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『アナザーラウンド Another Round』


 なんといっても、マッツ・ミケルセン(デンマーク語の発音ではマス・ミケルセン)のダンスシーンがあるというので、待ちに待った日本公開だった。
 スリリングなドラマに満ちた展開や予想もつかないようなどんでん返し、というタイプの映画ではない。しがない高校教師である4人のおじさん達の、普通の人生。先の見えた人生は、どこまでもくすんでいて、まさに中年のクライシス状態だ。体の不自由な犬と暮らす独り身の者、妻とすれ違っている者、小さな子供達の世話で精一杯の日常を過ごしている者、離婚した者、彼らの姿は、等身大の私達だ。
 そこに、日常にアルコールを取り入れる、という実験が始まる。血中アルコール濃度を0.05%に保つとどうなるか? アルコールを飲んだ方が「調子が出る」ときがある。幸福感がどこからともなく出てくる。お酒を飲んだからこその楽しい時間は、誰でも記憶にあるだろう。彼らもまた、冴えないモノトーンの人生が、どんどん色彩を帯びて、達成感と充実感に満ちたものになっていく。少年のようにはしゃぐ姿。彼らの楽しい授業に目を輝かせる生徒達。そして、彼らは徐々に0.06%、0.12%と濃度を上げていく。酔い過ぎた彼らは、今度は逆にアルコールによって大切なものを失い、現実の問題が露呈していく。マッツ・ミケルセン演じる主人公のマーティンは、薄々気づいていた妻の不貞というパンドラの箱を開けて、別居となる。体育教師のトミーは学内での飲酒がばれて、職を失ってしまう。若くてナイーブ、自由な高校生達の笑顔の眩しさと対象的に、様々な制約があり、問題と苦さに満ちた、中年の人生が描き出される。
 だが、それでもなお、人生は美しいと信じたい、とこの映画は全身で語りかけてくる。彼らは、ほころびや失ってしまった部分を何とか紡いで、自分を信じ、周りを信じ、光を見出そうとするのだ。ダメなところばかりでもあるけれど、人生は捨てたものではないよね、と観ている者に伝えてくる。そうして、最後のマッツ・ミケルセンのダンスが象徴的なシーンとなる。言葉では語りつくせない、人生の美しさはダンスで表現されるのだ。(元はダンサーであった彼の、初めてのダンスシーンで、ファンならこの場面だけでも映画を見る価値があると思う。)マッツ・ミケルセンに関しては、マーティンの妻とのカフェでの会話のシーンも、しみじみと良い。ミケルセンって、こういう役が本当に似合う俳優だなと思い、彼の主演映画『プラハ』での妻との悲痛なシーンもまた胸に迫ったことを思い出す。 
 なお、ヴィンターベア作品では、『偽りなき者』が今回の映画とトーンが重なる部分があるが、今回のラストが明るいのは嬉しい。また、『ザ・コミューン』のおかしみと悲しさも今回につながっている。

 さて、この映画は、なんといっても脚本と俳優達が素晴らしいのだが、何よりもまず、デンマーク映画の最も特徴的な、「普通」さが描かれているところが、魅力である。監督のトマス・ヴィンターベアも発起人の一人であった映画の新手法を謳った「ドグマ95」そのものだ。自然なカメラワークと照明、美しい顔立ちや俳優然とした出演者ではなく、隣のおじさん的な、顔立ちも服装もごく普通の気取らない等身大の俳優達、彼らの住む家も雑然としていたり、時にはセンスに欠ける、「雑誌のようにお洒落」ではないデンマークのごくごく普通の家、高校のシーンでは見慣れた赤い語学の辞書が並び、すべてがデンマーク人の日常生活そのものなのである。だから、観ている者は、自分事として、すっとこの世界に入っていくことができる。デンマークの生活を体験したことがない者でも、映画の自然な感じから、普通の生活だということはよくわかるだろう。

 この映画の背景としていくつか挙げるとーーー。
 デンマークでは実はアルコール問題がなかなか深刻である。この映画の目的がアルコール注意喚起ではないにせよ、デンマークならではという背景がある。デンマークでは高校生が驚くほどアルコールを摂取する。映画の中で「週にどのくらい飲むか?」と尋ねられた高校生男子がほぼ毎日たくさん飲んでいるというように答えるシーンがあるが、それは決して誇張ではない。高校のカフェテリアにビールサーバーがあったりするし、地域にもよるかもしれないが、高校生がバーに行けば周囲の大人がビールを奢ってくれる。カールスバーグで有名なツボー社では、昼休みにビールは3杯まで飲んでよいことになっていた。ビール1-2杯程度なら、運転もOKだ。アルコールは社会問題になっており、アルコールについての話になるとたいていのデンマーク人は自嘲気味に笑う。だから、この映画はデンマーク人にとって、「ツボ」を押さえた映画なのである。
 公立高校の状況を描いているところも、興味深い。デンマークの公立高校は、授業の進み具合が遅い、議論が多く、なかなか実質的な勉強にならず、結果レベルが低くなる(日本と真逆!)という批判が多く聞かれる。教室では生徒達はかなりダラダラしていて、席を立つのも自由、内職も多い、噛みタバコを噛みながらなどということもあるようで、「ちゃんと勉強できる学校」へと、私立の高校を選択する家庭も少なくない。この映画では、そういう公立高校の雰囲気を見せてくれている。
 そして、最後に、この映画を特別なものにしたのが、撮影4日目にベルギーで交通事故によって命を落とした監督の娘、アイダである。映画の冒頭に、「アイダに捧ぐ」と出てくるが、実は彼女はマーティンの娘として、映画デビューする予定だった。ミケルセンとヴィンターベアは家族ぐるみの付き合いをしており、ヴィンターベアの想像を絶する苦しみはもちろん、ミケルセンにとっても辛い出来事であった。それを乗り越えての撮影であった。多分、乗り越えたりはできなくて、苦しみつつ、何とか顔を上げて撮影したのだろうけれど・・・。死があったからこそ、余計に人生は美しいという、ヴィンターベアのメッセージが込められている。ちなみに、出演している高校生達はアイダのクラスメートであり、アイダの高校で撮影されたとパンフレットに書かれている。

 先ほど書いた通り、この映画はミケルセンの初ダンスシーンだけでも、(私にとっては)本当に価値があり、一粒で二度おいしい映画なのだ。そして、観終わって時間が経っても、じわじわと、またこの映画の深い味わいが蘇ってくる。本当に素敵な映画であった。終わっちゃう前に、もう一度、映画館で観たいなと思っている。

https://anotherround-movie.com/


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