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美術館はデートには最悪に不向き。そこで相性を測ろうなんて愚の骨頂である

先日、米サイトの翻訳記事を読んだ。タイトルは「初デートの場所は美術館をおすすめする理由」。ある男性への気持ちが盛り上がった筆者は、近現代アートのコレクションで有名なニューヨークのグッゲンハイム美術館をデート場所に選んだ。

その結果、2人は別れた。筆者いわく「2人の美術鑑賞スタイルは、お互いが根本的に相容れないことを示していた」。彼女には「ゴミばかり積み上げた作品」としか思えないものを、彼は「とりつかれたように観る」「不愉快な人」と映ったという。(氏家英男

※この記事は2019年5月25日、ひとりを楽しむメディア「DANRO」で公開されました。

美術館はひとりで行くところだ

靉光「眼のある風景」(1938年)

しかし文章を読み返すと、真の問題は「お互いの出す合図に応えていない」点だったようだ。彼女が退屈している様子を察知して、気を利かせて一緒に早く出てほしかった、ということである。

実際に同じ場面に遭遇したら、彼女と同じ感想を持つ人は多いだろう。もちろん男性側に立てば「ゴミはないだろ」となるが、女性はこう反論するに違いない――これはデートであって、大事なのは相手(私)を思いやることでしょ?

彼女の提案は、いますぐ美術館にパートナーを連れて行き、自分に合う人かどうか見定めようというものだ。そこで目の前の作品に没頭せず、常に相手のことを最優先に考える人なら合格だ。

私は、美術館は「ひとりを楽しむ」ところと決めている。お気に入りは東京・北の丸公園の東京国立近代美術館だ。30年以上通うお目当ては、日本人画家による常設の所蔵品展である。個人的な記録に限り、スマホでの撮影もOKだ。

館外から有名作品を借りてくる企画展にはあまり入らず、同じ作品を何度も見ている。「また来ました」「しばらくですね」と挨拶したくなる関係だ。作品は変わらなくても、時とともにこちらの印象が変わるものもある。

作品はすべて傑作とは限らない

岸田劉生「道路と土手と塀(切通之写生)」(1915年)

2月の終わりの所蔵品展の冒頭に飾られていたのは、加山又造の「千羽鶴」(1970年)だった。黒と銀の背景に金色の鶴が群舞している。琳派を思わせる鮮やかな、寒い季節に合った美しい屏風絵だ。

それが5月には、安田靫彦の「黄瀬川陣」(1940/41年、重要文化財)に入れ替わっていた。源頼朝と義経が相対した場面を描く、六曲一双の大作である。張り詰めた空気とともに、兄弟の行く先を暗示した姿が描かれる。

人混み嫌いな私にとって、所蔵作品展がいつも空いているのは大きな魅力だ。作品とじっくり対峙しながら、会田誠の「紐育(ニューヨーク)空爆之図」って「千羽鶴」が下敷きだったのかも、なんて妄想を巡らすこともできる。

この美術館に飾られた作品は、国際的にはあまり知られていない。特に油絵はヨーロッパから画材や技術、手法まで輸入しており、本場から「猿真似」と辛口に揶揄されそうなものもある。

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