、といったものがつながって、まさにシンセンに結実していた。
経済学の翻訳・評論の大家で、高須さんに協力して2週間でPeople Poweredを完訳したとのこと。
People Poweredはコミュニティにルールができていく経験にもとづいて書かれている。訳者だからといって、本に書いてあることに完全に同意できているわけではない、というアンビバレントな感情はある。

プロ奢ラレヤーさん

Twitterなどでいろいろな人間とからんで、人の金で生活できている25歳。巨乳の人から2万円をおごられてお寿司をおごられる、などのパフォーマンスアーティストをするサービス業者。毎月60~90人に奢られるということが価値になっている新しい存在。コアラみたいなもので、コアラしか食べられない餌を食べているから生存できている。

ゆーさん

タイの北部に住む狩猟採集民ムラブリを研究している言語学者。かつては大学教員だったけれど、今は独立研究者として活動中。
ムラブリに組織はない。人が集まってはいるけれど、そこにあるルールは必要最低限。定住型ではない民族だから、成長を前提とした資本主義の熱い社会とは違う感覚がありそう。
ムラブリには上昇志向がないけれど、絶望もしていない。遠くへ行かなくてもいい、サステナブルな冷たい社会。そういう存在に希望を見出そうとしている。

伊予柑さん

今回の対談のファシリテーター。ドワンゴの人。インターネットコンテンツを面白くしたいから、いろんな人を焚きつけて、変なものを世の中に増やそうとしている参謀ポジション。コミュニティ運営に長けている。

コミュニティ運営ってどうすればいいの?

この本は、製品を愛するお客さんを相応に大事にしよう、こっそりエコひいきしよう、と書いてある。やりたいからやるんだ、という人がやった方が、お金もらってやってる人よりも良いパフォーマンス出せる。その人たちをうまくデザインするにはどうすればいいか。
お客様を平等に扱おうという日本の倫理観、企業倫理と反しやすい。コンプライアンスがきつくて難しい、エコひいきしてくれない。だからコミュニティがうまくいかない。
人の気持ちを考えるのは大事。好きなものに好きって言うこと。

お金をはらって人を雇う方法はみんな知っている。優秀な人をどう雇うかは知られている。でもそうじゃない方法は、まだよく分からない。お金を持っている人もいない人も、いい人と仕事したい。無料のボランティアの方がいい人が集まることもある。
なぜオープンソースでコード書くかというと、自分が直したいから。ボランティアじゃない。概ね合ってるけどここは間違ってるから直したい、すごい細かいところなら俺の方が正しい、ということがある。だからオープンソースの方がよくなる。

お金ください、が下手になるとコミュニティは失敗する。みんな、きれいごとを言いがち。本当は商品を売りたいだけなのに、日本を良くしたいとか言うからうまくいかない。エゴが見えると、冷める瞬間がある。
でも、商品を売りたいと言っても買ってくれない。みなさんの役に立ちますと言わないといけない。売りたいけど売ろうとしてないっぽくふるまうのが大事、みたいなことが書いてあるスケベな本。

遠くへ行かなきゃいけないの?

Q. この本って、どこまで後付けの生存者バイアスなの? 最初にやるべきことって何なの? コミュニティの初期、ゼロに近い状態から、この本に載っているハウツーを行使できるようになるまでの間はどうすればいいの?

まず、他人と一緒にやりたいことを設定する。
自分にやりたいことがあっても、一人でずっと続けるのはむずかしい。サステナブルなのは友達と一緒にやること。みんなで行くなら遠くがオススメ。自分のやりたいことをみんなと一緒にやるなら、目標を遠くにおいたほうが長く深く楽しむことができる。遠くじゃないと集まる理由がなくなる。
Make America Great Againとか言っておけば勝手に広がる。

本当に遠くへ行ける人は少ない。スキルや能力があって重宝される。
多くの人は弱い。遠くへ行けない人たちが集まってくる。
コミュニティは、あるところまで大きくなると、別に遠くに行くのが目的じゃなくて、ただ大きなコミュニティで帰属意識がほしいだけの人が増えてくる。いい製品を作りたいのではなく、ただ大企業で安定して働きたい、ちょうどいい仕事がしたい、みたいな人。
ちょうどいい仕事のつくり方、大きな仕事の切り分け方、みたいなのが本書の後半に細かく書かれている。

終身雇用はカルトなの?

コミュニティから抜けられないようにするのがカルト。だから終身雇用の大企業もカルトっぽいし、結婚もカルトだし、この本でもコアメンバーに役割を与えて抜けられないようにするのがいいと言っている。自分に役割を与えてくれるものはカルトっぽい。
カルト度がゼロになると、幸せではない。Tinderは相手との信頼関係がまったく作れないので、誰も幸せになれない。東京もメタバースみたいな世界で非常に無機質だから寂しい。田舎で人間関係が強すぎて監視社会みたいになっている方が、カルト度は高いけど幸せなのかもしれない。
いかにバレないように抜けられなくするか、カルト度80%くらいのギリギリを狙うのがいちばんいい。

これからの若者はどうすればいいの?

People Poweredというのは、勢いがついた人、エンパワーされた人のこと。いかにして勢いがつく状態を維持するか。それがコミュニティ運営には大事なこと。
たとえば「試合に勝ったら勢いがつく」という状態だと、もし試合に負けたら勢いがつかない。でも「ボールを蹴ってるだけで楽しい」みたいな状態だと、勝っても勝たなくても勢いがつく。そういう「やってるだけで楽しい」みたいのをゴールにしたコミュニティの方が強い。

マイナーなテーマ見つけられると強い。やっているだけで楽しくなれる。
学生はコミケ行くのがおすすめ。こんなので面白がれる人がいるんだ、と驚くようなテーマがいっぱいある。2000年代初頭のインターネットはまさにそんな感じだった。いろんなコミュニティを見るのがいい。
もっとコアなのは、文学フリマ。変な人がいっぱいで、変すぎて、こうはなりたくない、というのも見られる。

分野が大きくなると、勉強できる人、強い人が勝ってしまう。起業する人が少ないころは変な人が勝っていたけど、今はベンチャー界隈も人が増えたので、なんでもできる人が強い。東大発ベンチャーみたいなのが勝つ時代になってしまった。
まだ誰も来ない、変な人しか来ない、マイナーな場所を見つけるのがいい。

弱い人はどうすればいいの?

弱い人は、弱いから遠くに行けない、じゃない。
弱い人にとっては、近場でもじゅうぶんに遠い。近場のくらがりに行って、チャレンジして、帰ってくる。それを繰り返そう。

弱い人の意見

弱い人たちは、失敗することをとても恐れています。強い人からすれば、別にそんなの失敗に入らないよ、気にすることないよ、って感じることですら怖くて、チャレンジができません。

くらがりチャレンジする、越境する、依存先を増やすことで視野が広がれば、だんだん失敗への許容度も上がるのでしょうけれど、最初はなかなかその一歩が踏み出せないようです。

まぁ、そんな弱い人の世話までしてられないよ、って意見もあるし、そこは個人で頑張るしかないのかもしれないですけど。弱い人の集まるコミュニティでは、そうしたチャレンジがしやすい導線、失敗したときのフォロー体制みたいなのが整ってるといいのかもしれませんね。

私の感想

一人でも十分楽しめる環境、一人遊びが得意な人のことを、一人カルトって言ってましたが、自分もそんな感じあるなぁ、と思いました。もちろんみんなで一緒の方が遠くまで行けて楽しそうではあるんですが、自分一人でも別にまだまだ全然困らないくらいやりたいことがあって、他人を巻き込もうという動機が弱い。

でも、そうやって大人になると、本当は他人を巻き込んだ方がいいシーンに来ても「これは私一人で乗り越えるべき大きな壁だ、頑張るぞ」という思考に偏りがちで。まぁそうやって一人で死んでいくなら別にそれでも全然問題ないんですけど、結局限界まできて無理ー、死にたくないー、みたいになるとちょっとみじめですよね、そうならないように気をつけないといけませんね、という自戒を感じました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?