平成の終り

 平成の終りと迎えるとともに村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を読み終えることが出来たのは何かの縁なのだろうか。わからない。


 平成の終りを迎える前に世の中では色々なことが起こった。ノートルダム大聖堂が燃えたり、ピエール瀧が覚醒剤で捕まったりだ。当然、天皇陛下も退位なされた。


 それはともかくとして、平成が終る。だからと言って、今日が明日になることに何ら変わらない。僕が生まれてから過ごしてきた平成の間において、一日が24:00きっかりに更新されていくのと同じように、令和の時代にも一日が24:00に更新されていくことだろう。


  4/30から5/1に変わるにすぎないことがどうしてこんなにも愉快なのだろう。不思議だ。


 だとすると僕は心の奥底で時代の変わり目にいることを嬉しく思っているのだろうか?しかし、時代は変わらないのだ。同じ似たような毎日が、カレンダーを捲られながら更新されていくだけなのだ。でも、僕はやはり期待しているのだ。平成から令和に変わることで、何かが変わるのかもしれないと。


 僕より干支が2周分くらい違う未来の人たちは、僕たちが明治大正昭和平成をぶったぎって区分けしていくように、やはり彼らも平成と令和をぶったぎって差を見出だすに違いない。頑張ってほしい。これは僕には出来ないことなのだから。具体性より抽象性が求められているのだから。


 僕は新しい時代に踏み出すのだ。令和という時代に。そしてこの令和という時代でも、今までと同じように揉みくちゃにされて、泥だらけで地を這いながら、死ぬために生きるのだ。未来のために現在をすり減らして生きていくのだ。令和を修飾する副詞のように、色彩をもたせる塗料のように、僕らは令和を彩る副詞もなり塗料にもなる。


 明日も頑張らねば。毎日足を踏みしめて、地を這うのだ。未来のために。


 

 

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