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子供の質問に答えるということ

子育ての話題でよく出てくる、子供の「なんで?」にどこまで付き合うかという問題。とにかく子供はいろんな質問をしてくる。どうでもいい分かりきった質問から、全く考えたことのないような根源的な質問まで、玉石混交で多種多様な質問が飛んでくる。

一般には、そういうのを誤魔化したり茶化したりせず、しっかりと受け答えしてあげるのがいいと言われている。私はそう聞いていたし、実際にそう思うので、いつも真摯に受け答えしてきた。

その結果。

Googleは、人の好奇心を奪ったのだろうか。世の中から分からないことがなくなり、ググればほとんどのことは分かるようになった。常に自分とは無知な存在であり、いくら努力しても世の中には越えようのない偉人・超人が存在することが明白になった。分からないことはググって解決できるのだから、自分で考える必要はなくなりつつある。

長女は、そのような雰囲気で、分からないことは何でも私に質問して解決すればいいと思っているような気がする。自分で深く考えない。覚えようとしない。記憶する気がない。何度も同じ間違いをして、それで困った様子がない。これで良かったのだろうか?

一方、次女の質問は、うっとうしいのでいつも邪険にしていた。同じことを何度も聞くし、そもそも事実誤認、勘違い、思い込みなどが多くて質問が質問になっていないことも多いし、何を聞きたいかも分からない。次女も、分からないことを知りたくて質問しているのではなく、ただ気を引きたくて、会話のネタとして適当な質問をひねり出しているだけで、解答に興味があるわけではない。そんな質問に答えるだけ面倒だった。

その結果、次女は、自分でいろんなことを覚えて、考えて、応用して、知識をどんどん吸収するようになった。圧倒的に、頭の回転が速い。こいつは賢い、と感じる。

何が正解だったのか

私だって、学校の宿題とかを聞かれて答えを教えるようなことはしない。問題には向き合って欲しいし、常に考えることが大事だということを訴えてきた。勉強とは知識を積み重ねることではなく、その先の、まだ人類が解決できていない課題に対して適切な問いを設定して、それを自ら解決していく、その手段を身につけることだと言っている。

それでも、長女にとっては、分からないことはお父さんが解決してくれるのであって、大人になれば自分もそうやって解決できるようになるんだろう、くらいの非常に低い解像度で生きている。そうなるための努力が足りていない。または必要性を感じていない。

これは、ひとえに、私が優秀すぎてなんでも答えてしまった結果、娘の学習意欲を削いでしまったんだと思っている。次女くらい適当に、ぞんざいに扱った方が、子供は自立して成長する。それはその通りだと思うけれど、でもすでに10歳になってしまった長女に対して、私はどうすればよいのだろうか。

モチベーションとは

分からないことを丁寧に説明して理解させることはできる。でも、そもそも分からないことを分かりたいと思うモチベーションを与えることは、とても難しい。

次女からは、お姉ちゃんに負けない、という強い意志を感じる。これは3年のハンデを背負って戦っているのだから、とても高いハードルを自分に課している。すごく成長する。

一方、長女からは、妹に負けない、という意志を感じる。目標が3歳下だから、ほとんど何も勉強を頑張るモチベーションにならない。ちょっと学校で習ったことを言うだけで妹へはマウントが取れる。そんな意味のない優越感で満足していたら、気付いた時には手遅れになる。

私は会社でも部下の育成とかしたことがないので、教育とか何が正しいのか全然分からないけど、明らかに、長女の現状は、失敗に近いと感じる。もうどうしようもないけど、子育てって難しい。

次女が受験戦争とか頑張ればいいところに行けそうなのはまぁいいとして、やっぱり将来的に困るのは長女だ。このままだと本当に頑張らない子になってしまう。だから、せめて長女こそ、受験してそこそこ勉強する子の集団の中で中高生活を送るようにしないと、ただひたすら甘えてだらけてしまうと思う。だから、向いてないけど、長女の方にこそ、なんとか勉強の習慣を身につけて、その意義を理解してもらえるように頑張りたいと、私は思っている。

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