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就職旅#3.悲

2010年3月31日~4月5日まで「青春18」1枚で出た一人旅の記録。

0日目:東京「23:10発、大垣行夜行列車ムーンライト」→

1日目:ムーンライト→5:45大垣到着→米原→西明石→姫路→相生→宮島口(厳島神社)→広島市内(ネット喫茶店泊)

2日目:✅原爆ドーム→平和記念公園→広島城→三原→倉敷(美観地区)→岡山(ビジネスホテル泊)


「戦場から抜けて全ての悪夢から抜けて

ある日か彼らは平和な国へ行きたかったな。

そこには幼い指導者もいて、

彼らに勇気を吹き込んでくれたな。」

ー少年十字軍(ブレヒト詩集/「生き残れた者の悲しみ」)中ー

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2010年4月2日金曜日、朝

広島での二番目シグナルは更に強かった。

いや、強いというか昨日の厳島神社のシグナルとは

なんとなくその本質が違う…

ひんやりした。

春と言っても、まだ4月の初旬の暁だからという説明もいまいち。

答えを探す為、ネット喫茶店から早く出た。

歩いた。

寒くも熱くもないバランス絶妙な徒歩30分。

シグナルが近づくほど

わけわからない

深淵に落ちる様な心。

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元安川はへ着いた頃にはもう明るくなって

そして、姿を現したスポットは

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......

悲痛…

そのものであった。

春がやって来た平和な周りの風景との不調和

違和感

1945年8月6日午前8時15分で止まったドームの時間。

言葉もでない、

意識は65年前にさかのぼっている。

鉛筆を探す。

ない、

ボールペンでもいいや

......

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1915年4月5日、

都市は大騒ぎであった。

この町で、この国でなかなか珍しいバロック様式の最新式ドーム。

この都市の物産展示館という名前で

儂は世間に知られら。

自分の運命も知らずに…

会館の当時、眩しい日差しの中、青空に飛ぶ鳩群れと皆の歓呼を

未だに鮮明に覚えている。

以後は、

この国で初めてのバウムクーヘン紹介、

全国お菓子博覧会、

美術展開催など

皆に夢と希望、喜びを与えた儂

......

ちょうど30年目になったあの日も

会館日の様に夏の日差しが朝から眩しかった。

が、わけわからないひんやりとした変な感じは

言葉で説明不可である。

いつもの様に職員達が

早朝から出勤し、

真面目にオープンの準備

あ、

眩しい…

日差しではない。

......

何とか生き残った。

あの日の惨状は

君らに説明もできない。

人類の言葉で表現できない。

悲痛。

そのものである。

2010年4月2日

儂は人類の校訓として

メッセンジャーとして残っている。

生き残っているといえるのか。

残骸なのか

遺物なのか

儂も分からん。

元安川は今日もあの日朝と変わらず、

穏やかに流れている。

世間にシグナルを発信する。

今でもお互い闘う愚かだやつらよ、

「いい加減にしろ!」

そんなに戦争が好きなやつらは

儂をみろ。

儂を…

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出来上がりまで1時間ほどかかりました。

やはり4月初旬朝だったので途中からはひんやりとなりましたが、

この気分は本当に気温のせいかという疑問が生まれました。

ここまでたどり着く歴史背景ももちろん、認識しています。

が、戦争はどんな理由があっても

勝者も敗者も不幸になるものです。

つまらないものですが、

戦争で亡くなったたくさんの方々を

追悼しながら描きました。

世界に平和を…

ドームは無言のシグナルを

送っていました。




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