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2.深夜のベール

地下3階、コンテナ休憩室は
ひんやりとしました。
時間はもう夜11時半もすぎて
翌日を向かっていました。

誰もいない現場には重い沈黙の
川がぐるぐると体を巻いて流れました。

夜に出会う
建設中の鉄骨や安藤忠雄風の
コンクリートの構造物は
グロテスクな面があります。

2003年12月この日
ソウルに初雪が振りました。

「寒い…疲れた…それより...
もうここにいたくない!」

仕事と言っても
こんな時間に、
こんな所に、
一人でいるのは
罰ゲームに間違えないと思いました。

先まで混んでいた数百人の現場の人々が
煙の様に消えて
まさか、ここに
なぜ僕が
こんな場面に合わなくちゃいけないのか!

…...

元大手建設企業の部署(建設機械事業所)で
アウトソーシングされた当時の会社は
母会社の現場をほぼ引き継いて
重装備を運用していました。

例えば、
クレーン車、タワークレーン、コンクリートポンプ車、ホイスト(建設用エレベーター)など
全国大型建設現場で運用したので
本社からは安全管理や各種認可、許可の行政的な事などで支援する出張も少なくありませんでした。

その日上司に添ってこの現場へ来たわけです。

ところが、スケジュールは順調ではなく、
何だかのトラブルが起こってしまい
本社の指示で退勤時間を大幅超えて待機

めちゃめちゃ段取りで結局
ベテランの上司も爆発、

何だかやっと解決され退勤許可、
帰る前に、
忘れ物を探しにこの地下3階コンテナ休憩室を
出た上司はなかなか来る気がありません。

こんな時間まで大した夕飯も食べずに、
予定退勤時間も
はるかに超えて
まだ20代社会初年兵には
残酷な日でした。

最高裁判所がすぐ隣にある、
ソウルの中心部
地上37階、地下6階、120メートルの
当時、最新型高層複合マンションが建てられる
予定のこの現場。
支配しているこの冷気は
ただの冬の寒さ以外な要素がありました。

怖い…
体が震えました。
何か起こりそうなこの緊張感...

実は、この場所は数年前、
国の腰を取ってバックドロップした大惨事で
だくさんの方々が
命を落ちした場所でした。

以後、

幽霊を目撃した、

夜になると泣き声が絶えない、

特に犠牲者が多かったポイントは
あいにく最高裁判所の方面で
その場所を向かっている裁判所の入り口で
夜、警備員や当直職員が
泣きながら悔しみを訴える幽霊を見て
気を失ったなど
具体的な怪談まで流行っていました。

自分がイライラした理由です。

静かすぎるこの空気が怖さを倍にしました。

その瞬間、

「てぃりりりん!!!!」
いきなり電話音が出ました。

ビックリ!!!

自分の携帯電話じゃない!
ここには誰もいない!
コンテナ中で鳴っている機械音!

パニック!

気を失う直前、
上司が来ました!

いや、メシア、救世主が登場しました!

上司:(壁のハンガーにかけていた作業服の中から
携帯電話を出して)何これ、忘れ物ここにあったかよ!くっそ!!

社会ひよこちゃん:…...(いろんな意味でそのまま気を失う)

…...

訂正します。
上司はサタンでした。(-_-)

ちょうど25年の本日午後5時57分(1995年6月29日途中、日にちすぎましてすみません。)
ソウル中心部にあった
当時最高級デパートであった
三豊(さんぷん)百貨店が突然崩壊しました。
死亡502人、ケガ937人、行方不明6人......
単一事故では最大の大惨事と記録されました。
物質万能、成長第一主義が起こした
言うまでもない人災でした。

全国民に
とてもとても
大きいトラウマを
与えました。

大きい対価を払って
社会はやっと
何が一番大事なのかが
分かりました。
今までやってきた事を振り替えて
大反省しました。

日本にも
どんな国でも
二度も起こさないといけない大惨事はあります。

2003年の当時、現場で経験したのは
ある怖がりの騒ぎではなく

犠牲者方々からの必死の
お伝えだったかもしれません。

現場から少し離れた公園には
追悼碑が
彼らの魂を慰安しています。

現代を生きって行く

悲しい自画像です。

犠牲者方々の御冥福をお祈りします。

上、三豊(サンプン)百貨店オープン(1989年)、
中、崩壊(1995年)、
下、次に建てられた大林(テリン)アクロビスター(2004年完工)
©wikipedia, ©realty.chosun.com

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