苦しむ幸せ

よろこびが集ったよりも
悲しみが集った方が
しあわせに近いような気がする

強いものが集ったよりも
弱いものが集った方が
真実に近いような気がする

しあわせが集ったよりも
ふしあわせが集った方が
愛に近いような気がする

星野富弘『よろこびが集ったよりも』

私のお気に入りの詩。通勤の道中、この詩をテキストにしたコーラスをよく聴いている。

ところで、私は23年の7月にストレス性適応障を患った。おかげで、3ヶ月休職をしなければならないこととなり、復職を果たした後も制限付きで仕事をしなければならなかったり、たまには症状がぶり返したりと半年以上の期間苦しい思いをしてきた。そんな苦しみの今、病気になる前の日々を思い返してみると、あの頃は元気で毎日が充実していて幸せだったよなと思える。病気になる前はキラキラ楽しい日々だった、病気のせいで苦しい日々がきてしまった、そんな風に思える。
しかし、適応障にかかる前の23年4月・5月頃によく目に耳にしていたものこそが、上記の『よろこびが集ったよりも』であった。ということは、今となっては幸せな日々だったと思える適応障発症前も、私は毎日悩み苦しんでいたのだ。悩み苦しむ日々だったからこそ、詩の世界に助けを求めていたのだろう。(もっとも何もなければ適応障になることもなかっただろう)

苦しい日々も時間が幸せに変換してくれる。後から幸せに思えるくらいならリアルタイムで幸せを感じてみたい。そう思った。そして何より、幸せについてこんなに考えるきっかけをくれたのはストレス適応障の存在。星野さんのおっしゃる通り、

よろこびが集ったよりも
悲しみが集った方が
しあわせに近いような気がする

なのかな。

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