見出し画像

続・いいところ探し

いいところ探しをしていると言う話を以前noteに書いた。
当時は、1年ほど続けて特別な暁光が湧いてくる経験をしているわけではないが、心のセーフティーネットにはなるという感覚はもっていた。
ただはっきりと効用を言語化して理解できていたわけではなかった。
あれからまた数年経って、少々サボるようになってから改めて気がついたことがあるので書き残しておきたいと思う。

ここのところの私は、体調がすぐれないことも度々あって、何かにつけて不安になり、不満を持つことが多かった。良くも悪くも仕事やプライベートの環境変化があり、これからどうしていけばいいのかと考え込んでしまうことも少なくない。いいところ探しもすっかりおざなりになり、久しぶりに書こうとすると数ヶ月空いていたりする。

すると何が起きるのか。
「できていないこと」がものすごい勢いで脳内を占拠し出すのである。

「できていないこと」に捕らわれてしまっている人間は、間違いなくその人がバッドモードに入っている時だ。これは明確に自分を客観視してもらった経験があるのでわかる。数年前に親の闘病の看護・遠隔介護をしている時に、最初こそ使命感に燃えて気を張っていたものの、半年から1年経って体力的にも気力的にも息切れがしてきた。もっとこうした方がいいのにと考えても体と心がついていかない。視野がとても狭くなって、
「今の自分には何もできていない」
とカウンセラーに弱音を吐いたことがあった。
介護をしていると言っても大体週末だし、自宅で面倒を見るようになったとしても大したことができていたわけではない。疲労して仕事もまともにできなくなっていた。
色々行き詰まった時、当時お世話になっていたカウンセラーが、

「いまできていることに目を向けましょう」

とキッパリ言った。
その言葉にハッとして、自分が暗い穴にはまり込んでいっていたことに気がついたのである。
やりたいことやってあげたいことは山のようにある。だけど時間も体力も限られている中で、全て叶えられるわけではない。その中で、いまの自分できていること。別に何もやってないわけではない。そう認めると少し楽になった。

以来、何かがあったときに松竹梅の松コースに憧れるのはいいが、いま作って食べてる梅コースのこと忘れてない?的な自問自答をできるようになった。突然背中に羽が生えて飛べるようにはならないが、自分で足場を作って目標に向かって登ることぐらいはできる。とにかく一歩一歩進めば目的地には必ず辿り着く、と言う感覚は、趣味の山登りで養われたことも大きかったかもしれない。よくいう60点や70点の自分に満足するということなのかもしれない。不器用なくせに理想だけは高く持ってしまう完璧主義気質だったのかという自分にも気がついた。

転じて、つまり「できたこと」「良かったこと」を挙げていくいいことリストは、ポジティブを引き寄せる魔法では決してなくても、ネガティブ思考を塗りつぶすリストなのだと言うのが、数年経って辿り着いた結論だった。ネガティブな余白を潰していけば、必然的にポジティブあるいはネガでもポジでもない可能性が残る。そんな意味があったのかと意味付けすることができるようになる。自分自身を陽の方向に引っ張ってあげる、そんな効果があるのだろうと思う。
それに気がついてから、最近またいいことリストをつけるようになった。

ここ直近のストレス事項としては、冷蔵庫が突然ご臨終して何の意味もない箱になったこと。冷蔵庫の故障は食材がダメになるし食生活に制限が出る。人生の幸福の7割は食べることから摂取している私には致命的で、絶望していた。
ただ、幸い大した在庫もない時期で、おまけにちょうど10年の一度の大寒波。
寒さに嫌気がさすところではあるが、おかげで屋外は冷蔵庫以下の気温のため、わずかな食糧をベランダに退避できる。
元々自炊や作り置きをする割に、ずいぶん小型の冷蔵庫を使っていたので近いうち買い替えようとは思っていた。家電製品は高額なため、購入に決定的な判断をするのは迷うところだが、機能の絞り込み+納期優先で考えて、まずまず満足すると冷蔵庫も購入することができた。
これまで使っていた冷蔵庫は、過去に短期間で全く同じ壊れ方をしたメーカー製だったため、今後はいくらそのメーカーの広告塔の長谷川博己が微笑もうとも、金輪際二度と買わないリストとして心に留めた。(シンゴジラは大好きだけども)

そんな感じである。書き出してみると、いつもながら小さな世界の悩みに対して大きく不安を広げて生きてるな、と思う。2023年も己の小ささを噛み締めながら、できていることで自分を励ましながら、着実に歩んでいきたい。

この記事が参加している募集

#振り返りnote

85,214件

#今こんな気分

75,633件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?