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資本論 1-3. 貨幣とは何か

前回、資本論の商品について説明した中で省いてしまった貨幣の話を補足します。

本当は、自分の行った私的労働による生産物に対して交換価値を提示し、それを社会的分業として他人と商品交換するとき、はじめて生産物は商品になるはずです。

ここの詳しい解説になります。

リンネルと上着の交換

第一章 第三節「価値交換または交換価値」P66~112において、ずーっとリンネルと上着を交換する話が続きます。リンネルとは亜麻布という布のことらしい。リネンとも呼ばれる。

手元にリンネルがいっぱいあるから、これを上着と交換したい。お金がない時代であれば当然、物々交換しかありません。20エレ(約8m?)のリンネルと上着1着を交換したい、と値札に書いたとき、リンネルという布は初めて価値が表現されたことになります。

あらゆるものは、自分から値札を書いて、これと交換したいと宣言しない限り、その価値が分かりません。しかも、相手の持っているものと、都度、1対1で交換価値を表現しなければいけないから、物々交換は大変です。

でも、リンネルと交換したいと引き合いに出された上着はどうでしょう。上着自身は自分の価値を値札に書いていないのに、勝手に引き合いに出されて価値表現されています。筆者はこのように現物形態のまま価値を体現する存在のことを「価値体」と呼んでいます。

この価値体は、ふつうの商品のように物々交換に値するモノとしての価値を持っているだけでなく、ただ存在するだけで交換力を直接発揮する「直接的交換可能性」という特別な力を持っていると言えます。

現代風に言うと、ふつうの商品(おにぎり)と価値体(100円玉)があったとき、おにぎりは「100円玉1つ分です」と自らを価値表現する必要がある一方、100円玉は何も価値表現せずとも直接的交換の引き合いに出されて、交換力を発揮しているわけです。

こうして価値体となった上着は、上着の商品価値のおかげでリンネルと交換できたのか、もともと直接的交換可能性を持っていたから交換されたのか、区別がつかなくなってきます。いろんな人が、お米と上着を交換したり、香辛料と上着を交換したりしていくと、だんだん、上着とは元からそういう特別な力をもった存在だったと誤認するようになります。

気が付けば、上着は様々な商品との交換価値を統一的に示すようになります。このように直接的交換可能性という特別な力を独占し、どんなものとでも交換できる一般的等価物となったものが貨幣です。

このような価値形態は人間が人為的に作り上げたものではなく、いわば商品の内的本性にしたがって無自覚のうちに生み出したものなのです。だから私たちは、市場経済、好景気や不景気は制御できない自然現象かのように感じるのですね。

上着はすごくない

余談ですが、上着を作るための裁縫労働は、私的労働であるにも関わらず、その生産物が必ず直接的交換可能性を持っているため無駄になることなく社会の役に立つことになります。裁縫という労働は、抽象的人間的労働を代表するものとなります。すごいですね。

でも、だからなんだってわけでもありません。結局、それはただの私的労働です。国立造幣局で働いている人が特別視されるわけではありません。便利だけど、すごくない。

上着がすごくないのと同様に、お金も別にすごくないんだと思います。ただ便利なものとして選ばれただけです。上着さえあれば人生勝ち組で幸せになれるなんて思わないでしょう。みんな、そういう夢を見ているんだと思います。

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