イデアと自分

「理想をもっているからこそズレに気づける」

三角形が目の前に描かれているとします。目前の描写が三角形であると認識できるのは、私たちが三角形という図形の存在や概念を知っているからです。頭の中に知識として備わっている三角形のイメージと目前に描かれている図形とが一致することで、目前のものは三角形だと判断することができるわけです。また、私たちが頭の中で描く三角形のイメージは直線が3本で内角の和が180°な整った図形であるため、フリーハンドで描かれた三角形に対して、少しいがんだ三角形・いびつな形をした三角形というように理想とは違ったものというような印象をもちます。

古代ギリシャの哲学書であるプラトンは、理性によって把握する理想的な原型こそが普遍的で真に実在するものだと考えました。イデア論という考え方です。三角形の話を例にすると、仮に私たちが自らの手で100個の三角形を描くとすると、それらの一つ一つが微妙に違った形のものに仕上がるでしょう。まるまる同じ形の三角形を100個並べて書くなど不可能なことです。しかし、頭の中で綺麗な三角形を思い浮かべてくださいと言われた際に思い浮かべる三角形は常に一定の形をしているのではないでしょうか。そして、そのような一定の形をした理想像が頭の中にあるからこそ、手書きの三角形のズレに気付くことができるということです。要するに、理性(頭)の中に存在する理想像は常に一定で、その理想像と現実社会において出くわすモノとを照らし合わせることで、人間は美や善といった諸々の判断をしているということです。

前回、登校に悩む生徒の多くは、昔の私も含めて本当は登校するべきだという観念をもっていてそれゆえに悩み苦しむと書きました。理想(心)と現実(身体)のギャップは本当に苦しいものです。しかし、プラトンのイデア論に当てはめてみると、また違った見方ができるのではと思います。不登校に悩むということは、学校に行くべきという理想的な原型を理性の世界(心)にもっている証拠であり、それを抱いている限り、少しずつでもその理想に近づいていけるのです。それは、綺麗な三角形を思い浮かべながら三角形を描く練習をすれば美しく描けるようになっていくようなものです。ただし、どれだけ三角形を描き続けても理想とぴったり合うものはなかなか描けないように、理想通りにことを進めることも難しいかもしれません。だから、何とかすべきという理想に悩んでいた過去の自分には、すべきという理想を頭の中に描いていること自体が一つ問題をクリアしているということ、でもその理想と現実は違う世界なのだからギャップがあって当然なのだと声をかけれるのかなと思いました。

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