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すずめの戸締まりと死者の蘇り

すずめの戸締りを観てきた。筋書きは比較的シンプルだけど、テンポ良く話が進んで、単調すぎずきちんと面白いとくるもんだから、これまでの新海監督作品とはまた全然違う印象で、純粋に凄いなーと思いながら観ていた。

ただ、一点だけ。死者が、草太が蘇ることにどうしても違和感をおぼえてしまった。
要石となった彼は扉の向こう側の住人、つまり死者になったと認識してあの作品を観ていたので、すずめと一緒に草太が扉から帰ってくるのは「死者の蘇り」のように思えた。

死んでしまった人が何かしらの形で生者の前に現れるのは、ハリー・ポッターでハリーが両親の姿を見たり、ツバサクロニクルのニライカナイ編で本体と写身の小狼たちが再会したりとよく見かける描写ではあるが、結局それは、魂は同じでも身体を失っていたり、なんらかの理由で死者の魂が一時的に具現化していたりするだけで、そっくりそのまま元の状態に戻りましためでたしめでたしとはちょっと違う。
今回のすずめの戸締りは、生者と死者をわかつ扉の向こう側(いわゆる三途の川の向こう岸)から死んだ人を、身も心もそのままに連れ戻して、以前のような日常を再び送り始めることができました、めでたしめでたし。という筋書きになっているような印象を受けてしまった。

私はあの大震災の被災者ではないので、当事者の方がどう思われるのかは全くわからないが、扉の向こう側の住人になった多くの人々の中で草太だけが、身も心もそのままに還ってくるというのは、素直に喜んでいいものなのだろうか……と思ってしまった。
死なせたくなかった人を取り戻すことができたのは素直に喜ばしいことだと思うし、あのシーンは私も普通にボロボロ泣いた。
ただ、それなら……あそこで、草太をこちら側に連れ戻すことができたのなら、あの日の小すずめが死なせたくなかった人の命はなんだったのだろう、と思ってしまう。
小すずめがあちらの世界に迷い込んだとき、つばめさんには会うことすらできなかった。死者であるつばめさんと生者である幼いすずめの線引きは冷酷なくらいはっきりしている。
多くの人が亡くなった事実を下敷きにしているにも関わらず、ほとんど死者が登場しないからこそ、つばめさんと草太の違いはなんなのだろうかと、二人を対比させながら観てしまう。

分かりやすい結論が書けそうにないので、このあたりで締めようと思うが、ここまでつらつら書いてきて、私は三途の川のような死者と生者の境界線というモチーフが相当好きなのだな……と再認識した……。(別記事でも三途の川考察をやった前科があるので余計。)
おそらく、三途の川を渡ることの不可逆性や、三途の川を渡る前後でその人は必ず何かが変わること、こちら側から川の向こう岸に手出しができない聖域のような側面に、魅力を感じるしその文脈で作品鑑賞したくなるのだろう……。

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