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無意識のバイアス II 自らをどう見出だすか

ゆっくりですが読み進めています。今回は第3章から第7章まで、実際にアメリカでどのような黒人差別が行われているか、その実例を見ながらバイアスについて考えていきます。

前回のnoteで、バイアスはバイアスと気が付くことが大事で、たくさんのバイアスをコレクションして世の中をフラットに見られるようになりましょうね、みたいなのんきなことを書いていました。しかし、黒人差別の例を読んでいくと、本書で扱っているバイアスというのはもっと根深いもののようです。

たとえばゴキブリをみたら気持ち悪いと思うとか、入れ墨している人を見たら怖いと思うとか、そういった反射的な感覚。頭で何かを考えるより先に、本能的に感じるもの。それが社会全体によって深く刷り込まれていて、条件反射のように感じてしまうもの。黒人差別は、それくらい人間の中に強く居ついているようです。

黒人は危険だ、ということを常にアメリカ社会全体が共通認識として持っているせいで、この環境下にやって来ると、すぐそうした価値観に馴染んでしまうようです。黒人の警察官でさえ、街中で白人と黒人を見たら黒人の方が危険だと無意識に思ってしまう、というのです。裁判をすれば黒人の方が有罪になったり重い刑を課せられる確率が必ず高くなります。刑務所の中は圧倒的に黒人の方が多いそうです。

感想

本章は現状把握だけなので解決策はまだ分からないですが、私がいま考えられるのは「一刻も早くその群れから立ち去る」ことしかないと思います。アメリカが黒人に厳しい社会だとしたら、それを変えるのは限りなく不可能なので、黒人が馴染みやすい別の環境に移動する方が早くて確実です。

たとえば自分の所属する会社とか宗教団体がすごく偏った差別的思想を持っていて、周りの人がみんな偏見まみれだったらどうでしょう。早く逃げないと、取り込まれて染まってしまいます。時代錯誤な差別的発言をする経営者、政治家が後を絶たなかったり、過激な宗教活動をする団体がなくならないのは、その群れの中で偏見が維持・増幅されるからです。

SNSでつながるコミュニティなんかも、自分と同じ価値観で集まりやすく、偏見が増幅しやすいです。フェミニストが男性を攻撃し続けるのも、そのような価値観の集団の中ではごく自然なことです。

それと同じことが、アメリカという大きな国家単位で行われているのかと思うと、それは途方もない話です。でも、世界にはアメリカ以外にもたくさんの国があります。まだ逃げ場はあります。

もし地球規模の偏見があったら逃げられないですけど。それは、自然淘汰という形で歴史によって正当化されるんでしょうね。結局世の中は弱肉強食、勝ち残った者が偉いんです。そう考えると、偏見を偏見と定義できる理性はすごいですね。

奴隷貿易されていた時代であれば、黒人の人権を認めないのは偏見でも差別でもなく普通のことだったはずです。家畜が食肉として美味しく食べられてるようなものです。そこから一歩進んで、黒人も白人もみんな人間なんだから平等にしようという発想に至ったことの方がむしろ不思議で、どんな歴史があったのかなぁ、と思ったりしました。男女平等もそうですけど、世の中がどんどんフラットになっているのは不思議です。

私はあまり歴史に詳しくないので、あまり深追いせずこの辺で感想は終わりにして先に進もうと思います。

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